自主制作映画と私(仮)①
3月7日に三箇日のメンバーで参加した短編自主映画『サイッキカーZ2(仮)』の上映会イベントが開催されます。
その宣伝も兼ねて、初めて自主映画制作をしたお話をとっかかりにして、なにか書いてみようかと思います。
と思っていたのですが、イベントはもう今日です。宣伝になりませんね。
動かぬ秋雨前線
1枚のスチール写真からどうぞ。
「三箇日」という演劇仲間で作った自主映画製作ユニットで初めて制作した『飛んで火にいる』という作品の宣伝用スチール写真です。
この場所は橋の下です。
停滞する秋雨前線のおかげで、雨に祟られた撮影期間でした。この日も例外ではなく、当初の予定ではなかった橋の下を撮影場所と決めたのです。
この直後、焚き火に必要な着火剤の役割を果たす雑誌、新聞紙の量が足りなくなり、現場が険悪になります。
さらに、佐藤が律儀にも雨の中、スタンバイの位置で濡れ続けたため、新聞衣装がドロドロになり使えなくなります。
消えかかる焚き火を横目に、現場の悪い空気には火に油を注ぐ、という佐藤らしい大胆なミスです。
誰も彼もが愚かでした。
ギクシャクした空気の中、スタッフさんのファインプレーでなんとか撮影を終えます。
もてあます時間
翌日は、この作品の最も肝であるシーンを撮る日です。
光り輝く太陽と主人公との象徴的なシーンです。
それを撮るために、奥多摩までやってきたと言っても過言ではありません。
「山の天気は変わりやすい。だから、逆に明日は晴れるさ」
祈りをこめて、就寝します。
行き場所のない捨て犬のような後ろ姿です。
越えるのを躊躇するほどの巨大な水溜りの前に立ち尽くしていますと、過去の親しい先輩との会話を思い出します。
自主映画を作りたいと話した時、先輩は諭すようにこう答えてくれました。
「(いい歳して)やめとけ、なんもいいことなんてないから」
長らく映画制作の世界で活躍している先輩のことは尊敬もしていますし、その言葉の意味も分かっています。
全てを理解した上で、制作を開始したのは、これを言ってはどうしようもないのですが、他にやることがなかったからです。
(3月22日追記:「他にやることがなかったからです」というのが言葉足らずで気分を害される方がいるかもしれないと思いました。ここに込めた意味は、文字通り、暇な時間を持て余していたということなんですが、その当時、映画制作以外、夢中になってやりたいことがなかったという気持ちも汲んでいただけますと嬉しいです。)
うごめく欲求を、理性で抑えるには、あまりにも時間をもてあまし過ぎていたのでしょう。
雨粒の音を聞きながら、先輩の言葉を噛み締めていました。
晴れの場を探す
早々にこの日の撮影を諦めます。
一日だけ予備日を用意していたので、翌日の天候回復にかけることにします。
日々、他にやることがないとはいえ、スタッフさんを含めた全員が揃って動くには、スケジュールは限られています。ひとまず、明日しかないのです。
抜けの良いロケーションで、太陽を撮らないと終われない話です。けれども、秋雨前線はどっしりと腰を下ろしています。
困りました。
ちなみに、当時の天気はこれです。
翌日の天気予報を見ても、晴れマークは皆無です。
新たに撮影日を設定するしかないか。
いや、待て。
一箇所、晴れマークがある、と。
終電時間に中野駅に再集合し、そこから車で新潟港へ。新潟港から始発のフェリーで2時間半。
スタッフさんが提案してくれたその案を聞いた時、普通の人たちなら、一旦立ち止まって、代案を考えるでしょう。予算だって増えるわけですし。
しかし、立ち尽くすのに、飽き飽きしていた僕らです。
佐渡に渡ることで、すべてが解決できるのならば、日本海などちょっと大きめの水溜りに思えます。
船から降りると、休むことなく監督・篠原のイメージの場所がありそうだった「ドンデン山」を目指します。
蛇行した坂道をぐいぐい登っていきます。
ロケ場所を足で探すために、程よきところで車を止めます。
空を見上げます。
ずっと気にしていたからでしょう。だからこそ余計に、ひさしぶりの青空のような気がします。
いらだっていた心が、やわらかくなっているのに気づきます。旅の高揚感も手伝って、長距離移動の疲れは消えています。
圧倒的な景色が、昨日はバラバラだった僕らに、同じ感想を持たせてくれたのです。
「来てよかった、 がんばろう」
僕たちは撮影を始めます!!
移動中、蛇に行く手を阻まれ、立ち往生しました。
まさかの団体客の嬌声が鳴り止みません。
セリフが入っていない役者がいたので、待ちます。
台本を忘れたというので、貸します。
山の天気は移ろいやすく、気が付けば私たちを雲がおおっています。
雨が降り出します。
霧っぽくすらなってきます。
体が凍えて震えています。
太陽のシーンは撮ってません。
東京へ戻るためのフェリーの時間が迫ってきます。
「昨今の映像技術を駆使すれば、きっとなにげに繋げることが、できる範疇じゃね?」
「そだねー、そだねー」
予定のカットを強引に撮り、山を降りました。
「こんなことなら、もっと近場で良かったかもしれない」
そんな、たった一言で小さなコミュニティーを破壊させうる仮定法過去完了を、奥歯で嚙み殺します。
帰りのフェリーはあっという間でした。
疲労困憊の僕らは、すぐに寝てしまったからです。
三箇日を通しての出会いが
新潟港から車を走らせ、朝、東京に戻ってくると、ドラマのオーディションでした。
そのオーディションが「日本ボロ宿紀行」でもお世話になった、たかせしゅうほう 監督の「GAKUYA」というドラマです。
長くなったので、続きは次回にします。
自主映画監督の木場さんと三箇日のメンバーが出会った時の話です。
これを書かなければ宣伝にならないですね。
自分に残念です。