おれカニ

別におれが何をしようとおれの勝手、なのに、まるでおれのことを知っているかのような口ぶりで、あなたはこうした方が良いとか、こういうことはするなとか、勘弁して欲しい。子供じゃないんだっ。一体おれを何歳だと思っているのだろう。もしもおれの左腕がカニのハサミになって、美味しそうな身がちょっと飛び出していたとしても、それでも、おれはおれのままなのだ。きっとおれはカニのハサミを見せびらかして、人前でふざけておどけるだろうけど、内心は傷ついているかもしれない。ヤバすぎて絶望しているかもしれない。けれども、誰が気付いてくれるというのか。はっきり言って、誰もおれのことなど大切に考えてはいない。落ち込むおれに救いの手を差し伸べる者などいない。しいて言えばきみくらいのもので、本当におれのことを大切に思ってくれる人など、他にはいない。きみだけが、いつもおれの健康を、おれの幸せを、祈っている。だからおれもきみのことだけを考えることにした。

どいつもこいつも基本的には自分のことばかり、頭の髄液をパンパンに膨らませて、涎を垂らしている。己の楽しみ、己の悲しみ、己の欲望、己の不安、それが全てだから、こちらのことなど知ったこっちゃない。それはおれも同じだ。孤独に酔ってるわけじゃない。だからカニのハサミでカチカチ、そんで皆が笑えば嬉しいから、何も気にしてないような至極冷静のフリしてカチカチさせる日々。「とかげのおっさん」というコントは、哀しいおっさんの物語。けれど、最後はいつも子供相手におどける姿で終わる。誰かを楽しませたい、誰かを笑わせたい、そうした精神はあれど、己を殺してまで道化に走ることは無い。それはやさしさでもあり、己の欲望でもある。あぁ、だから、やさしさは愛ではないのだ、きっと。

夜の空を見ればお月さまが浮いている。漫画家の森元さんという知り合いがいて、自分は好きなのだが、こないだ舞台で森元さんが、月は良いという話をしていた。まんまるな満月も良いし、薄い三日月も良い、半分になったかまぼこみたいな半月も、やっぱり良い。ふと空を見上げて、それがたとえどんな状態の月であっても、良いなぁ、と思える。人間はなかなかそういうわけにはいかない、というお話。うんうん、分かる、と思った。汚れた私も、ぷんぷんな私も、ぐすんな私も、笑顔の私も、カニの私も、全て私なのだ。

とか言って、結局また自分のことを考えている。お前なんて野郎はただの調子乗り、一丁前に落ち込むなよ。「全て私なのだ」なんて抜かしたところで、誰もお前の全てを理解出来るわけが無いだろう。そしてお前も誰かの全てを理解出来るわけが無い。だから楽しいのではないか!きみのちょっとした仕草が不思議で愛おしくなるのは、そういうことだ。

ひとりぼっちとひとりぼっちが手を繋ぐ。ぼくらはいつから当たり前のように一緒にいるのだろう。気が付けば隣にいた。私の部屋のソファーに座っていた。きみはカニになった私の左腕をそっと手に取り、大丈夫大丈夫、って言いながら、まるで子供をあやすかのようにやさしく撫でた。思わずムラっとした私は、きみのワンピースを脱がせた。そしたら、アッ、おなかがカボチャになっているではないか。きみは照れながら少し俯いた。そうだ、そうだった、思い出した。遠い星の彼方からぼくらはやって来た。で、これから?ぼくらは果たしてどこに向かうのだろう。何も分からない。何も気づかない。一寸先は闇の道。今日は何する?って言いながら、共に何かを作り上げたり、並んで公園を歩いたり、互いの身体を温めあったりして、沢山の運命を狂わせながら、ふたりで微笑んでいる。

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ヤング嶋仲
何もいりません。舞台に来てください。