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ここでなら息が吸えると信じられる場所は、何箇所あったっていい。

「日本の女子サッカー界も、セクシュアル・マイノリティにとってのセーフティな場所であれると思いますか」

女子W杯開催中のタイミング、NHK・クローズアップ現代で「女子サッカーとLGBTQ+」を切り口に番組を放送するとのことで、5月から取材をしていただいていた。冒頭の問いは、その取材中に質問されたものだ。

今回の放送にあたり、日本の女子サッカー界だけでなく、アメリカのトップリーグの試合も取材をしていると担当者の方が教えてくれたので、取材のなかで印象に残っていることは何ですかと聞いたことがある。

すると、アメリカの女子サッカーファンは性的少数者をはじめマイノリティが多いということ、そして、そこに訪れるファンの人たちは口を揃えて「女子サッカーの試合会場は、自分たちにとってセーフティなんだ」と話していたと教えてくれた。

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2023年7月、とても悲しい出来事があった。訃報を知ったとき、たまたまひとりではなくて、"人がものすごい勢いで沈んでいく姿"を近くで見ていた。

パートナーや友達や仕事の仲間たちが、何だかわからぬままに沈んで行く様子を見ていて、ときには戻ってこれないのではないか、いなくなってしまうのではないかと心配になったりもした。LINEで連絡を取り合ったりもしたけれど、やっぱり、ちゃんと顔を見て、お互いの体温を確認する場所が欲しかった。

水たまりに映るスパイクを持った下山田の後ろ姿

謎に自分は沈んじゃダメだなの気持ちになったりもしたけど、やっぱりダメだった。しばらく、ぽっかりとした無力感があって、浮かび上がってこれない感覚があった。

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プライドマッチという言葉を聞いたことがあるだろうか。

プライドマッチとは、スポーツクラブが試合前、試合中、試合後などに、LGBTQ+コミュニティに対する平等と尊重の姿勢と、サポートを表明する試合のこと。私が所属している女子サッカークラブ、大和シルフィードでも、プライドマッチを3年連続で行っている。

日本国内では、プライドハウス東京さんが主体となって、女子サッカーをはじめとするスポーツクラブやリーグとのプライドマッチの開催を行っているが、まさしくその動きは、マイノリティにとっての"セーフティ"な場所をつくるための動きだと思う。私自身、選手としてプライドマッチに参加した経験は2回あるけれど、自分の所属するクラブや業界がプライドマッチを開催すると決めることそのものに安心感があるなと思う。ここでなら排除されることはないと思えるから。

私が所属しているクラブが、LGBTQ+コミュニティへのサポートを表明するクラブであることが非常に誇らしいなと思いながらも、プライドマッチを終えた後にいつも思うことがある。それは、プライドマッチはお祭りでも商業的なイベントでもないよねということ。やらないよりはやった方がいいことは間違いないけれど、プライドマッチで発したメッセージは、クラブの根底にある価値観として、クラブに関わるスタッフ・選手・ファンサポーターの価値観として、ずっと残り続けていなければ意味がないのではと思えて仕方がない。

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2022年、同性婚訴訟、大阪地裁判決。同性間の婚姻を認めない現行法を合憲だと判決されたとき、コミュニティが怒りと悲しみで溢れかえっていた。

あのとき、普段、6月のプライド月間の際にキャンペーンを行っている企業や、プライドマッチを行っていたスポーツクラブのなかで、一緒に声をあげてくれた企業やクラブはどれくらいいただろうか。

以前、大好きなひとりである来田享子先生(中京大学の教授をされている)がお話しされていた「本当に辛い想いをしている人が声をあげなければいけない社会ではなく、その周りにいる人たちが声をあげられる社会にしたい」という言葉をわたしは胸にしまって生きているのだけれど、コミュニティが求めているのはまさにこの言葉の通りで「本当に辛い想いをしているときに、一緒に声をあげてくれること」なのだと思う。

