シニアにこそジョブ制を(清水勝彦研究室ブログ)
(前回の続き)全ての人は能力があり、会社や社会のために役に立ちたいと思っている、という性善説に立つと、また違った問題点が浮かび上がる。おじさんたちは役立ち方が分からないから、「仕方なく遊んでいる」のかもしれない。管理こそ自分の得意分野と思っていた人が役職定年で平社員になれば、貢献もできなければやる気が出るわけない。
実は、これは当然の結果と言っていい。企業が近代化を目指し、より効率を上げていく一番の方策は仕事の属人化を排し、「この人しかできない」というものをできるだけなくしていくことだからである。
ただ、最近のAIの議論が指摘する「ヒトしかできない」ことは必ずあるように、経験を含めた個性を生かすことは出来るはずである。しかし、結局会社も個人も「この人しかできない」、言ってみれば本当の自分探しを現役時代にやっていない。逆にそれを早くして見つけられた起業家は年をとってもバリバリしているケースが多い(しすぎもあるかもしれない)。
実は今こそ「配属ガチャ」はもっとしっかりやらないといけないのではないだろうか?自分がやりたい仕事は大事だが、それは単なる若気の至り、視野狭窄の結果かもしれないのである。それが本当に「この人しかできない」レベルになるのだろうか?を見極めるために。
そしてその上での「ジョブ制」。「ジョブ制」とは、採用などの入り口で行うものではなく、キャリアの中~終盤にこそ意味があるのではという気がしてならない。「この人しかできない」ことを持っていれば、役に立つし中途採用もよりスムーズにいく。そして何より頼られる。これは人間の尊厳に関わる問題だと思う。シニア社員問題は、私たち全員が潜在的に持つ問題の氷山の一角である。
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