SDGs、年金受給者、ボランティア
ボランティア=自らすすんでやること!
volunteerなる英語は妖しさがいっぱいある。
西欧社会では、功なり名を遂げた皆さんが、資金を提供し、公益財団を設置するのが常と伝わる。
国内でボランティアといえば、滅私奉公やら奉仕やらが主流の考え方であろう。旨いこと使っているのが、政党と宗教団体。
在京時、東京駅近くに居住していた。
事あるごとに、八重洲口には、募金を募る皆さんが、それも結構若い子たちが並んでいた。
実を言えば、一度も募金に応じたことは無い。
だって、妖しすぎるからね。
同じ目をした若者がよそ様のために、募金をおこなう!
まっとうな皆さんが居るのは認識していたが、妖しい輩が多数と遺伝子が警戒していた( 一一)
ボランティアは、どうも、世のため、人のため、と称してタダで他人を使う言葉に日本では成り下がったと感じ続けていた。
田舎暮らしの時期に、ずいぶんと宗教団体の皆さんが訪ねて来られた時期があった。最善の撃退法は、我が家は、『八百萬教』なので・・・でしたね。
事実、父親は、自然崇拝者だったし、影響もあり、小生も自然崇拝者。
学者さんたちが何を言おうと自然界は、神そのものと考えていた。
居られるかも知れないが、そもそも10代、20代で世のため、人のためだけに人生をささげるなんぞ考えられない!ともね。
ゆえに、募金の背後には何かが蠢いていると感じ続けている。
世界最強のエセボランティア組織が国連であるやにも感じている。
国際連合と称しているが、あれは、第二次大戦の戦勝国連合に過ぎない。
好きな四文字では無いが、政府や自治体に逆らう必然も無いし、世界が進めて居るのであれば、農村発のモデルがあってもよろしいかとSDGSのロゴをWEBで使っている!
日本流参加型ボランティア
世のため未来のために、自己の体験と知恵を活かすこと。
それが日本流のボランティアであろうかと考えている。
何よりも
〇己自身のために!
〇家族のために!
〇地域のために!
〇国家のために!
自身が年金受給者になって、感じることだが、年金は以前、恩給と云っていた。命がけで戦場に出向いたんだから、と軍人恩給が当時の恩給。加えて、隠居の二文字が昭和の時代に頻繁に飛び交っていた。当時は、機械化農業もなく、ただただ、身体を酷使していたからね。隠居=仕事はしないで日がな一日呆けていることの代名詞でもあった。数か月間、SPと名付けた年金受給年齢の皆さんと農場構築に精を出している。
数日前から感じていたことがある!
シルバー人材センターなる組織がつくられたのは、昭和の時代。
この人たちは、氣配りしつつ、互いを尊敬しあいつつ、働いてくれている。
数年前に、総務省が『協働』を打ち出した。
地方自治体でも『協働課』が設置されてもいた。
4000万人年金受給者の参加できる場を創ることが、協働ではないか?
それこそが政策では無いか?
大東亜戦後78年。国も地方も一部をのぞき、政策がダラケテイルと感じる一方で、この人たちは、それこそGOLB BANK。
真の意味での人財と。まだまだ野に埋もれたGOLD BANKの皆さんが居るんじゃねえか?
さてさて、旧庁舎残存物品無償譲渡会! 獲物!(^^)!の一部を農場に持ち込んで作業場設置ですね!