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生徒が学校に戻らない。パソコン授業が貧困の連鎖を救える?

バングラデシュ南部のコックスバザールは、僕の拠点の街。ここには30年以上、運営にかかわる小学校がある。これまで毎年、年に2~3回は訪ねていた。ところが新型コロナウイルスの感染拡大のなか、バングラデシュ入国が難しくなってしまった。
ようやく⋯⋯。3年ぶりのコックスバザールだ。
コックスバザールとのつながりは、この一帯に暮らす少数民族の仏教徒ラカイン人からはじまった。ミャンマー系の人々だ。コックスバザールの滞在は、いつも彼らに助けられて進んできた。ラカイン人の暮らし、そして小学校のいまを。
僕らが運営にかかわる小学校は、継続的なクラウドファンディングを行っている。興味のある方は以下を。
https://community.camp-fire.jp/projects/view/501440
あるいは「コックスバザール グッドモーニング」で検索を。
 
旅の期間:6月17日~6月20日
※価格等はすべて取材時のものです。


イスラム圏のビーチリゾートホテルということを理解すること

(旅のデータ)
僕はいつもコックスバザールのラカイン人の家に世話になっている。ホームステイである。はじめの頃は街のなかにあるホテルに泊まっていたが。コックスバザールのホテルは、海沿いに集まっている。高級ホテルも多いが、ホテルのサイトから検索すると1泊1000円台も。ビーチリゾートホテルが多いが、イスラム圏であることを考慮してほしい。アルコール類はなく、ビーチで水着姿になる人はいない。以前、運営する小学校支援にきてくれた日本の女子大生が、Tシャツにショートパンツでビーチに出かけたところ、大変な騒ぎになってしまった。日本人が想像するビーチリゾートではないことを頭に入れておいてほしい。

ラカイン人の朝市。酒は密造酒のようにそっと売られる

(sight1)

到着した日の朝、世話になる仏教徒の少数民族ラカイン人の家の前では朝市が開かれていた。この一帯はラカイン人が多く住んでいる。路上で店を開くのも、コックバザール周辺の村に住むラカイン人が中心。畑で朝、採れた野菜を並べる。魚や貝などが並ぶことも。この朝市は週2回。実は客の目当てはもうひとつある。それは次の写真で。
 
(sight 2)

浜で獲れた貝を売るラカイン人。右側のおばさん足許にあるビニール袋。そこには酒が入っている。ラカイン人は仏教徒だから飲酒は自由。しかしバングラデシュの国教はイスラム教。ラカイン人が酒を飲んだり、売買することは違法ではないが、人前では見せないようにしている。飲むのも家のなか。ラカイン人の気遣い? いや少数民族の流儀? 一見、密造酒のようにそっと売られる。

ラカイン人の家はラカイン料理とラカインチェアがついている

(sight 3)

世話になるラカイン人の家は食事つき。僕は街の食堂で食べてもいいのだが、そうするとラカイン人はいい顔をしない。外で食べる料理はベンガル料理。イスラム系である。「この街に来たら、私たちの民族の料理を⋯⋯」。それは民族の矜持? ラカイン人はミャンマー系だから、野菜の使い方がより日本に近い。これは夕食。日本に近い⋯⋯わかってくれるかなぁ。
 
(sight 4)

ラカイン人の家に泊まり、楽しみは朝食。これもベンガル料理とはまったく違う。これはココナツを餅でくるんだもの。そう、餅。ベンガル料理に餅はない気がする。それとミルクティー。これはバングラデシュ流。ミャンマーのそれと少し違う。つまりテーブルの上に東南アジアと南アジアが共存してる。贅沢な朝食?
 
(sight 5)

ラカイン人の朝食パート2。これは焼きそば。ミャンマーから届く東南アジア系のインスタントの袋麺を使う。それを戻し、野菜や豚肉を入れて⋯⋯。朝から麺? 僕はあまり得意ではないのだが、この焼きそばだけはしっくりと胃に収まってくれる。つくり方に秘密がある? これは僕の謎。ミルクティーにもなぜかすごく合う。
 
(sight 6)

僕が泊まる家は知人の父親の代からのつきあいだ。もうだいぶ前にお父さんは亡くなってしまったが。英語がうまいダンディな人だった。お父さんが老後、いつも座っていたのがこの椅子。僕は勝手にラカインチェアと呼んでいる。ひじかけが広く、ここにミルクティー、ときに本を置くこともできる。僕のお気に入りの椅子。知人は僕の泊まる部屋に、いつもこの椅子を入れてくれる。この椅子に座って午後の昼寝。もう最高です。

