2021年の大晦日に
ペラペラな、堪能な英語を話す日本人の友人を昔は羨ましいと思っていたのだけれど、よく考えてみれば日本語ですら「堪能」に話していない(ここ最近だいぶ書き言葉大量生成のおかげで饒舌になってきたが、)あたしがましてや母国語じゃ無い英語をそんな簡単に堪能になれないと思えたのは大きい。
し、ひとつひとつの言葉をあーだこーだ考えながら紡いでいることを、第二言語として英語を幼い頃習得した経験のある人にちゃんと理解してもらえたので、その理解者がひとり居ただけでもう十分だと思えたのがかなり大き