まちづくり関係の言説への雑感

私は地元仙台のwebメディアに携わりながらまちづくり界隈の方のさまざまな言説を拝見するが、いくつかの違和感がたまに浮かぶ。

結局、近年「エモい記事」への批判が西田先生からも提起されているが、まぁ結論から言うと、まちづくり関係者の言説はこれに近いものがかなり多いなと毎度思ってしまう。

https://www.asahi.com/articles/ASS3W319WS3WULLI003M.html

悪いとか言う気はないし、地元への郷里やノスタルジーは各々持てばいいと思うし、私も地元のいろんな場所に昔の自分がいてノスタルジックになる。

ただまちづくりの目的としてはロジカルに街の活性化がある中でなんの足しにもならない書き手のナラティブが示されて、バイアスのかかった「俺のデータ」での論証を提示されると、書き手の質が低いと言うほかない言葉だけが残る。

私のやっているwebメディアはそもそもそう言う目線ではないので自分らのメディアの話ではないが、いろんな人の記事や投稿を見ていると、非常にそのエモい記事の多さに辟易するし、書き手のXなどの投稿もそう言うものが多いと、大真面目にまちの行末をどう捉えているのか、本当に心配になる。

私はもう定住することはおそらくないが、18まで育った仙台の街が大好きである、しだからこそ今も繋がりを持ってる。だからこそ、ロジカルにデータを持って現状把握をしつつ適切にリアリスティックにどうすれば活性化するのかなど考える必要があると思うのだが、まちの表象や薄っぺらい論評に終始している顔見知りを見ると、悲しくはなるし、なぜこの程度の言葉で現実を変えられると思うのか私にはわからない。

頭を捻ろう。エモい記事やメタに流れることが容易だし、それっぽいことに思えるんだが、結局易しに流れているだけでしかない。泥臭くデータを見て、多角的に実証をして、打てる打ち手はなんなのか考えよう。それだけでしかないはずなのだが。

私は自分のことで今はていいっぱいだし、責任が取れないので基本的にはそう言う人へも何も言わない。なんだかなぁとは毎度思う。

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