寒波で思い出す|寒いよると祖母
寒い夜、ふっと思い出す祖母の顔。
自分が葬儀屋を本当に明確に志したきっかけは祖母の死でした。
それは、なんの前触れもなく突然でした。その日は全国的に急激に寒い1日でした。
暖冬と言われていた2019年の冬でしたがその日は本当に寒い日だったんです。
きっと寒がりのばーちゃんだから
寒さに耐えられなかったのかもしれません。
布団の中で、真っ暗な暗闇で
どんなことを考えながらこの世を去ったのか?
ベットに触れながらママの想いを想像します。
覚悟はしていましたがいざ、その連絡を受け取ると
頭が真っ白になりました。
それは母からの1通のメールでした。
何度か母から着信はあったのですが仕事が忙しく、
折り返す事をしなかったその日の正午頃
その連絡メールは来たのです。
訃報はいつも突然です
祖母(ママ)というのはばーちゃんの愛称です。
享年86歳でした。
歌が大好きで、祖母の家に行くといつも陽気な歌声が響いていました。
亡くなるここ数年は認知症と糖尿病の進行で認知機能がかなり低下していて
もう孫である僕の事はわからない状況でした。
それでも、僕ら家族は下の子達を連れてママの家に行き、リハビリにもなるので
ボール遊びをします。
ママは小さい子が大好きだから連れて行くとすごい笑顔で喜びます。
そんなママの旅立ち。
人はいつか死を迎えるものですがいざその時が来ると胸が張り裂けそうになります。
僕は葬儀屋です。
5年前に葬儀を新潟市内で始めました。
コンセプトはお金をかけない心で送る葬儀です。
ホールもない、人件費も抱えない、何も抱えない葬儀を実現し、地元の寺や自宅、
公共斎場を利用して昔ながら心に残るの温かい家族主導の葬儀を提案して来ました。
それは、葬儀に100万、200万、300万と見栄で送る葬儀が横行しているからです。
業界にいる自分だから正直に思うのは、それは既存葬儀屋が悪くて、何も知らない遺族に、高額な葬儀が当たり前と提案しているから。(すべてではありませんが)
僕はその現実を変えたくて、低価格葬儀を中心として葬儀屋を始めることにしました。
当時はまだばーちゃんは元気でしたが、
『いつかその時が来たら自分の手でばーちゃんを送る』という想いはありました。
ただ、実際に祖母が亡くなり、孫として亡骸と対面するのか葬儀屋と対面するのかに直面してその心の狭間で苦しみました。
『孫として対面したらきっと泣き崩れて葬儀業務はできなくなるだろう。』
そう思いました。
しかし、だからこそ『葬儀屋としてママと対面したらきっと涙も出ない冷たい孫として存在するだろう。』そうも思うのです。
メールを受け取り、ママの自宅に向かう車中
ずっとそんな事を考えていました。
心の拠り所は僕の妻、でした。
葬儀事業を開始する時も、いつも苦しい時や辛い時、僕を側で支えてくれていました。
今回も助手席で彼女がこう言います。
『自分の葬儀を孫に任せることができるなんてママは幸せだよ』って。
僕はその言葉で孫として葬儀屋としてばーちゃんと対面できる決意ができました。
そうそれは、今日のような寒い夜、祖母が亡くなった寒夜のように。
お読みいただきありがとうございます。
自分が葬儀屋を始めた理由、祖母が亡くなり1年が経とうとしています。
こんな夜だからこそ、家族を大事にしてください。