還暦すぎて、犬を飼う。 #1 【甲斐犬サンボが街にやってくる】
サンボが街にやってくる。
和歌山から街にやってくる。
サンボが街にやってくる。
といっても、東京都下の中核都市・H市だから、緑や川や野鳥がいる地域ではあるが。それまでサンボが暮らしていた地域は山の中だった。いのししや鹿や猿を追い払うのが、彼女の日課だった。
サンボ、通称・サンちゃんは、甲斐犬ミックスでまだ1歳半の女の子。5人兄弟の中で一番小さかったという。お母ちゃんが茶虎の純血の甲斐犬、お父ちゃんは琉球犬のミックス。
世の中には「甲斐犬好き!」という人たちがけっこういて、「甲斐犬ですね!!」と言声をかけられることがある。ミックスではあるが、甲斐犬の要素をサンボは十分に満たしていた。耳がまっすぐに立ち、体高はやや低く、顔はいかつい。が、身体能力は抜群だった。
杉林をいとも簡単に駆け上がったり、駆け降りたりする。
きっかけは、娘が飼っていた犬ごと和歌山から戻ってきたことだった。まず暗礁に乗り上げたのが、家探し。住んでいるマンションは持ち家だったが、「犬・猫」はNG。今後もOKになる可能性は低かった。実家のおばあちゃん(母)の家は団地形式のマンション。近くにはあるが、以前、猫(玉三郎)を飼ったことがあるが、今は規約がタイトになってダメだという。となると......。
・和歌山で誰かに里子に出す。
・一時的に里子に出す。
・犬が飼えるところに引っ越す。
の三択に絞られた。というのも、娘がサンボと一緒に住める環境にまた引っ越すことが前提にあったからだ。だからといって、もうすぐ定年だというのに、駅近のマンションを売って、犬と一緒に住むために一軒家に住み替えるのも、どうなんだろう? 前の会社を早期退職してマンションをのローンを完済し、大規模リフォームもした。食洗機だって浴室乾燥機だってある。なにより、フラットフロアだから、躓くこともない。それに、8階から見える多摩丘陵の朝焼けの眺めは最高だった。
3年先の状況なんて、誰もわからないではないか。とりあえず、マンションを貸して、犬が飼える家を借りる方向で動き始めた。
このところ、犬の飼えるマンションもけっこう多くなってきている。しかし、「甲斐犬」は中型犬。マンションはそこがネックだった。1歳半だったから、まだそれほどがっしりとしているわけでもなく、「頭から尻尾までは50センチ」と言い切ることにした。
街中でも犬を散歩している人はけっこう見かける。でも、吠え声は聞こえてこない。そう、ほとんどが「家犬」なのだ。サンボは山育ちなので、もちろん外に繋がれていたし、山林を鹿のように駆け降りたりしていた。したがって、トイレもアウトドア派だ。サンボにしても、いきなり「家犬」なれるかどうか、不安もあった。マンションよりは一軒家か...?
犬が飼える家はそこそこあるのだが、こんどは「外飼い」もハードルが高かった。つまり、近隣への配慮が必要になってくる。そういえば、外に繋がれている犬を見かけることがほとんどない。根気良く、ネットで探し、不動産屋さんに「ここはどう?」と聞いてみた。
候補にあがったのは4ヶ所。中央線の終点からバスで10分の一軒家A。駅近のマンションと実家から自転車で10分くらいだが、途中とても急な坂があるマンションB。ひとつ手前の駅からバスで15分くらいの一軒家C。Aしかないのかもと、とりあえず申し込みをした途端、よく名前をきくM台という分譲住宅地の一軒家が「新着」で入ってきた。しかし、そこは2年の「定期借家」、2年で契約が切れるというものだった。そのため、賃貸料も安くなっている。とりあえず、内覧だ。
庭も広く、かつて賑わっていた昭和の分譲住宅地のような「取り残された」感も少なかった。建て替え、もしくは、表札に苗字が二つ並ぶ家も多く、入り口には「Uストア」という地元の商店と新しくできたカフェがあった。起点となるのは、今のマンションと同じ駅。しかし、バスで20分。でも、空が明るく抜けている。
ところどころで、犬の声がする。これは期待が持てるではないか。犬が一緒に生活している雰囲気がいたるところにあった。なにより、道路を挟んだ斜め向かいには、外に繋がれた柴犬がいたし、隣の家の窓からは猫と犬がのぞいていた。
さらに、我が家には先住動物がいた。
通称・カメズ。15年もののミシシッピアカミミガメ♀とクサガメ♂だ。もちろん、彼らも一緒に引っ越すことになる。
「ここは早く申し込みをしましょう!」の不動産屋さんの一言で、内覧したその足でに申し込みをした。午後には、新たな申し込みがあったらしい。とにかく、住む家が見つかった。次は、サンボの移動と引っ越し、そして、マンションの貸し出しだ。ほんの数ヶ月前、こんなことになるなんて、家族の誰も予想だにしなかった。サンボだって、きっとそうだろう。
とにかく、2021年7月、暑い夏が始まった。