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出産日記⑤

妊娠高血圧症候群と診断された人は、産後しばらく血圧が下がらないのだという。
例に漏れず、私も産後数日間は血圧が下がらなかった。

産後2日目の血圧は160/110。目を剥いた看護師さんにタオルで目を覆われ、ワンショットの降圧剤を与えられる。

これがまた効果覿面で、今度は血圧が下がり過ぎてひっくり返る。

いやはや、「たかだか高血圧で入院するんですか?」って出産前は言ってましたけど、人間は容易く血圧に踊らされる。
血圧下がったし歩いていいよ〜と言われたので立ち上がったら、低血圧ゆえ目の前が真っ白になってぶっ倒れてしまった。

こわっ!血圧こわ!

そしてやめときゃいいのに、なんとなく鎮痛剤は身体に悪い気がして飲むのをやめてみた。
案の定夜には痛みで脂汗びっちょり。

夜勤の看護師さんはまさか術後2日目の人間が鎮痛剤飲んでないなんて知らないもんだから、「ちょっと遠いけどNICUまで歩いてみましょうか!」と言う。
私もアホだから「いけます」と言う。

昔親知らずを抜いた時、「どこまで痛み止めを飲まずにいけるかチャレンジ」をしたことがある。
確か術後6時間後くらいから寒気と震えが止まらなくなって、慌てて鎮痛剤を飲んだけどすぐには効かなかった。

あの時学んだはずだ、痛み止めは早急に飲んでおけと。

ヒトとはかくも愚かな生き物である。
親知らずを抜いた時は【ひとり大河ドラマごっこ(=戦国の世のように鎮痛剤無しで痛みに耐えること)】をして乗り切ったけれど、よく考えれば産後の痛みはハラキリ+後陣痛なのだ。下手すれば武将よりきつい。

殿、お気を確かに!

と大河の登場人物気分で自分に言い聞かせていたけれど、そんな苦行する必要なんざどこにもない。
看護師さんいわく、「普通にみなさん退院まで鎮痛剤飲みますよ」とのこと。

ハーーッ解散!
薬くださーい!!!

という訳で鎮痛剤無しで2日目過ごしてみたけれど、ベッドで大人しくしている分にはそこまで辛くない。傷は動かなければ響かないし、やはり時折襲ってくる後陣痛の方が痛かった。

ただ、やっぱり歩くと激痛が走る。

尿道カテーテルから繋がったお小水のパックと点滴を引っ掛けた点滴棒に、へっぴり腰でしがみつきながらヨロヨロ歩く。

優しい看護師さんが話しかけてくれるけど、痛過ぎて蚊の鳴くような声で「ハイ……」としか言えない。

人間、痛すぎるとまず声を失う。

それでもやはり娘は世界で一番可愛い。
家人に似て頭蓋骨がめちゃくちゃ縦長だけど可愛い。
たぶん帽子が死ぬほど似合わない女の子になるけど、誰がなんと言おうと可愛い。

出産前大部屋だった時、帝王切開後とおぼしき患者さんに看護師さんが「赤ちゃんに会えば痛みなんて忘れますよ!」と言っていて「んな無茶な」と思ったが、まぁ、確かに忘れる。それを他人に言うかどうかは別だけどね。
出産を控えた女性に「痛み?あぁ、もう忘れちゃったナ!ガハハ!」って言う大味な経産婦にはなりたかねぇな。

