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【コーヒースプーン①】 噂がたってる喫茶店に凸った話
最近とても雰囲気のいいカフェを見つけた。それは駅からほど近いアーケードの商店街を抜けた先に、ひっそりと佇む純喫茶である。
外観は木製のドアのついた昔ながらのもので、店内では、アンティーク調の家具たちが昼間には窓からの暖かな日の光を、夜には間接照明のまろやかな光をたたえて落ち着いた空気を醸し出している。その店は「喫茶ねこの手」と言い、憩いの場として近所で評判のあるカフェだそうだ。
しかし、この店の人気はただ雰囲気が良いからというだけで得ているものではない。このカフェに関する噂が密かに、ただ確実に客足を集めているのだ。
その噂こそ、マスターが魔法使いであるという説である。にわかには信じがたい噂ではあるが、一部掲示板では未だに囁かれ続ける話である。
かくいう私も、その噂を頼りにこのカフェにたどり着いた1ネット民である。さっきの"見つけた"というのは嘘だ。
ーこの店にまつわる謎を解き明かし、ネットに書き込んで アフィ稼ぎ王に、俺はなるー。
これが駆け出しライターである私の当面の目標であり、このおしゃれな店内で一人の陰キャが窓際席に居心地悪そうにしている理由である。
「お待たせしました。コーヒーとホットサンドになりまぁす。」
メモを取る頭上からの声に一瞬驚き、私は驚いて身を縮めた。そのスキに制服をきっちり着こなしたウェイターが机にコーヒー、ホットサンドを手際よく並べていった。
現在時刻午後1時15分。ウェイターにおっかなびっくり会釈をしてからメモを置き、早起きのために朝餉を抜いた私は、目の前のホットサンドに目を奪われた。
美しい断面に、程よい焦げ目。これが450円で許されるはずがない。芳しい湯気をたたえる二切れの三角の内一方がたまごサンド、もう一方がツナサンドになっている。付け合せの鮮やかなパセリがなんとも優雅である。
食べる前にも関わらず、これから起こる味覚のお祭り騒ぎを予期させる圧倒的ビジュアルに私はただ平伏し、手を合わせた。
「いただきます。」
口に入れたたまごサンドは、鼻孔に届く小麦の香りとともに、クリーミーな深みのある味を伴って全身に広がる。白身を残した卵の潰し加減、厚切り食パンのさくさくふわふわとした食感が、空腹に拍車をかけ、ツナサンドへの期待を後押ししていた。
ツナサンドは玉ねぎ入りだ。玉ねぎの食感、香りとツナ缶の油が生み出すコクは、何にも代えがたい。食パンによって温められたツナは常時よりさらに旨味を増し、えも言われぬ香りと幸福感をあたりに充満させた。
最後に優雅なパセリを食すと、机には整然と食器が並び、腹に温かな重みを残すのみとなった。
思えば近頃はバイトに予備校、実家からの卒業(家出)、何かと忙しい日々の中でまともに食事をとったのは、実家でフリーターへの決心を表明した夕飯以来ではなかったか。
家を出て、やっとこさライターという束の間の定職についたものの忙しさに追われ、忙しさにかまけ、色々なものを見落とし捨ててきた。捨てたものは帰ってきはしないが、今日はその残骸の一部を今、目の当たりにした気がしたのだ。
仕事柄、立ち止まれるような生活ではないが、たまにはこうしてゆっくり飯を食べる日があっても良いのではないか。カップ残ったコーヒーを見つめながら、私はぼんやりと考えを巡らせた。
私がカフェに来た理由を思い出したのは会計を済ませ、駅へつづくアーケードで魔法少女のステッキを見たときであった。
思わずあっと声を上げ、膝から崩れ落ちる勢いで顔を覆った。レジを打つ人の良さそうなマスターの顔を、痛恨の思いで脳裏に浮かべる。
暫く自責の念に苛まれ、無力感に顔を覆っていた両の手を見ると、薄黄色のたまごクリームが付着していた。私はまたも顔を覆ったばかりでなく、顔から火が出るほど赤面した。
手と口についた卵を拭き取りながら、私はカフェの窓から差す日の光と腹を温めているホットサンドの事を思い出した。そして再訪の誓いを胸のうちで密かに立てるなどした。
駅は目の前のコンビニを曲がってすぐだ。
アーケードの活気と照明を背に、私は歩を進める。