僕をバックパッカーにした? エチオピアへ
アディスアベバに着いた
コロナ禍の旅。今回は僕をバックパッカーに育ててくれたエジプト・エチオピアへ。40年前、旅の記録のようにつけたノートを読みながらエチオピア航空に乗った。
40年の間、僕はなにをしてきたのだろう。海外に出ては本を書き、動画を撮ってアップし⋯⋯。しかし世界は新型コロナウイルスに襲われ、海外旅行もままならなくなってしまった。海外に向かう飛行機に乗る機会が減るなか、東京の自室で自問する。あのエジプト・エチオピアの旅から、僕はどこを歩いてきたのだろう。
コロナ禍の旅は気を遣う。渡航する国にウイルスをもち込まない。日本にウイルスをもち帰らない。感染を防ぐ努力は、旅人の精神状態を落ち着かせてくれる効果がある。
成田空港に向かった。
はじめて海外に出たときのように不安と好奇心がないまぜになった気もちで。
カイロ往復で7万8200円
【旅のデータ】
エチオピア航空を使った。アディスアベバ経由でカイロという、僕の旅にぴったりのフライトがあった。往復で7万8200円。コロナ禍といっても、運賃をあげていないことがありがたい。ルートはまず成田空港から韓国の仁川国際空港。トランジットでエチオピアのアディスアベバへ。もう1回トランジットでエジプトのカイロまで。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、各国はさまざまな対策をとっている。そのための経費も必要になる。そのあたりは「旅のフォト物語」本編で説明していく。
旅の期間:8月27日~8月28日 ※価格等はすべて取材時のものです。
PCR検査は2万5300円だった。高い?
エジプト入国の条件はPCR検査の陰性証明の提示。PCR検査は100%の精度があるわけではないので、出発1週間前から自宅で自主隔離状態に。PCR検査はさまざまな検査施設で受けられる。安いところもある。しかし、エジプトが指定した検査法でなくては無効。QRコードの有無でも情報が錯綜。いろいろ確認し、エジプト渡航者の検査経験があったここに。代金は2万5300円でした。
エチオピア航空のチェックインは全日空のスタッフが受けもっていた。まず、PCR検査の結果をタブレットで撮影。どこかに送信。「チェックインは機械で」といわれ、スタッフと一緒に入力。エジプトのビザ入力で手が止まる。「ビザはカイロの空港でとるんですけど」。「普通、そうですよね」。スタッフはチェックインカウンターに駆けていく。息を切らして戻ってくると、「カウンターで私がやるので、荷物は?」。「これもち込めますよね」とザックを見せると、「大丈夫」ととろけるような笑み。しかしチェックインはまだ終わらない。次の写真で。
スタッフの女性がまた駆けてくる。「座席指定なんですけと⋯⋯、このタブレットでできるので」とカイロまでの座席を、ぽちッ、ぽちッとタッチ。ちょっとうれしい共同作業? そして最後にまた彼女は駆けていって、搭乗券をもってきてくれた。密を避けるためのチェックインシステム? 彼女、僕のために歩いた歩数は500? いや1000? ウイルスに代わって陳謝。
心が寒くなる風景が待っていた
イミグレーションを通過し、免税店フロアーに出ると心が寒くなるような光景が広がる。3月にタイに行ったときもそうだった。無人都市に迷い込んだような感覚になる。「誰がこんな空港にしてしまったんだろう」と誰もいない通路に向かってぽつりと呟く。歩くと聞こえてくるのは自分の足音だけ。
搭乗を待つのはソウル行きの人が多い。ソウル路線も減便が続き、エチオピア航空は貴重な存在。乗り込むと、男性スタッフがやってきた。「アディスアベバのトランジットホテルのバウチャーです」。アディスアベバでの乗り継ぎは悪く、待ち時間は12時間。どこかで眠れればと思っていた。空港内で寝場所を探すテクニックはプロ級だと自負している。でも、エチオピア航空はちゃんとホテルを用意してくれる。エチオピア航空が一気に好きになる。
仁川国際空港に出現したシャッター通り
仁川国際空港に着いた。コロナ禍前は年に2、3回は利用した空港だった。しかし到着階の風景は一変。べたべたと案内が貼られ、書類を書くテーブルが並び、防護服姿のスタッフが案内に声を枯らす。到着した人のなかの感染者が増え、そのたびに検疫システムを変更してきた残影がそこかしこに。成田空港の到着フロアーによく似ている。アジアの空港はどこも似たようなもの?
