スキの問題
noteにも、フォロー・フォロワー制があるのですね。
自分はTwitterをやっておらず(経営しているライヴ喫茶のTwitterはある)、その理由のひとつが、フォロー・フォロワー問題なのです。フォローというのはつまり、支持、ということで、自分は昔から誰かを支持するというのが苦手で、支持政党も無ければ推しアイドルもおりません。基本的に自分のことで精一杯なので、誰かを支持する器量が無いのです。けれども中にはフォローしたのにフォローされないことで苛つく人間もいますし、支持するとか、しないとか、そういう問題ではないのだよ、友人や知り合いや見知らぬ人と繋がるためのツールとしてのフォロー・フォロワー制なのだよ、ということは分かりますが、それならばフォロー・フォロワーという名称には納得いかず、同じく、いいね、という名称も気に入らない、なんてことを考えているうちに偏頭痛が始まり、こんなことで悩むくらいならスマートフォンを破壊した方がマシだと金槌を取り出したところで正気を取り戻す毎日です。
なので、noteにおいて自分は、おそらく誰もフォローしないと思います。フォロワーに関しては特に何も思いませんので、されようと、されまいと、どちらでも良いです。
スキ、とは、好き、のことでしょうか。それならば、素晴らしい名称だと思います。貴方の文章が好きです。そんなことを言われたら嬉しく、同じく自分も人の文章を読んで、好きならば、好き、と言いたくなります。これからは自分も、誰かの文章にスキを付けていこうと思います。
と思いましたが、ひとつ気になるのは、スキ、と片仮名にしているところです。好き、ならば、好き、で良いのに、なぜ、スキ、なのでしょうか。これには何らかの意味があるはずです。自分は鎮痛剤を飲んで偏頭痛を抑えつつ、金槌片手に必死で脳を回転させました。
鋤、のことかもしれない。鋤とは農作業の際に土を掘る道具です。貴方の文章をもっと掘り下げたい、という意味か、貴方の文章は土だらけで芋臭いから田舎に帰って畑でも耕した方がいいよ、という意味か。
隙、かもしれない。貴方の文章は、誤字脱字は勿論、内容も短絡的でいくらでも論破できる、隙だらけだねぇ、という意味か。
どちらにしても、あまり良い意味ではありません。スキとは何なのでしょう。スキーやすき焼きのことならば好意的な意味かもしれませんが、流石にそれはあり得ないと思うのです。
また頭痛がしてきました。しかし今は、スキ問題を考えなくてはなりません。なぜなら、スキを付けられることで傷つく人がいるかもしれないからです。たとえ自分が、好き、と思って、スキ、を付けたとしても、相手には、そんなに隙ですか、と思われることだってあり得るのです。「アイラブユーが嫌いの合図」という歌が昔ありましたが、まさしくそんな感じです。迷惑な話です。
そして今調べましたが、そんな歌はありませんでした。では、さっきから自分の脳内で流れているメロディーは何なのでしょうか。自分はいつまで金槌を握っているのでしょうか。果たして自分は、何が好きで何が嫌いで何が鋤で何が鍬で何が隙で何がぱんぱんに詰まっているのでしょうか。それを明確にすることに何の意味があるのでしょうか。
やはり、スキを付けるのもやめておきます。
自分は穏やかに、ただ自分の文章を書いていくことにします。
何もいりません。舞台に来てください。