ルールを守ることは正しいことだが…(清水勝彦研究室ブログ)
再びニセコ。昨日は大雪だったが、12月にはあちこちのコースにロープが張られ「滑走禁止」になっていた。新雪を求めロープをくぐって滑っていたボーダーやスキーヤーの多くは外国人(特にオーストラリア人だとオーストラリア人が言っていた)。地元の日本人は「くぐラー」と呼んで憎んでいる。
リフトに乗りながら考えたのは、私達はルールや規制が実は好きであること、そしてルールを守ることの正しさがいかに強く植え付けられているか。コロナのときも、ルールでないのに「自主規制」をし、「不要不急を明確に」なんて叫んでいるコメンテーターも見た。おそらく小中学校の校則の影響が強いのだろう。ただ、スキー場はともかく、他の場面のルールや校則には根拠がなかったり、かえってマイナスを産んでいたりする。単なる慣れや保身の問題では?と思われることも多い。
目的も副作用も考えたりすることなく「ルールだから守れ」と、ただ言い、ただ従っていないだろうか?そして、就職時期になると急に「考える力」「自主性のある人材」と言い始める。「人的資本経営」も大切だが、「人的資本初等教育」をまず考え直したほうが良いのではと思った。そのうち『ルールを破る力』なんて本が出そうである(感動的なビジネス物語は大体そういうリーダーが登場する)。
実は一度「くぐラー」をしてみた。なんとなく後ろめたくてうまく滑られなかったのは、田舎の優等生育ちの限界かなと思う(単に技術的な問題かもしれない)。
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