大々的なキャンペーンや、1日限りのイベントだけでは、救えない命がある。

遠征先のバスに、落ちていた虹

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7月の一件のとき、なでしこリーグはちょうど中断期間で試合がなかった。

「つらかったら、大和なでしこスタジアムにおいで」と「試合後に選手と話せる時間があるから、そこでハグしよう」と言えたらよかった。「あいつ、元気かな」「大丈夫かな」と頭に浮かんだ人たちの顔を見ながら、お互いの体温を感じて、サッカーにパワーをもらって、心から安心して過ごせる場所をつくれたらよかった。

でも、場所がなかったとしても、クラブや選手たちから「自分たちはコミュニティの味方で、どんな性のあり方の人でもサッカーを楽しめる場所であり続けるよ」「差別や偏見は絶対にあってはならないことだよ」「ひとりじゃないよ」と伝えることはできたはずで。その言葉を伝えた上で、毎試合、誰も排除しないスタジアムを用意し続けることが自分たちができることであり、やるべきことだったのではないか。

「日本の女子サッカー界も、セクシュアル・マイノリティにとってのセーフティな場所であれると思いますか」

答えは間違いなく「イエス」で、女子サッカー界だからこそ発信できるメッセージがあるし、女子サッカー界だからこそ誰もが安心できる場所をつくっていけると私は信じている。

これまで、女子サッカー界は、当事者の選手たちが他業界と比べても生き生きと過ごせる環境だったし、男女だけではない性のあり方が存在する事実を理解する人がたくさん存在する業界だった。だからこそ、当事者の選手の多くは、自分がマイノリティであるという感覚のない、安心感と居心地の良さに溢れた場所でプレーできていたはずだ。でも、その事実は、女子サッカー界の良い一面であり、課題でもあったのかもしれない。視点を社会に向ければ、安心できる場所を持てない人たちがいるのに、自分たちがあまりにも居心地が良いあまりに「自分が良ければ全てよし」になっていなかっただろうか。自分たちがもつ視点や居心地の良い場所を、本当に苦しんでいる人たちのために開いていくことが、自分たちがやるべきことなのではないか。

リーグも、クラブも、スタッフも選手もファン・サポーターも、私たちは、もっと学ぶ必要がある。LGBTQ+の基礎知識を知るだけでなく、社会で何が起きているのかを知ろう。ジェンダー・セクシュアリティのイシューが起きてしまっている社会の構造を知ろう。その構造に対して自分たち女子サッカーという業界が何ができるのかを本気で考えよう。そして、当事者にとって本当につらい何かが起きた時に、自分たちがどこよりも早く手を拡げられる準備をしよう。

息が吸えると信じられる場所は、何箇所あったっていいんだから。

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追記:Nikeのドキュメンタリー「What are you working on ? 」への出演オファーをいただいたのは、今年のはじめ。
「自分は一体なにを頑張っているのだろう」正直、言葉になっていない感覚があったし、迷い戸惑う姿を見せることに怖さがあった。でも、NIKEと制作チームの皆さんは「それでいい」と言ってくれた。怒り、悩み、考え、言葉にすること、スポーツを通して感じたことを迷いながらでも表現できることがしもさんの良いところだと思います、と。
結局、動画の自分はやっぱりひどく悩んでいて、社会に対する怒りの感情との向き合い方や、ありのままであることを表現しきれない自分へのもどかしさばかりがフィルムに残っていた。でも、そうやって、なぜ女子サッカーなのか、なぜ選手であり続けるのかを悩み考え続けたからこそ、いま、このnoteを書くことができている。
サムネイルの写真は撮影のときの写真。監督のアントンも、制作チームの皆さんも、NIKEのみなさんも、みんな体温の高い人だった。否定されることがない安心感があれば、こんなにも人は胸をはって息を吸うことができる。
シルフィードも、NIKEも、わたしにとっては社会を一緒に変えていきたい大切な仲間たち。当事者が一番苦しいときに、一番に手を拡げられるように、これからも一緒に学び続けたい人たち。ひとりじゃない。だから、悩み、考え、学び、動き続けられる。


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