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画家と魂の旅 第2章 なぜ絵画が好きなのか

作品「ぐちゃぐちゃな私」油彩、キャンバス 273×220mm 2021年制作


 大学生になり、世間というどでかいシステムに放たれていく感じがした。選択肢が増え、ある程度の「世渡り」をしなくてはいけなくなった。それが自分だけへたくそに思えて、はらわたが煮え繰り返って眠れない日が続いた。全ての人を、社会を愛したかった。
そのためには、きちんとした個がなくてはならない。個があれば嬉しいことや嫌なことが明確になり、それをその人なりのやり方で伝えることができる。各々が個を貫くことで、全く違う個も尊重でき、美しいハーモニーを奏でることができる。幸運なことに、それができている人たちに既に出会えて、気づくことができた。表現したい!という高圧電流が一気に走って、全身から爆発した。

 芸術表現は、幅広い。音楽や映画など、多くのジャンルで芸術作品は成り立つ。一流のアーティストたちは各々の表現メディア通してワクワクしながら面白い作品を創り出す。
木枠を組んで布を貼り、絵の具を練って、絵画をつくる。美術大学や都内のギャラリーでは、油彩などの古典技法を用いた表現は珍しくはない。しかし、デジタルを用いたキャラクター文化が馴染み深くなり、表現メディア自体が多様化した現在。世間における「絵画」「画家」という形は、ありふれてはいない。絵画というと、宗教画や貴族たちに扱われていた宮廷の絵画を連想する人も多いだろう。しかし、今日の絵画は、抽象画や具象画、キャラクター絵画など、作家の興味によって、傾向が分かれる。

ピータードイグ作品 「ポート・オブ・スペインの雨」2015  水性塗料・麻  301×352mm


絵画の「色」に惹かれる。最初に「色」に惹かれたのは、ピータードイグという画家の作品を観た時だ。大学2年の夏にピータードイグ展に訪れた。映画館のスクリーンようにでっかい画面に気圧されて、なんとなくゆっくりと絵を眺めていた。
ピータードイグは、場所や時間を超越した絵画を描いている画家だ。プロセスを土台にしたような現代美術が台頭する中で、絵画というメディア表現を彼は好んだ。彼の描く人や建物を含む人間化された風景は、モチーフという面では非凡ではない。しかし、記憶や複数の経験、感情を色に乗せて、決して固定化されない絵画空間を展開している。それは、衝動すら伝えつつも、どこか親しみすら感じられる。だからこそ、似たような構図やモチーフを繰り返し登場させているのに、作品各々にしかない新鮮さがある。絵画ならではの薄塗りと厚塗りをはじめとする技法を、レイヤーのようにさまざまなイメージと共に巧みに重ね合い、感覚的な芸術表現をしている。この「感覚」とは、彼の芸術観そのものでもある。映画や広告、平凡な人と風景を試行錯誤して制作してきたのは言い換えると、命があるからこそ抱く感情、つまり「感覚の模索」なのではないだろうか。

作品「鋭気な私」油彩、キャンバス 1000×803mm 2021年制作


 大学では、デザインや彫刻、版画、アニメーションなど、多くの芸術体験ができた。その中でも油絵具中心の洋画技法を用いて絵画制作をしている時は、胸の中からときめきが躍り出してオーバーヒートしていた。そうして溢れ出た表現欲は、真っ先に絵画に向いた。それが大学2年の秋であり、画家になることを決めた瞬間である。


第3章 どんな絵画を研究しているのか
に続く

参考文献
美術出版デザインセンター, 阿部謙一 編 (2020年)「ピータードイグ展 展覧会図録 」東京国立近代美術館, 読売新聞東京本社  

本投稿に関しましては、個人の感想、考察です。文献はあくまで参考であり、文章そのままの引用はしておりません。自分で文章を組み立てています。営利目的ではなく、内容的にも各権利所有者様に不利益のないよう配慮しています。

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