セキュリティチェックを受け、搭乗フロアーへ。そこで成田空港と同じ寒々しい光景を目にしてしまう。免税店、カフェ、麺類の店⋯⋯。どこもシャッターを降ろしていた。日本の地方都市に出現しているシャッター通り。それより暗い。僕にはにぎやかな仁川国際空港の記憶しかない。その差がどうしても埋まらない。
はじめてエチオピアを訪ねた40年前もエチオピア航空だった。アフリカの小国の航空会社の感があったが、その後、急成長。アフリカ一の航空会社になるとは⋯⋯。アディスアベバのボレ国際空港は、アフリカのハブになりつつある。ありがたいのはカイロ往復で7万8200円という運賃。機内映画には日本映画も。「嘘八百 京町ロワイヤル」2回、観ました。ソウルからアディスアベバまで11時間ですから。
アディスアベバに着いた
アディスアベバの上空。自分で撮った旅の動画を観るとき、飛行機が着陸する動画は何回も再生してしまう。響く着陸のショック。間を置き、機内に響く機内放送。この国は僕に優しいだろうか。いや、そもそも入国させてくれる? 不安が生む緊張。旅に出たことを実感する空気。それが着陸動画には流れている気がする。
アディスアベバに到着した。ひんやりした空気が心地いい。標高は2355メートルだが、北緯9度。赤道に近い太陽の輝きは違う。この光に魅了され、ここで暮らす画家が多いと聞いたことがある。「政治はひどいが、気候は一流」と40年前のノートにも僕は書いている。それを「天は二物を与えず」と訳すと、きっとエチオピア人に怒られる?
コロナウイルスへの緊張が消えた
空港ターミナルに入った。コロナが消えていた。成田や仁川の空港に流れていた緊張感がない。防護服を着た職員もいなければ、飛沫が飛ぶことを防ぐビニールシートも見当たらない。水際対策が見当たらないのだ。戸惑いのアディスアベバ。この頃のエチオピアは、人口1.15億人で新規感染が1日1000人前後。たしかにその頃の日本より少ないが⋯⋯これでいい?
エチオピア航空がトランジットホテルを用意してくれていた。そこに向かうために空港前駐車場へ。スタッフは無マスク。これでいい? この時期のエチオピアのワクチン接種率は2%ほど。マスクなしで本当にいい? WHOのデドロス事務局長はエチオピア人。「途上国にワクチンを」と主張する彼の気もち、わかります。でも、マスク⋯⋯。
空港や街はあまりに普通だった
市内にあるトランジットホテルに向かう。空港は普通だったが、街も普通。新型コロナウイルスを警戒している空気がない。明るい太陽に幻惑されているだけ? エチオピア人の陽気さに気をとられてしまうが、皆、ちゃんとウイルス対策をしてる? いや、違う。皆、なにも考えていない。そう思えて仕方ない。
悩みのアディスアベバだが、その街並みにも戸惑っていた。40年前と同じとは思っていなかったが、ここまでビルが林立しているとは⋯⋯。40年前、アディスアベバの中心街には牧場があった。市内は未舗装の坂道が多かった。そしてその坂道の途中で、僕は3回捕まった。即、皆がケベレと呼ぶ革命委員会に連行。そんな街だった。その話は次号で。
アディスアベバの空は変わりやすい。驟雨がときどき街を覆う。しかし30分後には高い青空が現れる。40年前、僕はこの街でぼろぼろになっていく。バックパッカーになる? それはきれいごとではない。騙され、甘さをえぐられ⋯⋯。それを乗り切る楽天性を身に着けていく。次号はアディスアベバを歩きながら、そんな話をしてみようか🔚
【次号予告】
アディスアベバの街歩き。そしてカイロへ(10月22日公開予定)
写真・文 下川裕治
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新しい構造をめざしています。