しょうもない芸人
芸人でもバンドマンでも、奇人変人ぶってるタダの見栄っ張り、単なる承認欲求野郎は見ればすぐに分かる。あぁ、こいつ、やっとるな、って思う。そういう人が一番しょうもない。見ているこっちが恥ずかしい。これはキャラとかそういう話では無くて、もっと根源的なもの、全ての舞台表現において、薄っぺらい見栄っ張り、背伸び、格好付けは、すぐに露呈してしまう。文章だったら多少はごまかしが効くように思う。ただ、人前に立って、己の姿と己の声で何かを表現すると、ごまかしはいとも簡単に剥がれ落ちてしまう。だから、なるべく無理せず己のまんまで演る方が良い。もしくは完全に貫いて道化を演じるべきだろう。
特に漫才師はそうだと思う。「漫才師は己に嘘をついてはならない」というのは私の持論なのだが、たとえば台詞や間や表情のひとつひとつに、それは現れる。嘘の台詞、嘘の間、嘘の表情、これらは全て、漫才において不必要なものだ。え?漫才って嘘つくものじゃないの?って思うかな。この辺りの説明はちょっと難しいのだが、簡単に言うと、心では一切嘘はつくな、って感じ。たとえフィクションであっても、あくまで己自身には素直でなくちゃいけない。憧れを捨てて、己と向き合うことで、己の持つ面白さが浮かんでくる。それをいつまでも「ぽい」感じでやられても、本物とは程遠いエセにしかなれぬ。
笑いの形は自由で、決められたルールも無いのだが、やっぱりしょうもない芸人にはしょうもないなりの理由がある。変なことをしたい、他と違った雰囲気を出したい、そういう意図なのは分かるけれど、いかにも奇人ぶっていたり、いかにもシュールぶっているその様子は、笑うどころか見ていて気持ち悪くなる。なぜなら凡人が「ぶった」ところで、本当の奇人や本当のシュールには全く太刀打ち出来ないからだ。本当にヤバい芸人は沢山いて、彼らは当たり前のように狂った発想を純粋に炸裂させてくる。そして、そういう人に限ってとてつもなくピュアなものだから、己が奇人だとは自覚していない。彼らからすれば、ただありのままに表現しているだけなのだ。そんな本物に、我々凡人が敵うはずが無い。だからこちらは、もっと素直に、己の面白いと思うことを、きちんと伝わるように演るべきだ。中途半端なやり口では、ある程度の阿呆な観客を騙せたとしても、先は無い。
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