熾す人01|羽子田 莉菜 さん
皆さんこんにちは、下妻市地域おこし協力隊の大竹です。
「熾す人(おこす人)」とは、活動の規模や種類関係なく、下妻に関わりを持ち、下妻で行動を起こしている方の考えや活動を、私が「素敵だな」と感じた部分を交えて記事にするインタビュー企画です。詳しくはこちらのnoteをご確認ください。
インタビュー本編を読みたい方は目次の「インタビュー本編」をクリック!
経緯
その1人目に協力してくださったのは、しもつま3高さんの「しもつまあまびえちゃんコンテスト」にて、市長賞を受賞された、羽子田 莉菜|はねだ りな さん(30歳)です。
羽子田さんの受賞作品は、広報しもつま(No.776 令和2年12月号)の表紙も飾っているので、彼女の作品をご存知の方もいらっしゃると思います。
彼女の作品を見た時に、構成やモチーフ選定に丁寧に時間をかけて、細かな表現にも拘っておられるのがすぐに感じられて、「どんな方が描かれたんだろう?何を使って描いたんだろう?」と、とても気になっていました。
授賞式で羽子田さんと実際にお会いし、「実は今、下妻の方にインタビューをさせていただいて、noteで記事として投稿する企画を考えていて…」とご相談したところ、即OKを頂き、早速かふぇまるにて、インタビューをさせていただくことになりました。
現在、仕事の関係で住んでいらっしゃる埼玉県と、ご実家のある下妻市で二拠点居住をされている羽子田さんに、コンテスト応募のきっかけや、普段のイラストレーション制作活動について、下妻への想いなど伺いました。
インタビュー本編
1.「しもつまあまびえちゃんコンテスト」について
ーーー応募者の中でも珍しい30代の方で驚いたのですが、コンテストに応募されたきっかけを教えてください。「しもつま3高」やかふぇまるも前からご存知だったんですか?
コロナで勤め先の都内の会社が在宅ワークに移行し、それまで通勤のために住んでいた埼玉県と、実家の下妻との二拠点居住を始めていた中で、家族が「お知らせ版」に載っていたコンテストの情報を教えてくれたのがきっかけですね。
コロナ禍で大変な状況の地元を見て、絵を通して下妻市のことを伝えるという活動を丁度考えていた頃でもあったので、その第一歩として作品を応募することを決めました。
「しもつま3高」や、かふぇまるは全く知りませんでした。たまたま投函しようと持参した時に、かふぇまるが開いていて、蝶ネクタイをしたおじさん(住谷会長)がいらっしゃったので、お渡しした感じです。
ーーーそうだったんですか(笑)またそうした機会に活用していただけてありがたいです!ところで、今回の作品はアナログにもデジタルにも見えて不思議だったのですが、何で描かれたのですか?また、制作で大変だった点も教えてください。
グラフィックソフトを使用していますが、アナログ画材を使用した様な雰囲気をだすことを大切に描いたので、そう感じてもらえて嬉しいです。
市の形をあまびえちゃんに見立てることを決めたのですが、どうやってあまびえちゃんに見せるか、どういう風に塗ったら自分が表現したい様に描けるか、こだわって考えていたら1ヶ月ぐらいかかりました。
(ポピーやオオムラサキなど下妻市の要素が詰め込まれてる作品で、この距離だと分かりませんが、ポピーの花びらまで丁寧に書き込まれています。)
2.イラスト制作活動について
ーーー構成も書き込みも丁寧で、きっと、ずっとイラストを描かれてきた方なんだろうな、と思ったのですが、そういう分野で勉強されていたのですか?
小さい頃から絵を描くのは好きで、趣味で描いて人にあげる程度のことはしていました。大学は、茨城大学教育学部の情報文化課程を卒業しています。今はなくなってしまった課程ですが、多角的なことが学べて、ものづくりや創造的なことをしている人が多く在籍していました。
2年生の中頃まではメディア系の分野に興味があって、社会学の授業も受けていましたが、学生主体で水戸市近辺や大学の広報を行う他学年との合同授業で動画の撮影リーダーを務めた経験から、「ものづくりをやりたいな」という気持ちになって、3年生から平面イラストレーションに移行しました。卒業作品では、Photoshopを使用して、世界のお祭りの様子を猫で表現するポスターを制作しました。
ーーーお仕事も制作関係の仕事ですか?
仕事は全然関係ない職種なのですが、卒業制作でも描いた様に、猫が大好きで、普段は、猫をモチーフにしたイラスト制作やグッズ作成して、Instagramやtwitterで作品を投稿したり、「デザインフェスタ」や、「ニャンフェス」やなどのイベントにも出展したりしています。
(戴いた可愛い猫グッズ、紳士淑女と風猫雷猫、猫愛に溢れている!)
