エレ坊
エレクトリック・ベイビィこと、曽根光一は、エレ坊、と呼ばれていた。
エレ坊は生まれながらにして、自ら発電することが出来た。エレ坊の母親は、産後そのまま感電死した。父親は蒸発し、行方は誰も知らない。病院での精密なる検査の末、国指定重要危険性乳児に認定されたエレ坊は、本名は光一、通称エレクトリック・ベイビィ、と名付けられて、北関東にあるセンターへと移送された後、科学者たちによる研究対象となった。しかし、発電の仕組みについては明確な結論は得られず、センターでは日夜、秘密裏に実験が行われた。研究の末に、エレ坊は泣いたときにのみ発電する、通常時のエレ坊は無害な赤子である、ことが判明した。
それからのエレ坊であるが、プロフェッショナル・ベビーシッターたちによる完璧な育児によって、一切泣くことが無いよう、ぬくぬくと育てられた。だが一度だけ、お漏らしをした際に大泣きをしたことがある。その際、オムツを換えようとエレ坊に触れた一人のプロフェッショナル・ベビーシッターが、不運にも感電死した。以降は、エレ坊専用の完全防電部屋が設置され、また、遠隔育児によって育てられることとなった。エレ坊は国の意向によって、発電にも利用された。週に三度、発電所へ移送されて狭い独房の中に閉じ込められるのである。そして恐怖の絵本や爆音オルゴールによって、号泣させられた。その際に発電した電気は全て、電力会社によって蓄えられた。
殺人前科のあるエレ坊であったが、世間での人気は抜群で、エレ坊タオルやエレ坊缶バッジは飛ぶように売れた。テレビでは連日エレ坊のアニメが放映されて、芸人たちはこぞってパロディーをした。電気不足の社会では、コストのかからぬエレ坊発電による電気も重宝された。家庭では、エレ坊型のコンセントが主流となった。勿論、乳児を利用する国のやり方には反発の声も起きた。発電はエレ坊の身体にとって害悪であり危険極まる行為である、また、乳児を発電に利用することは人道的に許され難い、エレ坊の意思を尊重せよ、といった専門家たちの意見もあったが、国はあくまで発電が安全であることを主張するために、「あんぜんあんしんのエレ坊」を掲げて、エレ坊発電のポジティブな宣伝を連発した。当のエレ坊は外界との接触を一切禁止されていたので、何も知らずに育った。
やがて成長したエレ坊は、あるとき警備員の男に世界のいろはを教わり、自分が普通の子供では無いことを悟った。その頃には、恐怖の絵本などの号泣材料が無くても、素面で涙を流すことが出来た。何の感情も湧かずに、ただひたすら薄暗い独房で涙を流して、自己発電する日々を送った。世間では相変わらず、エレ坊といえば乳児のキャラクターであったが、当の本人は良い年頃になっていた。髪は静電気のせいで全て逆立っていた。
ある夜、ふと、独房の壁に耳を当てると、うっすらと外界の音が聞こえてきた。あぁ、誰かが鼻歌を歌っている。それは美しいメロディーだった。エレ坊は、うっとりとした。目を瞑り、世界を想像してみたが、頭には何も浮かばず、黒い点がひとつあるのみだった。そのうちに鼻歌は遠ざかり、聞こえなくなってしまった。脳内の黒い点が、途端にぞわぞわぞわと広がっていく。やがてそれは巨大な闇となって、エレ坊を襲った。闇の中でエレ坊は白目を剥いた。完全なる絶望を感じたのである。そのとき、エレ坊の中で何かがプツリと弾け飛んだ。様々な感情が一挙に湧き上がり、大声で泣き喚いた。気が狂うほどに涙を流しながら、宙に向けて咆哮した。爆音オルゴールなど比にならぬほどの爆音で、エレ坊は、叫び、泣いていた。どれほどの涙が溢れただろうか。放電の限りを尽くしたエレ坊は、焼け焦げになって、独房の床に倒れ込んだ。その瞬間、街中のネオンがとてつもない輝きを発して、世界は眩しい光に包まれた。