熾す人06_ダイアローグ|井上 規 さん
下妻で出会った人たちと、私 大竹との対話の記録を公開します。
この街で、どんなことを考えて、どんなことを想って、どんな活動をしている方々がいらっしゃるのか。
変に飾らないそのままの部分を残したくて、対話(ダイアローグ)のまま記録していく試みです。
協力隊となった私 大竹との対話の様子を通じて、下妻に暮らす人、関わる人たちの姿と共に、下妻の雰囲気が少しでも伝わると良いな、と思います。
今回の話し手
井上 規 さん(47歳)
「しもつま3高」「一般社団法人 下妻家守舎」「都市経営研究会」などの立ち上げ・運営に携わる。(大竹は、修士学生の時に「都市再生整備計画事業 砂沼周辺地区」のWSでお会いしている)
0.ダイアローグ開始
大竹:井上さんが活動してらっしゃるのは、しもつま3高と、下妻家守舎と、夢100と…
井上:あと、ミズベリングしもつま、もだな。
大竹:あと他に団体として活動してらっしゃるのは?
井上:うーんと、あとは市役所内だけど、自主研かな、都市経営研究会。最近は、それとして活動しているというよりかは、その4人のメンバーとは色んなことを一緒にやってるね。
大竹:かふぇまるcafe & studioで開催されていた「プレミアムフライデー勉強会」の活動メンバーですか?
井上:そうそう。あれはコロナの影響で中断しちゃったから、イベント的なものはやらなくなっちゃったんだけど。
大竹:因みに今お幾つでしたっけ?
井上:47です。
大竹:下妻の在住歴、ご出身はどの辺りですか?
井上:ずっと下妻で、実家は普門寺の近くですね。
大竹:高校まで下妻で、一旦出られたんですよね。
井上:そうそう、高校まで下妻で、大学だけ4年間東京に行って。
大竹:ずっと公務員を目指されていたんですか?
井上:いや、そういうわけじゃないねぇ。
大竹:高校卒業されて、大学選ばれたときは?
井上:その時は、野球から解放されて遊ぶことしか考えてなかった(笑)。「とりあえず、大学に行こう!」みたいな。
大竹:(笑)。野球は続けたいとは思わなかったんですか?
井上:野球は、やろうとは思ったけど、故障してたからね、思う通りに行かなかったから。
大竹:そうだったんですか…肘ですか?
井上:肩だね。体育会に入ってやろうとは思ってたけど。2年間で何かしら部活入らないといけなかったんだよね、国士舘の体育学部だったから。で、「落ちこぼれを救う」野外活動部に入って。野球部は一瞬行ったけど、治ってなかったんで「まぁ、いいかな。」と。
大竹:野外活動部ってm
井上:それで「何やる?」ってなっても、何もやることないから、そういう人たちを救う野外活動部に入った、という感じ。
大竹:いろんなことができそうだから、ということですか?
井上:いや、それしか本当に選択肢がない、みたいなね。体育学部だから、他も専門的な競技をやってきた人ばかりだったから、例えば、「サッカーやりたいな」と思っても、みんなやってきた人ばっかりだったから。
大竹:厳しい世界だな…他の部に入ろうと思っても、その競技の経験者がほとんどだからやりづらい状況だったんですね。
1. 何とかするために街に飛び込む
大竹:どのタイミングで「下妻に帰ろう」と思ったんですか?
井上:就職の時に、地元に戻ることを考えると、公務員という選択肢が出てきて。まぁ、色々他にも受けたけどね、警察とか、他の自治体とかも。
大竹:そうだったんですね!茨城県内で?
井上:そうだね、県内中心。
大竹:何で最終的に下妻を選んだんですか?
井上:まぁ、一人っ子だったしね。特に東京で「これがしたい!」という仕事もなかったし。
大竹:なるほどなぁ。私は引っ越し多かったからか、地域への帰属意識がないですけど、地元がある方は「地元に帰ろう」という選択肢は結構、自然なことなんだなぁ。
井上:そうだと思うよ。
大竹:一番長く活動されてるのは3高ですか?