ラカイン族はこの寺を必死に守りつづけている

(sight 7)

僕が運営にかかわる小学校に向かう。学校は仏教寺院の土地にある。昔風にいえば寺子屋。寺の敷地内にあるので安全な学校ともいわれる。ここが寺の入口。ここで靴を脱ぐ。以前はここに下足番のおじさんがいたが、いまは無人。サンダルを手に寺に入っていく。足の裏から伝わる通路のレンガの感覚。それは仏教エリアに入る通過儀礼。
 
(sight 8)

ここを通ったのも3年ぶり。以前は寺があるだけで、この仏像はなかった。コロナ禍の間に設置されたようだ。どこか親しみのあるミャンマー系の仏像の顔。日本のそれとは違います。この仏像の近くにヘビの置物も設置された。コロナ禍の間に、なにげににぎやかになった寺。2年という年月は着実に進んでいた。

(sight 9)

この寺はコックスバザールの寺の中心でもある。街に暮らすラカイン人は、必死に寺を守っている。敷地は狭くない。ここを抜けた先には丘もあり、その頂にはパゴダも建っている。しかしそこにベンガル人が勝手に家を建ててしまう。行政に訴えても反応は鈍い。ラカイン人は少数民族という脆弱な立場のなかにいる。

 
改築が終わったところで新型コロナウイルスに襲われた

(sight 10)

僕らが運営にかかわる小学校。築30年を超え、老朽化が激しかった。廊下の木は腐り、穴が開いていた。クラウドファンディングを募ったところ、300万円を超える支援が集まった。それを資金に改築した。さて、これから安全な校舎で勉強ができる⋯⋯というところで新型コロナウイルスの感染がはじまってしまった。今年が実質的な仕切り直し。
 
(sight 11)

なぜ僕がこの学校に? 話は31年前に遡る。僕と同じように旅のライターだった知人がダッカで死亡した。気の合った友人だった。彼がミャンマーの民主化運動にかかわり、軍に追われてバングラデシュ国境に逃げていた学生たちを取材していた。そこでマラリアに罹ってしまった。彼が拠点にしていたのがコックスバザールだった。彼の思いとは少し違ったが、小学校を運営することになった。それがいままでつづいている。学校脇には娘さんが書いた碑もある。

 
これでは貧困の連鎖が起きてしまう

(sight 12)

コロナ禍が収束に向かい学校は再開。授業ははじまっていた。しかし、おやッと思うほど生徒が少ない。先生たちに訊いてみた。コロナ禍前は140人ほどいた生徒の半分ほどしか学校に戻ってこないという。「この学校は貧しい家の子供が多いんです。休校が2年間つづいて、家の手伝いなどをして、学校に行かない生活が定着しちゃったんです。コロナ禍で生活も大変だから、親も子供の労働力を期待してしまう。貧しい家は、親も学校に行かなかった人が多い。子供に学校が再開したから行きなさいっていわないんです」。コロナ禍が生んだ新たな問題だった。これでは貧困の連鎖が起きてしまう。
 
(sight 13)

学校の経営も逼迫していた。学校の運営は僕らが日本から送る資金と授業料でまかなわれていた。貧しい家の子供は授業料を免除しているが、比較的、余裕のある家からは受けとっている。しかし生徒が減ってしまっては。バングラデシュも物価が急上昇していた。先生の生活も苦しくなっていた。新たな問題が迫ってくる。

パソコン授業がはじまった。好奇心いっぱいの瞳に救われる

(sight 14)

改築は終えたが、それは屋根や柱、廊下などの躯体部分の工事が中心だった。子供たちの椅子、防犯設備を備えた窓、水まわりやトイレの修理⋯⋯。先生たちから要望も寄せられている。しかしいまの僕らにはその資金がない。どうやって修繕していこうか。先生たちと連日のアイデア会議。
 
(sight 15)

今回、中古のパソコンを4台持参した。これは前から決まっていたことで、パソコン授業をはじめる話が先生との間で進んでいた。コロナ禍でなかなかもち込めなかった。5年生のクラスで試験的に授業をはじめてみることにした。その場に立ち合ったが、生徒の目つきが急に変わった。好奇心一杯の瞳。なんだか希望がもてそうな気がした。
 
【次号予告】次回は9月16日。コックスバザールの南に広がるミャンマーからのロヒンギャ難民キャンプ、そして国境の村へ。
 
 















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