野中先生から学んだこと
野中郁次郎先生が亡くなられました。
心の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな感じでふわふわしているのですが、「今こそ野中先生の知の遺産を訪ねるべき」と思い、野中先生から学んだことをふりかえって記しておこうと思います。
SECIモデル
私が初めて野中先生のことを知ったのは15年ぐらい前だと思います。
当時SEだった私は、現場の炎上プロジェクトに悪戦苦闘していました。心身ともに疲弊していく一方で、「この大変な思いから何か後輩に伝えられることは無いだろうか」とも考え始めていました。
そんな時に出会ったのがSECIモデルだったと記憶しています。
その時は「ナレッジ・マネジメント」なんて言い方は意識しておらず、SECIモデルも学術的な考え方なのかな、ぐらいにしか思ってなかったように思います。
暗黙知ってなんだ?形式知って具体的にどういうものなんだ?
よく分からないままでしたが、SECIモデルの絵はずっと頭の中に残り続けていました。
この「マンガでやさしくわかる知識創造」の本では、このSECIモデルの暗黙知や形式知、表出化、連結化などを飲み屋の「つくね」で説明しています。とても分かりやすかったのでオススメです!
さて、時を経て今、私が絡んでいるアジャイルコミュニティではまさにこのSECIモデルを「目指すところ」として掲げています。
これは、まさに学びを得るための理想的なモデルであると感じたからです。
そして、時には誰かに対してSECIモデルを語る立場になっています。
みなさんの仕事の中には、暗黙知という表に出てきておらず誰にも知られていない自分の中にだけあるノウハウがあるんですよ、それをふりかえりなどによって気付きを得て表出化していきましょう、そして誰もが使える形式知として展開していき学びの渦を広げていきましょう、みたいな話をしています。
この15年をふりかえってみると、知の創造というのは私の人生における大きなテーマだったのではないか、その根源にはこのSECIモデルとの出会いがあったんじゃないか、いまはそう思っています。
失敗の本質
失敗の本質を初めて読んだのは12年ほど前だったと思います。
おそらく日経新聞だかプレジデントだかのビジネス雑誌で紹介されていて、興味が持って読みました。
最初に読んで感じたのは、「日本は昔からそうだったのか…」です。"そう"とは、例えば目的の二重性(あいまいさ)が見られるとか、「空気」が場を支配し戦略的な判断が出来なかったとか、大本営(本社)と戦場(現場)が遠くかけ離れているとか、技術的な先進性を軽視して「格好」などに拘るとか、そういうことです。
そしてこれも今、所属する会社の課題・問題に立ち向かうために「失敗の本質」を読み返しています。
この本は少し難解に書かれているので、入門書なども参考にしています。
The New New Product Development Game
野中先生が竹内先生と書かれた論文です。
タイトルにNewが2つついていて最初は戸惑うのですが、「New Product Development」(新製品開発)における新しい(New)考え方、という意味ですね。
この論文がスクラムの原典であると知ったのは、本格的にアジャイルやスクラムについて勉強を始めたころですので、自分にとっては8年前ぐらいになります。
よく考えたら、私はこの論文の絵は知っているものの、論文全部をきちんと通読したことはありませんでした。そこで、最近和訳版が出たこちらのHBRを読んでいます。
読んでみて改めて思ったことは、スクラムとは決して最近の「新しい」考え方でも無いし、ソフトウェア業界だけの話でも無い、ということです。
この論文が出た39年前から、チームで一体となってボールを前に進める、ラグビーのスクラムのような開発ができていたのです。それも、製造業におけるものづくりの現場で、です。
世界を驚かせたスクラム経営
ラグビーワールドカップ2019日本大会に焦点を当てて、その準備・運営プロセスを物語り(ナラティブ)の形でたどったものです。
ラグビーW杯2019年大会は私も大変興奮しました。私自身はラグビー「にわか」ファンなのですが、その熱狂の日々を今でも覚えています。その大会の運営が「スクラム」という観点で語られるということで大変興味深く読み進めることが出来ました。先に紹介した知識創造理論の観点から成功と失敗の本質を洞察しています。
もはや経営にも「スクラム」の考え方が取り入れられているのだな、と改めて感じました。
私にとっての野中先生とは
私は直接野中先生とお会いしたこともなく、言ってしまえばただの「野中先生のファン」です。
訃報に接した時は、遂に野中先生にお会いすることが出来なかった…、という無念さを感じました。
ですが、野中先生の知の遺産にあたることで、私たちの心の中で野中先生の思考は生き続けるんじゃないかと思っています。
先ほど紹介した「知識創造」のマンガの序文には、このような一節があります。
これからAI時代がさらに加速する世の中だからこそ、生身の身体をもった私たち人間の「経験知」が必要になってくるのだな、と改めて感じました。