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対話のしかたを見直すことで「マサカリ投げられた!」が減らせるかも

「マサカリを投げる」という言葉があります。主にIT業界や学術界などで使われる言葉で、生成AIに聞いてみるとこんな感じでした。

ネットスラングの「マサカリを投げる」とは、主に技術的なことを中心に鋭い指摘をすることを意味します。プログラマーの間で使われる言葉です。
「マサカリ」は、技術的あるいは学術的な観点からの「鋭い指摘」や、反論できない「正論」「ツッコミ」を意味します

Google 生成AIより抜粋

なお、マサカリの起源についてはこちらを参考にさせていただきました。めちゃ詳しい。

良いことなのか?

「マサカリを投げる」のは良いことなのでしょうか?

まず、技術的・学術的な観点からの「鋭い指摘」は歓迎されるべきことです。フィードバックによる仮説検証は科学の根本です。実際、マサカリを投げられたことによって気付きを得た、というパターンもあるので、「マサカリ投げてくださってありがとうございます!」と感謝する方もいます。

一方で、「正論」や「ツッコミ」となると少しニュアンスが変わってきます。どちらかというと重箱の隅をつついたようなネガティブな意味合いにもなってくるように感じます。
むしろ、このようにネガティブな意味合いを含めて「マサカリ」と言っているように思われます。「マサカリ」というのは斧やハンドアックスといった同種の武器です。武器は基本的に相手を攻撃するためのものですから、原義的にもネガティブな印象があるように思われます。

ということでここでは、「マサカリを投げる」とは「相手を攻撃する指摘」と考えることにします。

なお、ここでは扱いませんが、マサカリの対義語(?)のようなものとしてマシュマロがあるそうです。

匿名のメッセージサービスである「マシュマロ」から来ているようです。

アジャイルのケーススタディ

ここからはケーススタディで考えてみます。例えば

「アジャイルって品質を良くできるんだ!」

とSNS上でポストした人(仮にAさんとします)がいたとします。それをたまたま見かけたBさんが、

「アジャイルは開発手法じゃなくて「あり方」やマインドセットである。だから品質を良くできるとかそういう問題じゃない。」

「アジャイルの原典であると言われるアジャイルソフトウェア開発宣言には品質に関する言及がないから、別にアジャイルが品質を良くするわけではない。」

(参考)アジャイルソフトウェア開発宣言

といった趣旨のリプライをしたとしましょう。

これを見たAさんは「(マサカリを投げられた!SNS怖い!)」と思うかもしれません。

Bさんとしては、正しいことを指摘したのかもしれないですし、Aさんを攻撃する意図もなかったのかもしれません。「マサカリを投げた」という意識すらない可能性もあります。
ですが、結果としてAさんがネガティブな思いを持って「マサカリを投げられた」と感じたのであれば、それはマサカリを投げたということになるでしょう。

さて、この話に続きがあって、このリプライを見たAさんが

「そんな思いで書いたのではありません。ただそうやって受け止められるのなら、こういったことは二度と書きません。すみませんでした。」

と胸の内を打ち明けたとしましょう。
それを見たBさんが、なるほど指摘をしたらこうなるのだなと思って、

「私もそういった思いはなかったので、こういったリプライはしないようにします。」

とポストしたとします。

一見すると丸く収まったように見えますが、これは幸せな結果でしょうか?
私は不幸な結果だと思います。なぜなら、AさんもBさんも自分の想いを伝えあうという行為を放棄する結果となってしまったからです。
さらに言うと、「ポスト(リプライ)の仕方」や「不快な思いをした」ということに焦点が当たっており、もともとの話題であった「アジャイル」とか「品質」の話がどこかに行ってしまっています
これによって、

品質やアジャイルの話をすると嫌な感じになる
 ↓
面倒だから話をするのをやめよう

となってしまったら、学びの機会が失われたことになるので、とても不幸ですよね。お互い「学習性無気力」に近い形になってしまうのではないかと思います。
(学習性無気力のメタファーとして挙げられる「サーカスの小象」についてはこちら)

ところで、この話は全くの架空の話ではなくて、だいたい現実に起こったことです。個人の特定を避けるためにポストの引用はもちろん避け、言葉のニュアンスは若干変えていますが、だいたいあってます。
そして、似たようなことはアジャイルや品質の話に限らず社会活動の様々な場面で見かけます

どうしたらよいのか?

この事例を観察すると、

  • 本人の意図や思いとは別に、結果としてネガティブな思いを持った

  • 本人の意図や思いとは別に、結果として対話をやめてしまった

となっています。
本人の意図や思いとは別にこのような結果が生まれるというのは誰にとっても望ましいものではありません。

では、どうしたらよかったのか?
私は2つ出来ることがあったのではないかと思います。

  • 対話のしかたを見直す

  • むやみに一般化せず対話を続ける

対話のしかたを見直す

このケーススタディの事象では、Bさんのポストに対してAさんが「マサカリ投げられた!」と思ったことがポイントではないかと思います。これは、Bさんの言い方や表現の仕方が、Aさんにとって好ましくなかったことを意味しています。
Bさんが、まずは相手を尊重したり、敬語(です、ます調)で表現したり、枕詞を付けてやわらかくしたり、前提条件を明示したりして、リプライしていたらどうでしょうか。
たとえば、

「面白いご意見ですね!私の感触ですが、アジャイルという言葉には「あり方」やマインドセットという一面もあります。そういったことが品質に関わっている可能性もありますね。」

とリプライしたらいかがでしょうか。だいぶ雰囲気も変わりました。Aさんもこれなら「マサカリを投げられた!」とは思わないでしょう。

また、今回のAさんのようなポストは、そもそも技術的あるいは学術的な観点からみて「明らかに間違っている」ようなポストではありません。単なる感想を呟いているだけともいえます。そのような個人の感想に対しては細かいリプライをしない、というのも良いでしょう。

むやみに一般化せず対話を続ける

また、今回のAさんにとってのBさん、BさんにとってのAさんは、もしかしたらお互いにとって特異なレアケースかもしれません。お互いの主張や感覚が合致しなかっただけかもしれないのです。

それをもってして「今後はこういったことは書きません」としてしまうのは、とてももったいないことのように思います。
もしかしたら、Aさんのポストに対して上記のように言い方を変えてリプライしてくれるCさんが現れるのかもしれないですし、Bさんのリプライに対して「なるほどそういう見方もあるのか」と納得してくれるDさんが現れるかもしれないのですから。

ちなみに、マサカリの対処法については様々な過去の知見があり、最も参考にさせていただいたのはこちらです。

まとめ?

私は「へへっ、マサカリ投げてやるぜ…!」って思って舌なめずりしてポストなりリプライなりするような悪い人は、そんなに多くないと思っています。
(いないとは言わないですが、相対的には少ない、という意味)

むしろ、マサカリ投げようなんて思ってないのに「マサカリ投げられた」と思ってしまう人が出てきてしまう、という現象の方が多いように思っています。つまり、いわゆる"誤解"です。

対話のしかたを見直すことによって、こういった誤解を少しでも減らしていけるといいな、と思っています。


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