私ADHD高校生は一言申したいことがある
イヤホンで音楽を聞きながら、私はノリノリでイヤホンを探していた。流石に自分へ恐怖を感じた。こんなことは前にもあった。
例えば、朝ごはんを食べながら、朝ごはんに何を食べようかなと親に聞いた事がある。
他にも、着替えようとパジャマを脱ぎ、またパジャマを着たことがある。
小学生のときは、学校にランドセルを忘れたことがある。
病気を疑い、実際病院に行った。そして4年も前にADHDと言われた。医者は親に、結果を伝えないほうがいいと言ったが、親は無視した。
というより、私が明らかにおかしい自分に病名を求めたのだから、結果を言うなど普通のことである。
実際「ADHD」という私のサブタイトルは私を楽にさせた。
咳が出てきたら風邪だという診断が欲しくなるのと一緒だ。診断がないと不安で仕方ない。私はそういう人間であると、自分で自分を信じることに成功したのだ。
ここからが本題。私には疑問がある。
たまに芸能人が「実はADHDだったんです」と深刻そうに言う場面を見る。それを見て私は思う。何がそんなに深刻なのか。
別に命が危ういわけでもないし、治療薬もないのだから、言ったところで何もならないだろう。
ただそういう人間なんですというだけではないか。たまたま診断名がついただけではないか。
実際私はそういう場面を見て、とても悲しくなる。私のサブタイトルはそんなに恥ずべきものなのか、と。
堂々と言えないのか。どころか別に言わなくたってもいいようなことなのだ。何がそんなに深刻なのか。
「ADHDを公表している芸能人リスト」なるものをたまに見るが、あれはなんなのか。私も芸能人になれば、そこに入れられるのか。いい迷惑だ。ブラックリストのようだ。
ただ私達はそういう人間なだけなのだ。
実はADHDでしたと深刻そうに言う人。もしかしたらずっと悩んでいた人かもしれない。他人に言ったら嫌われると思っていたのかもしれない。じゃあ勿論言わなくたっていい。
たまたま私が言ったって人目を気にしない、そういう羞恥心が死んでいる人間だからそう思っているだけかもしれない。
私が言っているのは、わざわざ深刻そうな感じをだすのに動画にしてYoutubeとかに残す人だ。
そうしたら私が冗談めいたようにADHDなんだよねと言うと、そういう動画を見た人は深刻な公表として受け取ってしまい、全く笑いにならない。
ADHDとは何か。私は何を診断されたのか、分かりゃしない。