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子供の頃、体育が嫌いすぎて死にそうだったんだけどみんなはどうだったのよって話。


サッカー歴は、今年で17年になる。

小学校3年生の頃から毎日サッカー漬け。サッカーのない週末なんて考えられなかったし、そんな毎日が自分にとっての幸せだった。

そして、それは今でも変わらない。

コロナによって、長い期間チームメイトにも会えず、ボールを蹴りに外に出ることも許されず。今までの人生ではありえなかった時間を長い間過ごすことになったのだけれど、やっぱりソワソワと落ち着かなくて。週末にサッカーのない時間は耐え難くて。


今、ちょっとずつだけれど、再びチームメイトと一緒にボールを蹴れる幸せを噛み締めている。

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なんでこんなにも長い間、サッカーを辞めずに続けてきたのかといえば、それはサッカーを始めた理由にも通ずると思っている。

自分がサッカーを始めたのは、小学校の休み時間、一緒にサッカーをしていた男子に「お前サッカーうまいから少年団(小学校に属するサッカークラブ)に入れよ!」と声をかけられたことから始まる。

小さい頃から泣きながらピアノや踊る方のバレエを習わされ、ちょっとでもやんちゃな態度を取れば「女の子らしくしなさい」と怒られて。女の子らしい女の子になることを求められ続けた挙句、それが肌に合わなかった自分にとってサッカーをしている時間は至福だった。

男子と一緒にグランドを駆けずり回り、言葉遣いが多少悪くてもなんとなく許されて、相手とぶつかりあおうが転げ回ろうがそれが当たり前。そんな”自分に合っている”と感じる場所を見つけることができて心底幸せだったのである。

そして、それは今でも変わらない。

小学生の頃と比べたら、ちょっとは言葉遣いも大人になったし(気性は茨城ベースだけど)、やっちゃいけないことの分別もつくようになった。それでも、サッカーをしている時が1番自分の感情をフルに出すことができる。こうしなさいああしなさい、と決められた何かではなくて。自分の意思を感情を、フルに表現することができる。

スポーツの、そしてサッカーの魅力はそこにあると思うし「自分らしさ」を表現できない場所でのスポーツは全く楽しくなくないものだと思っている。


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「好きな教科、なんだった?」

サッカー関係の友達とこの話をしていると大抵が「体育」と答える。(ねえ、ものすごい確率でみんな体育好きじゃない?)

が、自分は体育が嫌いだった。心の底から。体育がある日は学校を休みたいレベルで嫌いだった。

何が嫌いって、まず、体操服に着替えるところから嫌い。なんでみんなと同じ服装にわざわざ着替えなくちゃいけないの?めんどくさい。そんでもって、外に出れば男女別に並ばされて、体育座りという世にも奇妙な格好で座らされる。

男子と一緒にバチバチなサッカーがしたくても、女子は体育館でバレーボール。運動会だって、男子が騎馬戦をしている間、女子は台風の目。1年に1回の運動の祭典、こっちだってバチバチにやりあいたいんだわ。

とにもかくも、体育という科目は心の底から嫌いだった。

体育の時間、身体を動かしていても自分らしさなんて微塵も感じられない。動きや立ち振る舞いが決められた箱にポンと放り込まれて、その通りに動いてねって言われている感覚。そして、そのルールにはまらないと成績を落とされるという地獄。

体育なんて糞食らえ。ずっとそう思ってた。


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ある時、アメリカのLGBTユースを対象にした調査を知ったのだけれど、その調査の内容が驚きだった。

調査の中には「学校で嫌いな場所を教えてください」という設問が合って、その回答の上位は「体育館・グランド・更衣室」占めていた。全て、体育に関わる場所。

前に、ゲイの友人と話していた時に「自分はスポーツしたいと思ってたんだけど、友達に走り方が女性らしいってバカにされてスポーツしたくなくなったんだよね」という話を聞いたことがある。

