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画家と魂の旅 第1章 なぜ絵が好きなのか

1.なぜ絵が好きなのか。絵とは?芸術とは?

小学校の頃の絵
中学校の頃の絵 「愛情」2014年制作


 物心ついた頃には絵を描いていた。小学校の頃には自分でキャラクターを考え始め、中学校の頃には絵で気持ちを表現しようとしていた。高校の頃には炭鉱業をしてきたような匂いが全身にまとわりつく程、美術室に入り浸っていた。その割には、美術館に行ってもそそくさと回り終わってしまうような人だった。

「太陽の塔のドローイング」鉛筆、水彩、水彩紙2024年制作


 その頃描いていたのは「趣味の絵」だった。芸術とは、その作家なりの解釈が独自に結晶化したものである。
例えば、岡本太郎さんの太陽の塔である。太陽の塔は、大阪万博に現れた異質な存在である。万博は「人類の進歩と調和」をテーマにしていた。
太陽の塔は科学的な進歩を示そうとはしていない。むしろ、太古の神がギラギラと眼を光らせているように不気味に聳え立っている。
岡本太郎は対極主義という芸術思想を謳った作家だ。対極主義とは激しい対立や矛盾を同在させ、ふたつの極を引き裂いたまま把握すること。それを生かすことで真の調和が生まれると考えていた。だから、大屋根を打ち破るほどの巨大な塔をつくり、そのベラボーな風貌からものの本質、真の調和について訴えたのだ。
太陽の塔の内部には、生命の樹というものがある。これは、人類の進化とエネルギーを象徴している。それらを通して、過去、現在、未来を貫いて流れる人類の生命力を象る。つまり、太陽の塔とは、誇らかな人間の尊厳を象徴し、進歩と調和の普遍的な根本部分を表現しているのだ。
岡本太郎は、学んできた知識と経験を独自の哲学に至るまで発展させ、全く新しいものを創り出した。これこそ、人類が生み出してきた偉大な芸術作品のひとつと言える。新しいものは、異質な存在にも感じられ、「わからない」と受け取られてしまう場合が多々ある。太陽の塔は偉大な芸術作品だが、万人に好かれているわけではない。そこが芸術の面白いところである。

高校の頃の絵 2018年制作


 一方で「趣味の絵」は他者の模倣も許され、新しさも必要としない。高校までの絵を振り返ると、絵を描く→人に見せる→他者と気持ちを共有する、プロセスが好きだったのだと思う。例え「へったくそ!」と言われても、その絵を通じて会話が弾めば良かった。確かに、創作系の就職に有利かつ、絵を描き続けることができる美術大学に入学するために、絵が上手くなりたい気持ちもあった。それよりも好きな人たちと関わることが好きで、そんな時間をなによりも大切にしたかった。芸術系の大学に進学した当初もその姿勢は変わらなかった。


第2章 なぜ絵画が好きなのかに続く

参考文献
平野暁臣(2018年)「「太陽の塔」新発見!」青春出版社
平野暁臣(2015年)「岡本藝術」小学館クリエイティブ

本投稿に関しましては、個人の感想、考察です。文献はあくまで参考であり、文章そのままの引用はしておりません。自分で文章を組み立てています。営利目的ではなく、内容的にも各権利所有者様に不利益のないよう配慮しています。

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