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自分の機嫌は自分で良くする😊

 このところ、いろいろと考えることがあった。仕事柄、高齢者と話すことが多く、自分の両親も高齢者ZONEにいる。
 色々な方々が、様々に年月を重ねて生きている。毎日毎日過ごしている。ある人は過去に視線を向けて毎日過ごす。またある人は、公共の場で、自分の常識を掲げて大きな声で色々訴えている。近所のスーパーでも大声を出して、店員を捕まえて何かを訴えている人がいたが、身勝手と言うか、どうでも良いことというか…最後は屁理屈の塊を店員に投げつけて、相手を困らせていた。口を開けば悪口や批判ばかりの人もいる。彼らは、満たされていないのだろう…と私は思って見ている。
 亡くなるまでに使い果たせない程の資産があるような人でも、子孫が立派な職についていて世間から見たら裕福な生活を送ってるように見える人の中にも、心を病んで薬が手放せない人や、ネガティブな言動ばかりの人、〇〇が何もしてくれない…とばかりの人…色々いる。
 ある程度はお金とか生活環境といった要因もあるのだろうけど、その人が幸せかどうかは、結局その人自身が『自分は幸せなだな』、『毎日楽しいな』と認識しているかどうかなのではないかと思う。
 ネガティブな例ばかり挙げたが、思わず尊敬していまいます!って言ってしまいたくなるほどの人々も、もちろんいる。身体の麻痺があって不自由な状況にあっても、その中で、自分のできることを見つけて、毎日精力的に過ごされている方々もいる。高齢でも社会の一員として活躍されている方々もいる。聴力がとか言い訳一切なく、英語や諸外国の言葉を聴いたり、読んだり、学んでいる人々がいる。そういう人々と接するとき、陽のオーラと言うか、その人を明るい空気が取り巻いているような感じがして、話していて、こちらも楽しくなったり、やる気が出てきたり、元気になったりする。
 この文章で私が言いたいのは、幸せというのは他人から与えられるのを待っているだけではだめで。機嫌の良し悪しだって、他人のせいにばかりして振り回されてばかりいてはよろしくないということだ。もちろん誰によろしくないと言うと、自分に宜しくない。そして、不機嫌な自分の周りの人にも宜しくない。
 そして、これから年齢を重ねていくにつれ、病気や加齢で今のように動けなくなったり、生活環境も変わる。大切なのは、『どんな環境になっても、その中で楽しみを見つけて、自分を幸せに、良い気分にする』ことだと、ここ最近、実感することがよくあって、書いてみた。
 なかなか思い立って、すぐに上手くできることではない。けれど『自分を幸せに、良い気分にする』練習を重ねていって、『この人と話すと、こちらまでやる気が、元気が出るわー』という風な人になりたいと思う。

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