自分の場合、むしろ女性らしさから逃げるようにサッカーの世界に飛び込んだのだと今になっては思っているんだけど、逆に男性らしさが嫌すぎてスポーツができないという現象も起きていることをその時に知った。


これはだいぶ前にP&Gの生理用品ブランド『Always』が「本当の女の子らしさ」に関する実験をしたという動画。

「女の子らしく走ってみて」

そのお願いに対して、大人と子供がそれぞれどのような動きをするのかを動画に納めたものなのだけれど、それぞれの違いが衝撃的だった。(詳しくはこの動画を見てみてね。3分くらいだから。)

私たちは無意識に「女の子らしさ」や「男の子らしさ」が頭に染み付いてしまっているということ。そして、それを無意識に自分や他人に求めてしまったりしているということ。

学校での自然と男女に分けられる空気感や、スポーツのマッチョ至上主義問題。一見当たり前のように日常に馴染んでしまっていることでも、その当たり前さに苦しめられている人は多い。

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以前、慶應大の大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科とラグビー部が、日吉台小学校にてスポーツデータサイエンスプログラムを実施したというニュースを読んだんだけど、これがめちゃくちゃ楽しそうだった。(このプログラム、今年も実施しているらしい)

データサイエンスとか、ドローンが飛んでいるとか、そうゆうところも勿論楽しそうなんだけど。個人的にめちゃくちゃ良いなあと思ったのは、自分がどれくらい走ったかなどを個人ベースで計測してくれるということ。

試合に勝った負けたも勿論大事なんだけど、自分のスキルがどう成長していくかを楽しむことやスポーツを楽しむ方法を知ることができることは何よりも大事だと自分は思っていて。

昔、体育が嫌いだった理由は、自分が体育を楽しむこと以前に、「みんなと一緒であること」を求められたり、女子と男子で選択肢が違かったりする前提が嫌だったから。逆に、スポーツを通して自分自身に矢印を向けること、そしてそれが推奨される環境だったのであれば、もっと純粋に体育を楽しめたと今になっては思うわけ。

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25歳の今、ありがたいことにほぼ毎日大好きなサッカーに打ち込める幸せな環境に身を置いているわけだけど、やっぱりサッカーって本当に楽しいなあと感じずにはいられない。し、そんなサッカーに感謝の気持ちしかない。

自分は、自分らしさを押さえ込まれる体育というものが本当に嫌いだったけれど、サッカーに出会ったことで自分らしくいられる居場所を見つけたと思っている。

スポーツ界にはまだまだ「女性らしさ」「男性らしさ」が根強く残っていると思うし、ピッチを降りればそれらにモヤモヤさせられることも勿論多い。でもやっぱり、ピッチに立っている時間は良くも悪くもそれらを丸っ切り忘れ去れるだけの解放感がある。

スポーツには”自分らしさを表現できる場所"になるポテンシャルがあると実体験で学んだからこそ、もっと多くの人にスポーツの世界に飛び込んできてもらえたら嬉しいのだけれど。でも今はまだ、そのポテンシャルが全然活きていない、むしろ体育によって削られているようにも感じている。

「みんなでスポーツを楽しもう」なんてフレーズが至る所で使われているけれど、その"みんな"から省かれてしまっている人が多すぎるよなあと。多くの人がスポーツに触れる入り口にもなりうる体育によって、スポーツをするという選択肢が人生から消えてしまう子もいるんじゃないかなと感じずにはいられない。


結論、偉そうに問題点ばかりあげて解決策を提案できずにモヤっているのだけど、今は自分自身が本気でサッカーを楽しんでいる姿を通して「スポーツやりたい!」「女子サッカー面白そう」って少しでも多くの人に思ってもらえることが自分にできることなのかな。そう思っていたりする。


(なでしこリーグの開幕戦が7/19(日)に決まりました。リモートマッチということで、動画の配信は…あるのだろうか…。確認次第、追記します。もしあったら、見ていただけると嬉しいです。)







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