フー・ボー監督、デビュー作にして遺作、『象は静かに座っている』について語る
フー・ボー監督のデビュー作にして遺作
この作品を語ろうとする時に、必ずついてくる言葉だ。評判の良さは知っていたが、失礼な話、その事込みの評価なんじゃないかと疑っていた。加えてインターバル無しの234分(つまり3時間54分!)という長尺もあって観るのを躊躇していたが、この機会を逃すと、恐らく一生観ない作品だろうと、先日アップリンク吉祥寺で鑑賞してきた。
結果から言うと、筆者の心にグサクサ刺さりまくる傑作だった。なので本作に対する感想をここに残しておきたい。
【物語の概要】
主な登場人物は四人
学校にも家にも居場所のない少年ブー、その同級生で母親との関係が上手くいっていないリン。実業家の両親を持ちながら、家庭内でつまはじきものにされているチンピラのチェン。娘を都会の学校に通わせるために、老人ホームに入れられそうになっているジン。
中国の小さな田舎町を舞台に、各々が見舞われる悲劇によって運命が交錯する四人の一日を描いた物語だ。
【タル・ベーラ監督譲りの演出が素晴らしい】
まず惹きつけられたのが、その演出。234分あるという事で、間違いなく途中ダレるだろうと思っていたら、全然そんな事なかった。開始から3時間くらいは時間の長さが気にならなくなるくらい物語にのめり込んだのだが、その要因の一つは間違いなく演出にあると言っていいだろう。
決定的な事は映さずに人物の表情から状況を描いたり、物音の使い方(序盤のドアのノックの音とか)など、この監督、不穏な雰囲気と緊迫感を作り出すのが凄く上手い。
『象』といい、背後から追いかけるようなショットの多用といい、監督、絶対『エレファント』(ガス・ヴァン・サント/2004年)が好きなんだろうなと思ってたら、タル・ベーラ監督のもとで映画作りを学んでたと知って納得。時間軸のいじり方も『エレファント』なんだけど、そもそもたる・ベーラ監督の『サタンタンゴ』(1994年)譲りだしね。
そんな訳で『エレファント』好きな人には特にお薦めしたい。その演出の類似性は、一見の価値はあると思う。
【中国の地方社会の現実、それは現代を映すテーマ】
絶望を抱えた4人の運命の交錯。全員どうしようもない悲劇に見舞われるのだが(個人的にブーとジンは同情してしまうが、リンとチェンは自分で蒔いた種な気も…)、筆者個人は特にブーに感情移入しながら観ていた。
物語後半で、ブーが老人たちに酷く悪態をつく場面があるけど、あんな状況に陥ったら、そりゃ心も荒むだろうよ。そこからの草むらでの叫びは、観ててなかなか筆者の胸にくるものがあった。ブー本人も恐らく分かってないだろうけど、あの罵声の相手は他人でもあるし、社会でもあるし自分でもあるんじゃないだろうか。
そしてこの映画、登場人物達の行き詰った現状を突き詰めていくと、貧困というテーマに行き着く。
ブーが学校で馬鹿にされているのも、ジンが粗末な老人ホームに入らないといけないのも、リンの家庭が荒れているのも彼らが貧しいというのが理由の一つだ。
そしてそれは、この映画全編に漂う閉塞感の要因の一つとなっている。
頑張っても這い上がれない現状、どこにも行けない自分たち。
近年の『万引き家族』、『ジョーカー』、『家族を想うとき』、『パラサイト』など世界中で話題となっている作品に貧困問題がテーマとして掲げられている事を忘れてはいけない。
この作品も、間違いなくそれらの作品に潮流の乗る作品であって、現代の中国の地方社会の現状を観る者に伝える役割も担っている。
【希望なんてない、それでも人は希望を求めるのか】
物語終盤、彼らはある行動に出るのだが、その時にジンが語る言葉がとても印象的。正直、この常葉の節々に、監督の厭世観を感じてしまう。
希望なんて一切描かれないこの物語、恐らく彼らの人生は行き詰りだろうし、その先は絶望が待っているんだろう。だが、彼らが行動したその先に、何かあって欲しいと願わずにはいられない。
そして、どんな状況でも希望を求める行為こそ人間の性なのかもしれない。
終盤のブーの行動を観て、筆者はそう解釈した。
フー・ボー監督が何で自殺したかは分からない(234分という長時間での公開を巡って製作陣と対立したともあったし、作品を観ても監督の厭世観はとても強く感じる)
一つ言える事は、フー・ボー監督の新作が観れないのは、映画好きとしては、とても残念だという事。
もし生きてたら間違いなく作品を追い掛けていきたい監督だっただけに。