井上:そうだね。都市経営研究会は2017年あたりからだから、大体同じくらいかな。
大竹:研究会は何で始められたんですか?
井上:これはねぇ…研究会のメンバーになってくれている人たちが「なんとかしなくちゃならない!」と下妻の現状を嘆いていて。「なんとかしなくちゃ!」って言っても、変な現状批判だけになっても意味がないから、どうしようかな?と考えていたときに、国土交通大学校で、オガールの岡崎正信さんや、木下斉さん、渡和由先生も出ていた「公民連携(PPP/PFI)」のカリキュラムがあって、「こういう新しいテーマなら、やってもいいんじゃないの?」と話して、行政研究会が始まったの。
大竹:情報交換とか勉強会みたいな?
井上:うん、そうだね、メインは政策研究だけど。今はもう、公民連携は仕事として都市計画でやるってなったけど。
大竹:2017年のころは「どうやって公民連携を事業に入れ込むか?」ということで政策研究されてたってことですね。
井上:そうだね。「プレミアムフライデー」は、街の人とつながらないと、やっぱり公民連携できないよね、ということでやってて。スーツ着て、ネクタイ閉めて行っても、「市役所職員」とひとまとめに捉えられちゃって、まともに相手をしてくれないので(笑)。
大竹:なるほど。座学的にも勉強しつつ、SHIMOTSUMA DESIGN MEETINGにつながる様な人との関わりを作られてたんですね。
井上:、西村浩さんも「まちにダイブする」っておっしゃってるけど、街に飛び込まなくちゃ公民連携は無理だからね。
2.多岐にわたる活動のきっかけ
大竹:何から聞こうかな、井上さんの活動内容も幅広すぎてなぁ…
井上:そうだね(笑)。
大竹:こういう様々な活動が始まったのは4、5年ほど前だったと思いますけど、それまでにも団体に関わってたんですか?
井上:うーん、まちづくり団体には直接関わってなかったかな。うちの親父がやってたのを手伝だったりはしていたけどね。でもどちらかというと完全なるボランティアだったね。「わらべうたあそびランド」といって、子どもたちの情操教育のための活動とか。あとは今、上町公園横の小屋「サンドレイククラブ」とか、総合型地域スポーツクラブとか…親父がやってて「まぁ、しゃあねぇなぁ。」と思って手伝ってた(笑)
大竹:なるほど、自分が主体でやるという感じではなくて、一市民としてお父様をお手伝いされてたんですね。
井上:うん、そうだね。あとうちの親父も商店会に入ってたから、商店会の活動もね。当時、時々、何となく違和感を感じながら手伝ってたんだけど、今になって何で違和感があったのかよく分かるね。
大竹:何の違和感ですか?
井上:「このイベントって、何か、やってても面白くねぇなぁ」とか。
大竹:「そもそも何のためにこのイベントやってるんだっけ?」ていう目的が見えなくなっていて、みんな疲れちゃう感じですか?
井上:そうそう。
大竹:3高で活動始めるまでに、ボランティアとしていろんな手伝いをしてきた経験はあるし、下妻の地域活動の現場も見てきた経験があったんですね。
井上:うん。「このままやってても、続けるのは無理なんだろうな…」というのをね。「やらされ感」もあったから、見ていても「面白そうだな」とは思えなかったし。
大竹:なるほどなぁ。主体的に地域活動に関わろうとなった、主なきっかけって何だったんでしょう?