ーーーずっと制作活動を続けてきてらっしゃるんですね。どうやって制作活動のモチベーションは維持されていますか?私自身、制作や作業が進まないと焦ってしまって、モチベーション維持が難しいのですが…
イラストを描くことは義務的にはしたくないけど、机に向かわないと制作するやる気は湧いてこないので、自分から率先して机に向かう様にはしています。あとは、他の人の良い作品を見ていると「私も何か描こう!」とモチベーションも上がって来ます。悔しさもあるかも知れません。
自分が好きなことに対しては、期限を決めないで、より良いものを作ろう、という方向に気持ちが動くので、制作が進まない時に気持ちが焦ることは少ないですね。 昔はビジュアル系バンドのコスプレイヤーを本格的にしていたこともあって、当時は衣装の制作や、今でもハロウィンの仮装やマスクなど制作しています。それらの経験の中で、焦っても何も生まれないことを身に染みて感じていて「忍耐だな」と学びました。
(好きなことに対してのリスペクトとストイックさ、見習いたいです…!)
3.地元下妻に想うこと
ーーーそういえば、埼玉と下妻はなかなか距離があって大変かと思うのですが、どうしてご実家の下妻で在宅ワークをすることにされたのですか?
最初は埼玉の自宅に籠もって仕事をしていたのですが、次第にストレスが溜まって来て…どうせ出勤しなくて良いのなら、自然がある下妻の方が落ち着くし、リフレッシュできて楽だな、と帰って来ました。猫もいるし(笑)
この間も、運動がてら砂沼を一周したのに、「葵カフェ」でパンケーキを食べてしまって(笑)。都内へ出勤する必要がある場合には、埼玉の自宅に寄って、と便利に使っています。
ーーー理想的な二拠点居住ですね。将来的には、下妻で暮らそうと考えていますか?
下妻に帰るかは未定で、その時にならないと分からないですね。どうしても東京への憧れが強くて。下妻の良さも知りつつ、東京や他の地域でも活躍できる様になりたいです。仕事も、心の赴くままに、必要とされるところ行きたいな、と思っています。
よくある話ですが、昔は地元が苦手でした(笑)。今も少し感じていますが、噂が早く広まるとか、プライベート空間がないとか。当時の学校のコミュニティもあまり好きではありませんでした。そこから一線を画したい、という心理もあると思います。高校卒業したら東京に行きたくて、大学も就職も都内を目指してました。でも、なかなか縁がなくて、大学も最初の就職も茨城県内で「私はずっと茨城に縛られる運命なのかな…」と、思っていたこともありました。
ーーーそうした経験があるのに、下妻に戻ってくる選択をされるのは凄いなぁ、と思うのですが、なぜですか?
やっぱり自然が豊かなことと…これは偏見かも知れないけど、都会の人の方が「気取ってる」人が多い気がしていて、例えば「虫が触れない!」という人は下妻にはあんまり居なかったなぁ、とか(笑)
あとは、車は必須ですけど、インフラは充実しているし、お店も特に困ったことはないし、住みやすいとは感じています。今のところ、必要以上に人と付き合うことがないのもあると思います。
ただ、自分の作ったグッズを売るのは東京のイベントがメインで、こちらにはそういう機会がないのはネックではありますね。
東京も下妻も良いところはあって、一長一短だと思うので、都会と田舎の良いところにそれぞれ順応して行けたら良いな、と思います。
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編集後記
作品や、メールでやりとりしている時から「丁寧な方だなぁ」という印象があったのですが、実際お会いして話してみると、その印象がより一層強くなりました。
自分の思った通りに行かなくても、自分が大切にしたいこととじっくり向き合いながら一つずつ自分で選択をされてきた同世代と話せて、私も勇気づけられた気がしています。
羽子田さんは現在、ご自身のSNSで、地元下妻を応援するイラストレーションを少しずつ描いて発信されています。
美味しそうなグルメ以外にも、いろんなテーマで投稿される予定だそうです。羽子田さんのInstagram、Twitterをぜひチェックしてみてください!猫のイラストもいっぱいありますよ /ᐠ。ꞈ。ᐟ\
Instagram(shu_puku_pi)/ Twitter(@shu_puku_pi)
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私自身初めてのインタビューでしたが、快く引き受けてくださり、いろんなお話をしてくださった羽子田さんに改めて感謝です。ありがとうございました!
取材/文章/写真:大竹 英理耶
取材日:2020年12月7日
*この記事はインタビュー内容を元に編集・再構成しています。
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