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イルミネーション越しの「風景」


毎年、クリスマスの季節になると表参道を散策することが恒例だった。
夕暮れ時になるとケヤキ並木に電飾が灯り、そこはまばゆい情景になる。
六本木や新宿よりも落ち着いていて、上品な表参道のイルミネーションが一番好きだった。そんな好みのイルミネーションを求めて、僕は参道を何度も往復した。
表参道の魅力は、表通りだけではなく、そこから分岐する裏通りにもある。センスの良いイルミネーションは、裏通りの小さな店舗にも存在していて、毎年、そんな小さな宝石を見つけては楽しんでいた。

2020年12月。コロナ禍を理由として、ケヤキ並木を飾るイルミネーションは中止となる。それでも参道には大手ブランドがひしめき、ショーウィンドウは賑やかに輝いている。
だが、一歩裏通りに入ると、多くのテナントが撤退し薄暗い空白を穿っている。残った店舗でも閉店セールが行われ、イルミネーションに手をかける余裕などあるはずもなかった。

2020年1月、人生初のオンラインサロン、PLANETS Schoolに参加する。
これが僕にとって激動の年の幕開けだった。
まとまった文章をしばらく書いてこなかった僕は、新たに書きあげることに難儀していて、20年前に書いた文章をリライトすることにした。とある水族館ラッコと当時、失業中だった僕とのアクリルガラス越しの関係を書いた文章だ。
ここで、主催者である宇野さんからコメントをいただいた。曰く、あなたはラッコとの個人的な体験を伝えたいだけではないはずだ、もっとその底に横たわる何かを伝えたいのではないのか?個人的な体験はそのままでは書くに値しない。彼が繰り返し言っていることだが、それを如何に人に読ませる文章にすることができるか。それが問われていた。

次に提出した課題は、とあるアニメーション映画のレビューだった。
狼と赤ずきんの物語をなぞりながら、ある組織の存続のために、男が大切だと感じていた女を自ら手をかけるという暗く悲しい物語だ。
この前時代的な気配が漂う映画から感じた悲しげな情緒は、男が育んでいた大切なものを踏みにじるときの心の軋みから生じるものであり、彼がそうしなければならなかったのは組織=「群れ」から求められ、そして踏まざるを得なかった「踏み絵」の感触であると言葉にした。
そして、その「踏み絵」は、僕たちの暮らす現実世界でも横たわってはいないかと。
その考えは、現実世界で僕自身が踏んでいる「踏み絵」の感触ではないのかと気付き、後戻りできないところまで自分を追い込むまで、そう時間はかからなかった。

顧客の多様な要望に対して、個別解を導き出し、デザインとして提示する。そのデザインを現実化するまで、パッケージで提示するのが売りである僕の仕事は、小さい業界の中でもそのブランド力を買われていた。

住宅リフォームを主とするその仕事は、コロナ禍の在宅勤務のため自宅に押し込められた人々の生活を潤すため、その需要は増えつづけていた。しかも、住宅の外側で行う施工作業はコロナ感染の心配も少なく、打ち合わせも室外で可能なため、顧客の心理的敷居も低くなっていたのだろう。僕らのコロナ禍の生活は、いつも以上に多忙を極めることになる。

僕が所属する部署は数年前に別会社に買収され、より巨大な組織の末端に位置していた。だが、買収した側の管理システムに合わせるには、その内容は繊細すぎた。そして、顧客に向き合ったり、デザインしたりする創造的な時間は、システムの矛盾を埋めるための膨大な事務作業に費やされることになる。
最終的には、かすかに残った自分の個性と尊厳を己で踏みにじっていることに気付いた僕は、2020年冬、所属していた「群れ」から抜けることになった。

年の瀬も近づいたコロナ禍での退社は、20年近く勤めてきた古参にしては、あっけないものだった。僕以外にも自主退社する社員が続いている中、残されたメンバーの負担は増え、他人のことに気を遣う余裕などない。
だが、そんな僕に思わぬところから声がかかった。
今は退社し独立している関西地区の旧メンバーが僕の退職を聞きつけ、遊びに来ないかと声をかけてくれたのだ。
彼らとは、組織が全国展開していたころ、年に数回の会議で顔を合わせる位で、それほど親しいわけではなかった。そんな誘いにいつもなら躊躇する僕だが、今回は参加することにした。

大きな組織から離れた彼らが、どんな場所で、どのように生きているのか。自分の目で確かめたいと思ったのだ。
新大阪駅に降り、声をかけてくれた知人に、大阪近郊で活動しているメンバーの店舗や事務所、そして施工現場を案内してもらった。
彼らは、それぞれ自ら選んだ場所で、一人で、ある人は数人で店舗や事務所を構え、様々な形で自分自身の場所を作っていた。その仕事場を訪ね、話を聞いていると、それぞれ苦悩し、決断して今の場所にたどり着いたことが見て取れる。
組織で働いていた人間がそこから離れ、一人で、または少人数で生きていく困難は、少しやつれた顔に出ていないわけではない。
だが、つい先日まで組織の歯車と化していた僕から見れば、己の個性を全開にして、各々の場所で生きている姿は、本当にまぶしく輝いて見えた。



東京の自宅への帰りに、もう一度表参道をのぞいてみた。
そこにはまだイルミネーションの少ない寂しい風景が横たわっていて、空き店舗もそのままだった。裏路地の素敵な明かりを灯していた彼らはもうどこにも居ないのかもしれない。
そう以前は思っていた。裏通りから店舗がなくなれば、そこにいた彼らも幻影のように消えてしまうのではないかと。
けれど、関西から帰った僕には、彼らの姿を違うかたちで想像することができる。
あの場所で働いていた店員たちは、けして消えたわけではない。
僕の知らない別の場所で、新たな生活を「生きている」のだ。

文章を書くこと、そこに自分事から他人事へつなげ、拡張してゆくこと。それは自分自身の感覚をのぞき込むことによってなされる。
だが、自分の感覚が閉じ、想像力が死に絶えていたら、そこから見えるのは、どんなにのぞき込んでも深い暗闇でしかない。
おそらく、そうした想像力の広がりは、自分の生を、自ら選び取って生きることでしか、得ることはできないのかもしれない。

この冬に見た風景は、別の世界を潜り抜けることで、新たな風景を見せてくれた。
2020年は、そんな気づきを与えてくれた、僕にとって忘れられない一年となった。(了)


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