井上:3高ができるきっかけとなった事業で、自分は当時、行政の立場でWSを企画・運営していたんだけど、最初のWSの参加者は、役所からお願いして「しゃあねぇなぁ」と毎回出てきてくれる人たちで、「もういい加減、行政のWSもやり飽きたよ」という感じだったんだよね。そこから、WS参加者を公募に切り替えたけど、集まってきた人たちが主体的に関わってくれる人たちで、3高メンバーにもなってくれて。
大竹:仕方なくやってもらっている活動と、やりたいからやっている人との活動との違いを目の当たりにしたんですね。それを実感したとしても、地域に踏み込むのは結構勇気がいると思うんですが…。
井上:うーん…例えば、3高は、Waiwaiドームしもつまとの関係もあったから、そうした広場の利活用を考えて実行するのに、役所主導であそこを動かしていても良い形にはならないだろうな、と感じてたんだよね。Waiwaiドームは、考えもしない自由なこと、面白いことが発生することを目指した広場だったから。それを目指すのに、役所が事務局となって、誰かの異動に伴って、運営方針や雰囲気が全く違うようになってしまったり、それまで「良いな」と思っていたことが実施できなくなったりしては、意味がないよな、と。そういう想いがあったから、しもつま3高の活動に力を入れていたのかもしれない。
大竹:いろんな事例を知る中で、そう考える様になったんですか?
井上:うん。栃木県の「ひじのわ」も見に行ったり、他にもまちのコミュニティスペースの様なものが全国で見るとあったから。そうした事例の真似だったんだろうね。
大竹:「いいなぁ」と思う事例を知ったり、政策を勉強する中で、「このままじゃダメだな」という気づきが具現化していったんですね。
井上:そうだね。だからあの時点では、あの選択が最良の打ち手だったんでしょうね。
3.面倒くさくても、我が子に「モテる」ために
大竹:業務だとしても、ボランティアだとしても、これらの活動って、結構踏み込んでいるというか「面倒くさい」と思うんですけど、何で井上さんはやってるんでしょうか?(笑)
井上:めんどくさいよねぇ。何でやってるんでしょう?ってなるよね(笑)
大竹:例えば、3高をきっかけに、こうした活動に初めて関わった、という方もいると思うんですけど、井上さんは、お父様のお手伝いで、現状もよくご存知だったと思うし、市職員さんとして事務局とかの話も見聞きして、「上手くいかないなぁ」という実情はよくご存知だったと思うんですよ。手をつけると大変になる、と分かってた上で踏み込めたのは何故でしょうね?
井上:うーん…自分の子どもが小さかったこともあるから、我が子に「モテたい」じゃないけど(笑)。やっぱり、将来、自分の子どもたちの選択肢にすら入らない街はね…。うちらの世代が、多分一番、きちんとやらないと、次の世代にとんでもないズタボロなものを引き継ぐことになっちゃうので、その使命感があるかも。寺沢弘樹さんの講演は一番影響受けたかな。研究会のメンバーの一人が持ってきてくれたんだけど、ファシリティマネジメント、公共施設管理について、まさにそういう話をしていて。高度経済成長の頃って右肩上がりで、社会資本をどんどん整備していくことは「正解」だったんだろうけど。もう人口減少になって切り替わって、同じことをやっても上手くいくはずないのに、旧態依然でやっていたら、我々世代が「サボる」と次の世代にはとんでもないことになる、と。
大竹:これは自主研究会とは別にですか?
