仮想なる青春

とある女性の話。中学生の頃にパソコンが家に来て、彼女はそのとき初めてインターネットというものを体験したという。当時好きだった芸能人の名前を検索していると、誰かが個人でやっている自作のホームページに辿り着いた。それは、その芸能人とは無関係のものだったが、ただホームページのタイトルに芸能人の名前が含まれていたため、検索に引っ掛かった。中学生の彼女は、そのホームページに書かれた見ず知らずの人の文章に惹かれて、それからは毎日チェックするようになった。その人はおそらく年上の女性で、日常のエッセイや日頃の思ったことをホームページに綴っていた。中学生の彼女はホームページが更新されるのを楽しみに、何度もクリックをした。あまりに頻繁に見過ぎたせいか、あるとき、近頃やたらと訪問カウンターが増えていて何かこわい、とホームページに書かれてあった際には、それわたしです…、と一人で恐縮したという。ただ見るだけで、コメントやメッセージは一切送らなかったらしい。そしてあるとき、そのホームページは突如閉鎖して、インターネット上で完全に消失したという。その後の、その人の行方は分からない。中学生だった彼女は、今は田舎を出て都会で暮らしている。そして、彼女もインターネット上で文章を書いて発表して活動している。あの頃の思い出は未だに鮮明で、文体や、文章の雰囲気は、中学生のときに見ていたその人の影響を、多分に受けているという。

自分はこの話を聞いて、ええやん、と思った。インターネットにもロマンはあるのだ。もう二度と触れることの出来ない、しかし確かに自分にとって青春だったものが、仮想世界に存在していたという事実。そしてそのロマンは、また誰かに繫がる可能性がある。つまり、今まさに、どこかの田舎の幼い少女が、偶然インターネットで見つけた彼女の文章をこっそりと読んでいるかもしれない。それは、大いにあり得ることなのだ。

自分も同じことではないか。

どこかのシワくちゃ老婆が、孫に買ってもらったiPad。使い方もよく分からぬまま、西城秀樹ファンの老婆は、とりあえずインターネットを起動して、「ヤングマン」と検索することにした。しかし極度の老眼ゆえに、キーボードを打ち間違えて、「ヤングシマンカ」と検索してしまった。

そして、とあるnoteを見つける。そこでは、貧乏な漫才師の男がつらつらと地味な文章を書いていた。老婆の若かりし頃の恋人は、嶋、という名前の男で、戦時中にフィリピンで死んだ。老婆は青春の恋路を思い出しながら、見ず知らずの漫才師と死んだ恋人とを重ね合わせる。それからは、日課の如く、そのnoteを読むようにした。夫に先立たれて、一人暮らし田舎暮らしの老婆にとっては、それが心の拠り所となっていた。孫に閲覧履歴を見られたこともあった。ばあちゃん、なんでこんなの見てんの?あぁ、これはな、わたしのロマンだよ。

とある朝、老婆はいても経ってもいられず、大阪へ向かうことを決意する。生きているうちに、その漫才師の漫才をこの目で見たい。いや、見なくてはならないような気がする。しかし行きの列車の中で食べた幕の内弁当の青豆が喉につまって、ほどなくして老婆は死んだ。

何もいりません。舞台に来てください。