手間をかけるというコト
自宅でいる時間も増えたので、家庭菜園を始めたメイです。
野菜なんて育てる時間、お金を考えたら買った方が断然安い。それは間違いないし重々承知しているんですが、じゃあなんで、わざわざ手間をかけて家庭菜園をするのかということを考えてみました。
豊かさとは?
1〜2年前は「豊かさってなんだろう?」って疑問を常に抱えて生きてました。事あるごとに、これは豊かだ、あれは豊かじゃないって選別する。その行為こそが豊かじゃないって話だけど、自分の追い求める生き方を探してたのかも知れません。
そんな選別を繰り返す中で、ひとつ行き着いた先が丁寧さだったのです。Instagramでは #丁寧な暮らし なんてハッシュタグが流行るくらいに生活をデザインするのは当たり前になった昨今。あえて抽象的な言葉を繋ぐなら豊かさはこの丁寧さだと思います。
じゃあ丁寧さって何かと考えると、これは手間だと答えます。そう思うのは丁寧さの大部分は省略できるものであるからです。言うならば生活のディテールです。きっと「なくても大丈夫。だけどあったら嬉しいよね」ってものなんです。だからこう思います。
豊かさ = 丁寧さ = 手間
便利になりすぎた世の中へ
私たちは欲しいと思ったモノがあれば①どこかの偉人がつくった機器を開いて、②(特にに地方の)世界を変えたECサイトで調べて、③社員の顔さえも見た事ないカード会社に支払いしてもらって、④宅配業社による止まらないリレーが行われて翌日には届いちゃったりする。なんて便利な世界だ。
(お金さえあれば)大概のモノは翌日には手に入る。(お金がなくても)たくさんの有意義な情報は手にはいる。必要なのはスマホをタップする作業だけだ。とても便利で、すごく楽で、労力も必要とせず、そしてなんの手間もいらない。そんな世界だ。
手間をかけるというコト
だけど便利なことは悪いことじゃない。私も多くの便利ツールを使うし、むしろ流行りモノには飛びつくほうだ(すぐ飽きるけど)。それでも手間をかけたいと思う気持ちはただひとつ、自己満足だ。ただ単にこれを自分の手でつくりたいという気持ちでしかない。
家庭菜園をやるのだって別に誰かのために野菜を作ってるわけでもないし、相手に見せびらかすためでもない(でも日記的にSNSは使うし、我が子たちを見て欲しい気持ちもちょっとある)。純粋に自分がやりたいし、楽しいという気持ちがあるからやってる。
手間をかけるというコトは手間をかけたいと思うコトの上に成り立つ。それにはそこそこの情熱が必要で、それが冷めたら辞めちゃうのもいいんだって思う。いつだって豊かさの指標をつくるのは自分だから手間をかけることを選ぶのも自分自身だ。
人生80年をすぎて100年時代も近い。長い人生になるのなら、手間をかけれるバディを見つけることも大事にしたい。そしてどこかで出会えるであろう
手間をかけることを大事に生きていきたい。
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