井上:うん、行政で呼んだ職員研修だったんだけど、2017年ぐらいだっかかなぁ。トンネル崩落事故とかも起きて数年経った頃で、あれで、もう社会資本の更新って待ったなしだよ、っていうのを見せつけられた気がして…。今の行政サービスをできるだけ維持する、と仮に考えた時に、公民連携以外の、良さそうなやり方を、現時点の俺は知らないな、と。もし、例えば別の手法や仮説があって、「〇〇すれば、未来の社会は全然心配ありません!」っていうのも、「なるほどね!」と納得すれば、公民連携なぞやらずに、そっちやっちゃえばいいよね!と思うけど、そうも思えなくて。今できる最善の打ち手が、もう「公民連携」位しかないのではないか?と思うから、続けてやってる、というところだね。
大竹:なるほど。行政職員さんとしての色んな知識や分析から来る危機感と、さっき話されてたみたいに、地元をお子さんたちにどう残すか、みたいな。
井上:「ここだけやってもしょうがねぇよ」と思うこともあるかもしれないけど、もし皆がそう思ってしまったら…誰かがその地域でやってかなくちゃいけない。昨日も夢100の人たちとも話したけど、「知ってしまった人たちの責任ですよ」ってね(笑)
大竹:ああ〜…それは言い得ている(笑)。
井上:「みんな知ってしまいましたからね」って(笑)。でも、そこで悲壮感漂わせても誰も寄ってこないからね。
大竹:楽しくやるのは継続する要かも知れないですね。
4.「すげぇ豊かなことだった」原体験
大竹:そうした大変な現状が分かっていた上で…なぜ井上さんは下妻を選べたんでしょうね?
井上:他に良い選択肢がなかったからじゃいない?まぁ、うちの親父がやってることも結構面白かったんだよね、やっぱりね。
大竹:小さい時から見ていて?
井上:そうそう。
大竹:お父様の活動は原体験みたいな感じなんですかね。
井上:うん、影響あると思うよ。ちょっと野蛮かもしれないけど狩猟とかもやってたからね。
大竹:ええ!凄い!この近辺だと何が獲れたんですか?
井上:鳥だね、スズメとか、キジとか。
大竹:お手伝いされてたんですか?
井上:うん、キジバトとかも食べたな。
大竹:いいなぁ、美味しいですよね…ハト…!
井上:他にも、そこら辺の野山に入って、生えているもの取ってきて天ぷらとかね。「おもしれぇな」とは当時も思ってたけど、今になって余計に「すげぇ豊かなことだったんだな。」と。
大竹:今感じている様な価値は、当時は感じてなかった?
井上:うーん、当時はそれが当たり前だったからね、周りの大人がそんな感じで。普門寺の住職もしょっちゅう釣りに連れて行ってくれたし。
大竹:なるほど、山菜の取り方とか、鳥の締め方も分かってるのが普通、って感じだったんですね。
井上:きのこもね。美味しいきのこの見分け方とか、親父に実験されてたから(笑)。よく、ほうき茸っぽいきのこが入ってるけんちん汁を食べた後に、お腹下してた(笑)。
大竹:おお…致死量に至らなくてよかったです…!
井上:田舎に住んでいると、そうした豊かさがあることに気づけないんだろうね。「タダ」なことも多いし、「安売り」とかもしちゃうけど。自分たちの身の回りって価値があるんだって、地元の人自身がきちっと認識した方がいいなって気がするよね。
大竹:近しい経験をお子さんたちにもしてもらいたいという気持ちはありますか?
井上:経験できるならやった方がいいんじゃないかな、とは思うけどね。重要なのは「暮らしぶり」なんだろうな。移住・定住促進とは言うけど、やっぱりそこに素敵な暮らしがなかったら、移住とか定住しないよね。
大竹:そうですね、「誰と何ができるんだろう?」みたいなのが分からないと「怖い」ですよね。近しい関係にならないと、地方とか田舎って暮らしづらい様に思います。
井上:暮らしづらいよね。下妻も今だって地縁が濃いコミュニティに、ぽこっと入ってくるのは難しいよ。
5.ボランティアと事業の「違い」と「役割分担」
大竹:活動で大変だったこととか、困難だったことってありますか?
井上:今考えるとそんなに、かな。例えば、しもつま3高だと、ボランティアで関わっているから、自分がストレスを感じ過ぎない様に「やれないことはやらない。」って割り切れる様になったから。「急がなくていいものは急がない。それで良いんだ」と思って。
大竹:その考えに至るまでは、しんどかったですか?
