前哨戦出走は必要か?: 日本馬の凱旋門賞制覇へ向けて
はじめに
日本競馬にとって悲願ともされる、フランス競馬の凱旋門賞制覇。これまでのべ頭の馬が挑戦してきたが、2着4回と勝利には至っていない。そこで、本稿では凱旋門賞の制覇に向けてどのようなことが求められるかについて、「ローテーション」の観点から探っていきたい。凱旋門賞に向けて、どのレースに出走していくかの選択ことが望ましいかを考察することにより、今後に生かすことができるのではないかと考える。
それでは、まず凱旋門賞の概要と日本馬がこのレースを目指すようになった経緯について説明していく。凱旋門賞はフランスのロンシャン競馬場の芝2400mで行われるG1レースである。1920年に創設され、2019年に98回目を迎えた。日本馬が初めてこのレースに出走したのは1969年のスピードシンボリであり、当時国際的かつ先進的な思想を持っていたシンボリ牧場代表、和田共弘により遠征がなされた。しかし、結果は24頭中11着以下の着外(注1)であり、日本競馬とヨーロッパ競馬の大きな差を関係者は感じた。それ以後、50年に渡り日本馬は断続的にこのレースに出走している。ただし、ジャパンカップ創設から1990年代中頃のフジヤマケンザンをはじめとする海外遠征ブームが起こるまでは、しばしそれも止んでいた。この原因は、当時ジャパンカップに欧米の有力馬が多数出走したこと、ギャロップダイナ、シリウスシンボリ、シンボリルドルフが海外遠征を行ったものの失敗したことが挙げられる。しかしながら、凱旋門賞は世界的な権威あるレースと日本ではされており、日本馬にとって一つの目標として掲げられた。
優勝馬の前哨戦
まず、過去10年の優勝馬がどのレースを経て、凱旋門賞に出走したかみていく。表1の通り、全頭が自分している国のレースを勝利して臨んでいる。一方、日本馬が前哨戦として使うことの多い、フォワ賞やニエル賞を経て優勝したのは、フォワ賞を優勝した2019年のWaldgeistのみである。ただ、前哨戦というよりも単にG1レースに出たという馬も多い。もっとも、欧州においては日本ほどG1レースの格式や賞金が全てのレースで高いというわけではなく、凱旋門賞のような「特に」伝統や格式G1レースの前哨戦として機能しているG1レースも存在する。
レース間隔を見ると、多くの馬が1ヶ月前に当たる9月上旬から中旬にかけてレースに出走している。2ヶ月以上の間隔をあけて出走したのは2010年のWorkforceのみである。また、前哨戦の着順を見ても同じくWorkforceの5着が最低であり好成績を残している。以上のように、優勝した馬はフランスでの前哨戦を経ていない馬はいるものの、いずれも1〜2ヶ月前のヨーロッパのレースに出走し、好成績を収めたのち凱旋門賞に駒を進めている、といえる。
日本馬の前哨戦
さて、次に日本から遠征した馬がどのレースを経て、凱旋門賞に出走したかについて見ていく。なお、中には出走当時は「前哨戦」とされていなかったものを含むが、ここでは全て前哨戦としている(凱旋門賞に出走しようとしていた馬の中には、直前の国内のレースで不甲斐ない成績になった為に、出走を中止したこともありこの仮定はあまり現実とは乖離していないと考える)。ここで、出走馬の前走と着順について表2にまとめた。のべ26頭のうち、海外レースを前哨戦としていたのは17頭、国内レースを前哨戦としたのは9頭である。また、この中でもスピードシンボリ、シリウスシンボリ、エルコンドルパサーは長期的な遠征中に出走した。多くの馬は1〜2ヶ月以内に出走しているが、メジロムサシ、マンハッタンカフェ、ジャスタウェイのように国内戦を経由している場合には半年近く間隔の空いているのもいる。なお、アヴェンティーノはオルフェーヴルの帯同馬として遠征した。海外レースを選択した馬は全て、フランスのレースである。スピードシンボリ以外の3歳馬はニエル賞、4歳馬以上はフォワ賞に出走している。一方、国内レースを選択した馬はオープン競走が1頭、天皇賞(春)が1頭、安田記念が1頭、頭宝塚記念が3頭、札幌記念が4頭である。特に、近年日本国内をステップとする場合は洋芝のレースであることから、札幌記念が選択することが増えている(注2)。
考察
以上、日本馬と優勝馬の前哨戦の選択についてそれぞれ見てきた。違いを見ていくと、日本馬は優勝馬に比べてレース間隔が空いていることが見て取れる。
また、凱旋門賞で好成績を収めた馬はいずれも現地の前哨戦で好成績を収めている。ただし、現地の前哨戦で好成績を収めたからといって必ずしも本番の凱旋門賞で好成績を挙げているわけではない。ゆえに、凱旋門賞で好成績を収めるために前哨戦に出走し好成績を収めることは必要条件であると考えられる。十分条件でないと言える例として、マカヒキ、ヒルノダムールなどが挙げられるであろう。
よって、凱旋門賞で1着を取るための条件は単に前哨戦で好成績を収めれば良い(あるいは圧勝すればするほど勝利に近づく)というものではなくあくまで必要条件の1つとなりうるという認識であるべきである。よく言われているような馬場適正だけではなく、馬の絶対的な能力や調教、気性といった他の様々な条件によって決まるものであろう。
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注1 当時は11着以下の着順の馬は「着外」で一括りであった。日本ではもちろん当時からレースの着順は最下位まで記録されており、この点だけは日本競馬の方が「進んでいた」かもしれない。なお、各種資料では10着とされている場合もあるがこれは誤りである。
注2 札幌記念は1997年まで6月下旬から7月上旬の間に施行される場合が多かった。これは現在の函館開催と逆であったためである。また、1989年まではダートレースであった。