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「道徳」と「SST」(ソーシャルスキルトレーニング)

いつもありがとうございます。
ハートトラスト代表 公認心理師の島幸樹です。

子ども達と一緒に過ごす中で、SSTつまりソーシャルスキルトレーニングを行うことがあります。
「SSTをするぞー」という時間をあえて設けることもあれば、学習の時間や遊びの時間の中でヒョイと挿入することもあります。
実際、後者の方が多いし、また後者の方が現実の社会により近いわけだから私は好きです。
「さあ、SST講座の時間です」とあえて作るというのは、実験室の中で実験に必要な条件を整えて行うようなものなので、もちろんそれ相応の意味はありますが、リアルな社会からは少し遠くなっている感じがするのは否めません。


さてSST、ソーシャルスキルトレーニングというのは、私たち人間が社会の中で生きていく上で必要となってくるであろう対人関係の技術や自己管理する方法を学ぶ訓練、練習です。

ここで道徳とか倫理との違いが気になってきます。
実際、学校の道徳の授業の中でSSTを採り入れいている学校もあるようです。
道徳の授業の中でSSTを扱うのはもちろん良いことだし、実際、道徳とSSTとは重なる部分があります。

道徳は人としての道を学ぶことです。
たとえば「他人が嫌がることをしてはいけません」。
「人には親切にしましょう」。
そういったことを担任の先生や先人の教えの書かれた教材を通じて学ぶのが道徳の時間というのが私の認識です。
そしてSSTの時間というのは、そういった道徳的な視点も一部含めつつ、実際に社会生活を営む上で起きる場面の中での具体的な方法を実践的に学ぶ時間だと私は考えています。

「他人が嫌がることをしてはいけない」ということを、ある子どもは既に知っているかもしれません。
そうするとその子どもは道徳的に、倫理的なものの習得としてOKと言えるかもしれません。
だけど実際にお友だちと遊んでいて、たとえばトランプやカードゲームをしていて、自分が勝ったとき(負けたとき)、どんなふうに相手と関わったらいいのかがわからないかもしれないし、難しいかもしれません。
「わーいわーい、勝った勝った!!」と何度も言えば、そのお友だちは嫌な気持ちになるかもしれません。
でも勝ったわけだから勝ったときのうれしい気持ちを表現したっていいわけで、それを相手が嫌な気持ちにならないようにギュー――っと押しこめるのもそれはそれで違うと思います。
逆に、ゲームに負けて悔しくてギャン泣きして周りに置いてある物を投げつけたりしたら相手は嫌がるかもしれません。物を投げつけないにしても、いつまでもいつまでもギャン泣きしつづけていたらそれもそれで相手はどうでしょうか。
とはいえ、負けて悔しいわけですよね。その感情自体が悪いわけでもありません。

だったらこういう場面ではどうすればいいのでしょう。
話し合ってみましょう。
道徳的に正しいこと、正しくないこと、いろいろ答えはあるかもしれません。
道徳的に正しくないこともある。
ここがポイントですよね。
(そもそも他人が嫌がることは良くないといったって、自分のしたいことをすることによって相手が嫌がる場面というのは社会においていくつかありそうです)
正しくないことでもまずは受け止めたいなって思います。
それが心だし、それが私たち人間です。
だけど私は「それでいいじゃん、心ってそういうもんだから、人間ってそういうものだから」と言いたいわけでもありません。
道徳的に正しくないこともある。ここがポイント。
それじゃあそんなとき、この状況において、私たち自身が生きやすく、周りのみんなも一緒に生きやすくいられるためには、どうすればいいのかな。どんな方法がありそうか。
それを話し合って、それを今ここでやってみよう。

これがSSTだと私は考えているし、道徳との違いの説明になっているでしょうか。

ありがとうございました。

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