井上:そうだね、「どうするのが最適なのかな…?」と分からないときはね。
大竹:どうしたら良いか分からない時ってしんどいですよね。
井上:ボランティアももちろん大切なんだけれど、家守舎を通じて事業としてやっていくこととの違いがわかってくると、「申し訳ないけど、やりたくてもやれないことは、やれないんだよな」って、ドライな考えかもしれないけど、思い知らされる事はある…。
大竹:例えば、事業主であれば、事業主の裁量で決められるし、事業を回すためという大前提があるけど、ボランティアだとより強い動機がないと、そこまで踏み込み切れないんですよね。
井上:そうそう。だから、例えば、任意団体じゃなくて、ちゃんとNPOとかになって、役所がやりきれない部分を預かる様になるのも良いのかな、と考えたり。他のジャンルのボランティア系の組織も、決して「じゃあ、もうなくていいや!」ってものばかりじゃないから。例えば、そうした各組織の部局を、役所との仲介に立ったNPOがやる、という風にすると、行政側としても正式に業務を任せやすいし、それぞれ役割分担できて運営しやすくなるかもしれない。
大竹:なるほど。確かに役割分担すると、行政側も市民側もやりやすくなるかもしれないですね。
6.公務員としての自分の役割
大竹:ところで、こうした活動の相談相手とか、協力者ってどんな人がいますか?
井上:大竹さん(笑)!
大竹:お、私(笑)!ありがとうございます。
井上:もちろん、役所の中のメンバーもそうだし、家守舎のメンバーもそうだよね。
大竹:相談できる相手がいることは本当に良いことだと思います。井上さんの立場は、行政職員だけど、ボランティアでも一緒に活動されているから、境目をはっきりさせるのは大変そうです。
井上:割り切れるのが、本当は一番いいとは思うんだけどね。家守も、本当は組織のためには抜けた方が良いのかな、と最近は思ってて…
大竹:え!そうなんですか!?
井上:やっぱり、事業として役所とやることになってくると、自分のセクションで扱いながら、家守に頼むとかって、利益供与と捉えられてしまうからね。(※このインタビュー後、理事から辞任されている)
大竹:外から見たら、職員としての井上さんと、民間人としての井上さん、一緒に見えてしまうからか…
井上:出会える市民のプレーヤーがこれだけ増えてきたし、例えば今後、一緒に公民連携事業やっていくとなった時に、俺はしっかり役所の中を固めて行った方が良いよな、と思ってる。
大竹:井上さん自身、民間事業者の立場として関わりたいと思ったことはありますか?
井上:役所の中がしっかりして、世の中が本当に、「正しい公民連携ってこういうことだよね」というのが認識されてくるのであれば、民間事業者の立場からもやりたいな、と思うけど、今、役所を辞めても、きっとまだそんな認識が浸透している訳ではないから。
大竹:なるほど、だったら今は内部にいて、役所内部の改革に努めた方が良いだろう、と。
井上:そうだね。今のまま、行政のあり方を維持するのは無理だと思うから、絶対やんなきゃいけないと思ってる。公民連携は新しい考え方だし、大変な事だから、なかなか共感してもらったり進めるのには時間がかかるとは思うけど…。
大竹:時間短縮できる方法ないんですかね(笑)。
井上:うーん…みんな「都市経営プロフェッショナルスクール」に入ってみるとか…(笑)
大竹:なんて荒療治(笑)。
井上:(笑)でも、みんな変わっていくんじゃない、コロナのこれ(マスク)と一緒で、そこまでいけば。
大竹:変わらざるを得ない状況になってきたらってことですね。そして、今は公務員という立場で、市役所の中で、自分の役割を果たす、と。
井上:そうだね、あとは、役所じゃない時は、SUP乗って遊んでるかな(笑)自分の健康のためにも良いしね。
大竹:(笑)そうですね。
7.「やる人がいないから、やるしかないから」
大竹:井上さんって、「家守舎の井上さん」、「ボランティアの井上さん」、「市役所の井上さん」っていろんな立場があるから、使い分けるのが大変そうです。
井上:市役所がなくなれば、相手にとっても分かってもらいやすいんだろうけど…。
大竹:公務員や市職員に対する「ステレオタイプ」ってある気がして、だからこそ、井上さんみたいに活動するって結構大変ではないか、と思っていたんです。あえて井上さんが活動する原動力ってどこから来てるんだろう…?
