スポーツ中継は神の目か⁉︎
先日、とあるテレビ番組を見ていて、サッカーW杯のグループ予選「日本 vs ポーランド」でピッチ上のある選手が裏の試合の情報を知ったのは、会場にある巨大モニターに観客のスマホ画面が大きく映し出されたのを見たからだということを知りました。
この試合が物議を醸したのは、「情報が邪魔に入った」という曇りなき一点の問題点によるものだと思います。
至極当然の如く、サッカーの試合に臨む選手には「戦意」があるという前提で開催されていますが、ピッチ上の選手がモニターを見たり、会場の雰囲気を察知したり、裏で仕入れたものをベンチから伝えられたりした「情報」が戦意を消失させてしまったのです。戦意がなければ、試合は成り立たない。JUDOで言えば、SHIDOです。でも、SHIDOに値するレフェリングはサッカーには無い。つまり、そこで試合終了。
今後、あらゆるスポーツは、「現場における情報コントロール」を盛り込んだルールに改定しなければならないのではないでしょうか。
老害集団の高野連
そんな中、昨日甲子園で起きた誤審問題。
2-3で迎えた8回表二死、旭川大高レフトの選手が地面スレスレで飛球をキャッチし、ファインプレー!のはずが、判定はヒット。が、テレビ中継の画面にはひたすらファインプレーのリプレイが流れ、実況解説共に言葉が詰まって出ない。その後、同じレフトの選手が失策して旭川大高は失点してしまう。その後、何度も勝機は訪れるが、勝ち切れず敗退。晩のテレビニュースではこのことには一切触れられず、「初めてのタイブレーク」だけにフォーカスされて、彼らの夏は終わった。
確かに、審判員の目ではハッキリと見えなかったのかもしれません。
しかし、カメラはハッキリと捉えており、何百何千万の人々がそれを観ているのです。それもタイムラグなしに。ハッキリ解らないのであれば審判も見ればいいだけの話ではないでしょうか。或いは、テニスの様に判定の真偽を確かめる権利を両チームに与えればいいのでは?
選手にも、審判にも、選手の家族にも、沢山の応援者にも、その他大勢の人々にも、二度と消すことの出来ない心の蟠りを作ってしまったことが「罪」であると認識しない高野連は、まさに老害の塊としか言いようがありません。
この件でも問題なのは、「情報が邪魔している」ということです。多くの人があれはファインプレーだったと確信しているのは、テレビ中継のカメラが神の目の如くその様子を伝えてしまっているからです。この状況が起きることを「野球」では想定されていないのです。インターネットもスマホもハイスピードカメラも高倍率ズームもその他諸々情報処理技術も無かった時代に作った化石みたいなルールで楽しみたいのであれば、「神の目」の情報提供方法をコントロールする必要があると思います。
テニスにおける試合と情報のマネジメント
テニスというスポーツは、大変興味深い試合の運営をしていると思います。
根本的に、プレーヤー同士お互いにセルフでジャッジするアマチュアの試合から始まって、ぐるりと囲むようにラインアンパイアがいて、少し高い位置にいるチェアアンパイアの仕切りの下行われるトッププロの試合まで、共通しているのが「肉眼で分かる範囲がある」という所です。それは、審判も選手も会場の観客もテレビ視聴者も同じで、トップの試合の場合は、当事者である選手が「真偽を確かめたい」と思った時にだけ「神の目」を公開する権利があるのです。これは試合中の情報マネジメントが出来ている良い例ではないでしょうか。「神の目」を司るのもチェアアンパイアですから威厳が損なわれる訳でもありません。(それでもテレビ中継でリプレイの詳細を見せすぎな場合もありますが)
元々テニスは、プレイ中の観客の動きにもマネジメントが及んでいるので、導入しやすかったのでしょうか。老が害ではないのでしょうね。テニスはテニスでフットフォルトにはチャレンジ出来ないという謎のルールがありますがね…
他の競技のVARの是非についても、詳しい方がいらっしゃれば捕捉して欲しいですね。NFLとか。
最後に
高校野球。甲子園大会。勝つも負けるも次の一球次第。ここまで来るのに色々なことがあった...ここで終わりにはしたくない...グラウンドにいる球児たちの脳裏を横切る彼らの汗と涙の日々がまるで自分の走馬灯かのようにグッとくる瞬間ってありますよね。あれって素晴らしい。どうかそういういい部分を残して、改革をして欲しいものです。
皆さん、暑さに負けず頑張って下さい。でも、倒れるまでやらなくて良いです。生きて帰って来て下さい。