翌日、鬼畜先生から心臓の薬を足そうと思う、と提案される。しかし。

「この薬を飲むと、母乳が与えられなくなります」

とても言いにくそうに先生が仰った。

母乳の方が愛情が伝わる的な神話なんてクソ喰らえだと思っちゃいたけど、先生からそれを聞いた時湧き上がったのは「絶対いやだ!」という感情だった。

母乳にもミルクにもそれぞれメリットデメリットがあるのはわかっているけれど、私はたぶん母乳をあげることにとても憧れがあったのだ。

どうにかなりませんか、私は体を壊しても構わないので、と言ったら鬼畜先生が気の毒そうに私を見て、「わかりました、調べてみます」と約束してくれた。

鬼畜先生(何度も言うが大変可愛らしい方だ)なんて呼んでごめんなさい。

その後悶々としている私に、日勤で付いていてくれたベテランっぽい看護師さんが言った。

「赤ちゃんにとって一番いいのは、お母さんが元気な事なの。母乳をあげたい気持ちもわかるけど、貴方の身体をまず治すことが赤ちゃんの為でもあるんだよ。貴方だって、貴方のお母さんが貴方を産んだ為に寝たきりになった事を、ずっと自分のせいだって思ってきたんでしょう」

そうだ。

私は、ずっと自分を責めて生きてきた。

私が産まれたせいで、母はあんな身体になったのだと。

だから、家人には「もしも出産時、母と子のどちらの命を救うか選べという状況になったなら、私の命を優先して欲しい」と言っていた。
別に自分の命が惜しいからではない。ぶっちゃけ、子を選んで死ねたなら私はさぞかし気分良く死ねるだろう。

しかし何の罪もない子に、この先長い人生において重たすぎる十字架を背負わせることは、ただのエゴだと思ったのだ。

だって私はつらかったから。

そう思っていたのに、たかだか母乳をあげたいという我儘で自分を蔑ろにするところだった。

子供は可愛い。
髪を振り乱して、私はどうなっても構わないからこの子だけは助けて欲しいと叫びたくなる気持ちもわかる。

しかし、己を大事にできない奴は他人も大事にできない。
この世の法則は厳しいと思う。難しいことだ。

泣く私を看護師さんが優しく宥めてくれた。
ここはハイリスク妊婦を数多受け入れている大学病院だ。ベテランそうな彼女は、それこそ色々な妊婦・産婦さんを見てきたのだろう。職業に貴賎はないが、本当に尊いお仕事だと思う。

結局鬼畜先生がそこそこ子供への影響を抑えられる薬を見つけてきてくれて、それをごく少量ずつ飲みながら授乳することになった。
基本的に心臓に効く薬はリスキーなものが多い。
それでも我儘を聞いてくれた先生には頭が上がらない。

鬼畜先生、とても可愛らしくて痩せているのでおばちゃん心配。ドーナツとか腹いっぱい食べて欲しい。
病院の妖精さんかな?ってレベルで毎日のようにお見かけした。夜勤も勿論やってらっしゃったから、先生方はいつ休んでいるんだろう。

利尿剤をドバドバ入れたおかげで肥大した心臓はすっかり元通りになり、血圧の薬と心臓の薬を飲み続ける事で6日後に退院と相成った。

母親に聞いたところ、この治療法はほぼ彼女が私を産んだ当時、30年前と変わっていない。
という事は、今回私が母と違ってぐんぐん回復したのは、医療の進歩ではなくお医者さん達がハイパー迅速に対応してくださったからだ。

自分ひとりの力で生きてるわけじゃないんだなぁ。


アンリシャルパンティエのシュークリーム

退院後に食べた約束のシュークリームは勝利の味がした。

NICUに入院している娘のために3時間おきに搾乳して冷凍せねばならないので、ぐうたら回復に努める訳にもいかないが、少しずつ復調している。

最近家人がメインディッシュを作ってくれるのでハッピー。

ぶりの照り焼きは家人作。(生姜は私が刻んだ)

以前から気が向いた時に料理する人ではあったが、いかんせん包丁に慣れていなかった。「王様、ネギが切れましてございます」「うむ」というやり取りを繰り広げて私が材料を切っていたのだけれど(甘やかしすぎ?)、その頻度はかなり減った。

王の料理から格上げである。

味は勿論、家族が作った補正もあってとても美味しい。

さて、もう少しで娘も退院だ。
心身ともにメンテナンスをしておかなければ。

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