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戦前は、一高、海兵、陸士、と並び称された!
旧制境中一期生の旧総和町出身の堀江芳孝氏の書籍を読んでいる。読んでいる!としているのは10分程度読み進むと文字が滲んで見えなくなるからだ。彼の著作「闘魂ペリリュー島」。 ネットの知り合いから紹介され、これもネットで中古本を入手したからだ。この本の中に出てくる母校出身の玉砕された二人の大隊長を追い掛けてきた。それを知って様々な資料を送付してくれた方が居られる。ネット社
もっとみる二人の少佐と大東亜戦争 その2
二人の少佐
飯田義榮少佐の墓誌の一部に、享年33歳とあった。
少佐は、下妻中学28回卒業(昭和4年)。旧真壁郡黒子村稲荷(現在は筑西市)の生まれ。卒業生は124名と同窓会名簿にある。普通に進学していれば、明治末期の生まれかと思われるが、遺族の皆さんとは会えないため、仔細は不明。
もうひとり冨田保二少佐。旧嘉田生崎村北榎生(現筑西市)生まれ。下妻中学33回卒業(昭和9年)。上毛新聞の記事による
二人の少佐と大東亜戦争
3月20日 彼岸の中日?ですね。
雨の彼岸になりました。
墓参りはどうしましょうかね?
多忙にかまけて。少しは鬱状態から脱してますが、二人の少佐を追いかけた数ケ月。
事績を追うために、戦史本を数冊読み、下妻図書館、明野図書館、筑西図書館と点々とし、戦死者名簿を読み漁った。
各地に建立された「忠魂碑」も訪ね歩いた。結果、暗澹たる氣分にさせられた。
改めて、文字にし始めると、益々、落ち込ん
近代日本は二度抹殺された!その1
NHKの大河「澁澤栄一翁」は観ていない。
が、大河ドラマの関係もあるのやも知れないが、維新前後の情報に目が留まることが続いている。
集落の地主さんの三代前の先祖は郷土の偉人とされている。郷土での活動期間が短く、東京と水戸での足跡が主であるので、地元では風の噂で聴く程度の人物でもある。偉人伝にありがちな、現代に連なる事業や企業、団体が足跡として残されているが、事の本質はそれだけでは見誤る感が否めない
国旗と君が代からの戦後リスタート
オリンピックの熱氣の余韻を感じる暇もなく、秋雨前線の停滞する旧盆になった。TV中継を観ることもなく、ツイッターで皆さんがアップしてくれた画像や動画からオリンピックを感じつづけた。
印象に残るシーンは多々あったが、スクショさせていただいた画像の中で一番印象に遺ったのは、フィリピンに初の金メダルをもたらしたこの子の姿。女子重量挙げの選手ヒディリン・ディアス。国の報奨金200万円を筆頭に大統領が30
ルーズベルトに与える書
ルーズベルトに与える書
日本海軍市丸海軍少将、書を「フランクリン・ルーズベルト」君に致す。
我、今、我が戦いを終わるに当り、一言貴下に告ぐるところあらんとす。
日本が「ペルリー」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶに至りしより約百年。この間、日本は国歩艱難(こくほかんなん 《注》国の歩みが困難で苦労すること)を極め、自ら慾せざるに拘(かかわ)らず、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支