井上:やる人がいなかったからね。
大竹:身も蓋もない(笑)
井上:やる人がいないから、やるしかないから、家守も立ち上げに関わった感じだね。
大竹:そこで実際ちゃんと行動に移せるのは、「知っちゃったからやんなきゃな」以外の理由ってありそうですか?
井上:そうだねぇ…あとは、自分の今の立場の仕事として、きっちりできそうな感じになってきたからかな。これからの時代を切り抜けていくために、公民連携という視点・手法が必要だと思うんだよね。でも、これらを取り入れることを目標にしてはダメで。単純に、「この地域の豊かな暮らしを持続させるためだけに、取るべき手段は何?」ってなった時に、公民連携は最低限必要なことだろう、と。
大竹:それは、この4、5年の活動である程度、自分の中で確信を持てたから?
井上:そうだね、確信を持ったのかな。とまぁ、さっきも話したけど、それ以外に知らないっていう…(笑)。あとは、実際に、オガールのように、公民連携などを通して質の高いものを作ったことで、明らかに街が変わっている事例が既にあるからかな。大阪府大東市の事例も見てきたけど、とりあえず公共施設という箱を作るのではなく、公民連携を通して質の高いものを作ったことで、まず、その地区に集まってきている人の層が従来と変わってきているという話だった。そこに本社を移転してきた民間事業者のお店や従業員の雰囲気も素敵な感じで、まだ周辺地域まで波及効果がある訳ではないけど、「これからこの街は変わっていくんだろうな、いろんな人が集まっていくだろうな」というエネルギーが感じられたんだよね。
大竹:なるほどな。こうした視点は行政職員さんならではですね。
井上:そうかもね。人を集める、ということを考えると、あとは教育も一つの手なのかな、と思うな。画一的に学力を高めるという教育は違うところに任せて、下妻には何か別のところに特化した教育があると良いのかな、とか。
大竹:夢100プロジェクトは子どもたちの教育に関わる活動かと思うのですが、井上さんはどんなことされてるんですか?
井上:一応理事って形にはなってるけど、夢100から波及した家守とか、ミズベリングしもつまとかでの活動の方がメインかな。夢100のメンバーとも話していたことだけど、例えば教育と街への投資をするための「夢100財団」という形は良いんじゃないか、とか。木下斉さんが絡んでる「えぞ財団」というのがあるんだけど、この事例は参考になると思ったな。教育の魅力化は定住・移住促進に効果的だとは思うのだけど、これも、共感者や協力者を増やすのには時間がかかるだろうね。
閑話:教育や子育て以外の地域との関わりシロ
大竹:確かに、子どもがいる親世代にとっては興味を持ちやすいテーマですね。実際、私の両親も教育のために引っ越しを決めたしなぁ。でも正直、子どもがいない30代以下の私は中々共感が難しいなって感じます…。
井上:それはそうだよねぇ。
大竹:まだまだ定住意向が低くて、子育ての段階にも入ってなくて…という世代の私たちが、下妻に限らず、いかに地方とつながるか?と考えたときに、よくある定住促進だと若い世代が入って来られないのではないかな?と思うことがあるんです。
井上:あぁ、なるほどね。「移住!定住!」っていうけど、国から与えられたキーワードってだけで、そうした実情は分かってないかもしれない。
大竹:もちろん、既にお子さんもいらっしゃって、小学校に進学するとか、家を探している方に「下妻にこんなコミュニティありますよ」とマッチングさせるのは良いのかもしれないですが、私の様なまだ就学しながら働いているライフキャリアのステージにある人たちは、違う関わりシロを作らないと、関わりたくても関われないよな…と。
井上:ほんと、我々世代は良いんだよ。大切なのはその下の世代だよ、やっぱりね。地方創生も、団塊ジュニアの俺らの時代の政策の失敗を、大竹さんたちの様な若い世代に「若者が地方に行って子どもを産めばなんとかなる」とか、訳わかんないこと言ったり、したりしてる様に見えるから、みんな逆に東京に行っちゃうんだろうね。
大竹:そんな乱暴な関係性は信頼できないので、地方に行きたくないって思っても仕方ない(笑)。
井上:本当にそうだよね(笑)。そのまんまの地域おこし協力隊の制度で、そのまんま若い人を連れてきてなんとかしてもらって…っていうのは無理だもんな。
大竹:もしそうなったら、全然信頼できないですよ(笑)。でも、その感覚をわかってくれてる人がいるから、私は下妻に関わってるんでしょうね。
8:「ここじゃなくても良いっちゃいいんだけど」下妻の理由
大竹:閑話休題。井上さんからは「下妻にめっちゃ思い入れがある!」という様な雰囲気は、普段の会話からあんまり感じてなかったんですけど、こうして聞いてみると、お父様との思い出とか、素敵な下妻ライフを幼少から味わって来られてたんだなぁと。
井上:そうだねぇ。でも、そんな「下妻すげー!」とかは思ってないね。
大竹:良い思い出があったら、もっと郷土愛って強くなりそうなのかな、と思ってたんですけど、井上さんわりと冷静な見方だな、と思って、何ででしょうね?
井上:東京で暮らしたこともあるけど……なんでだろうね……?上手く言えないけど…下妻に何もないわけではなくて、可能性はあると思うんだよね。下妻のことを下妻市の人たちは活用できてないだけで。でも、「下妻が絶対良いんだ」って言っても、皆、価値観いろいろだから。下妻じゃないところが好きな人がいるのは当たり前だし、全員に好かれる必要はないよね。
大竹:うーん、なるほど。井上さんは自分の位置付けを客観視しているのか、バランス感覚元々良いのかな。3高関連で出会った方々は、人間関係的な、バランス感覚が良い方が多いな、と思ってたんですけど、なんなんだろうな、その理由は…潔いというのか…何でしょうね、個人の性格なのかな…
井上:この辺にいる人で、まちづくりとか「面倒くせぇこと」に出てくる人だから、そういうことなんじゃないの(笑)。
大竹:(笑)
井上:みんな地域に残って暮らしたいとか、地域を良くしたい、とは思ってっからねぇ。
大竹:私は結構引っ越しが多くて地域に帰属するというのはなくて、父も私たちに良い教育を受けさせるために、都市部に出た側なんですよね。だから、その地域を出る、という選択肢は普通だったんですよね。
井上:ああ、なるほどね。
大竹:だからこそ、「残る」という選択をしている人たちが、個人的には驚きで、純粋に「なんでだろう?」という。
井上:なるほど、なるほど。うーん…人によっては家があったり、ある程度資産があったりして、うちなんかはお寺があったりして、俺は住職やることはなかったけど、土地への帰属意識があったんじゃないのかな。
大竹:それは苦にならなかったんですか?
井上:うーん、「跡を継げよ」ってはっきり言われたわけじゃないけど。なんとなく親がしてきたこと見てきて、その時はそういう時代だったんじゃないのかな、まだね。
大竹:極論、井上さんの個人の選択とも言えるじゃないですか、どこでどう生きるかというのは。近くだったら、親にも会いに行くこともできるから、下妻じゃなくても良かったかもしれない、とか。
井上:つくばに住んでいたこともあるけど…。まぁ、良い親だったよね、うちの親はね。嫁の両親も凄く。
大竹:こんなに素敵な庭、作っておられるんですもんね。「緑の手」の方だなぁと。
井上:それは本当に。こういう売り方をした方が下妻も良いんじゃないかなぁと。「草生えなくて野菜が生える庭ですよ、どうですか?魔法の庭ですよ」ってね(笑)
大竹:魔法の庭(笑)…親と地域の関係、それは確かに大事でしょうね。
井上:ろくでもねぇ親だったら、まずそもそも「下妻が」という以前の問題でしょうけど。
大竹:なるほど、ご家族、地域含めて、良い関係性があったから、帰ろうってなったんですね。
井上:普門寺も、たいしたもんだよな、と思うよね。潤沢な資金があったわけではないけど、真面目にずっとやってきたから。砂沼周辺地区の事業が形になったのも、普門寺の影響はかなりあると思う。地権者の方々は普門寺の檀家さん多かったし。ちゃんと事業の説明や期限の話はするんだけど、どちらかというと世間話がメインで、「じゃあ、書類置いておきますからね、また来ます!」という感じで。
大竹:井上さんはそれで配属されたとかありますか?
井上:あるだろうね(笑)それで当時配属されたと思うよ。
大竹:来るべくして都市整備課に配属されたんでしょうね(笑)
井上:そうなんだろうね。都市整備課だけじゃなくて、自分で言うのもなんだけど、行った部署は全部徹底的にやる様に心がけていたね。税務課にしたって財政課にしてたって、「なぜこれをやるのか?」ていうのは考える様にして。とりあえず1年はやってみるけど、やってみた上で、「おかしくないか、これ?」っていうのは変えていこうとしたり。その頑張りがあったから、税金の知識もその土地の譲渡の税金の知識も詳しくなって、砂沼周辺地区の事業説明の時にも、「ちょっと分かんないんで持ち帰ります…」じゃなくて「これはこうです」って、ちゃんと言えたからねぇ。
大竹:井上さんの性格とも合ってたんですかね。
井上:負けず嫌いだから(笑)
大竹:さすが体育系なのかな(笑)
井上:他の町に負けたくないってのも当然あるよ。最近、他のまちでも「スケボーパーク」とかって作ってるけど、下妻の人と一緒に考えてつくっていった、という本質までは真似されてないんだよな、と。でもだから、waiwai ドームは「俺も当時はそうして形だけ真似してたのかなぁ…」って思い返したり。屋根付き広場って、富山のグランドプラザにあったから。あそこは、冬は雪で遊ぶところがないから屋根付き広場を作った、という経緯が分かっていたから「では下妻は何のために屋根付き広場をつくるのか?」と、多少は目的を考えたつもりだったけど。
大竹:waiwaiドームは、ただの真似だけにはなってないと思いますよ。仕事としてだけでなく、地域に属して活動するのは、本当に凄いなと思います。
井上:俺だけでなく、みんな地域のことを考えてるとは思うよね、相当。
大竹:そうですね、誰しも、それぞれの立場で地域のことを考えていると思います。
井上:確かに、大竹さんの言う様に、ここじゃなくても良いっちゃいいんだけどな。やっぱり、家族が守ってくれたもの、というのはあるんじゃないかな。それを自分たちの世代でダメにしたり、おかしくしたりするのではなくって、っていう気持ち。
大竹:「持てるもの」があるというのは、逆に羨ましいのかもしれないですね。
井上:大竹さんも子ども持ったらまた考え方が変わるかもね。
大竹:この先10年は、旦那の仕事のこともあるから子どもを抱えながらいろんな地域に行くことになるのかも知れない(笑)
井上:いいじゃん、子どもがいろんなところ見れていいよね。
大竹:下妻にも立ち寄って「こんなに大きくなりました」とか立ち寄れると嬉しいですね。
井上:物理的に戻って来れなくても「あ、大竹さんこんなところで、こんなことしてる!」とかも知れたら面白いよね。
大竹:行く先々で、私を経由して、下妻を知る、みたいなこともあるかも。
井上:それも良いよね!
大竹:ますます下妻とつながるための媒体が必要だなって思いました。がんばります!
以上
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