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メッセージボトル

「未来への想いを、メッセージボトルで届けよう!」。そう決めた日から、1週間。「孫の成人式まで、元気でいなきゃね」と、母がいった。「そうそう。あと3年だもん。着付けもしてもらわなきゃ」と返すと、「着付けはさすがにきついかな」と母。「そりゃそうね。じゃ、また明日」。そういって、カーテンを閉めた。病院の廊下を歩きながら、思わず天井を見上げた。母は、今の自分の状態をどう思っているのだろう。


◉1月20日。年に一度の経過観察として、CT検査を受ける。朝食抜きの検査でお腹が空いたというので、「何食べたい?」と尋ねると「肉」と母。牛肉が体に合わない私にとって焼肉屋のランチは、もっとも縁遠いものだけど、仕方ない。まったく、本当に病院帰りなのかしら。

◉1月27日。CT検査の結果の共有。腹水と思われるものが点々とあり、ガンの再発と思われるという説明。パソコン画面には、腹膜播種と書かれていた。11年前に治療を行った大学病院の指示を仰ぎ、どちらで抗がん剤治療をはじめるかなど、今後の方針を決めて今週中に連絡します。と告げられる。帰り道は、恒例のランチタイム。庄屋でエビフライと唐揚げの定食をたいらげる母。ちなみに私は豆腐と焼き魚。やっぱりどっちが病人かわからない。

◉1月31日。打ち合わせの合間で実家に立ち寄ると、エプロンのお腹がふっくらしていることに気づく。「お腹が張るのよね。足も重たくて、歩くのもつらい」と母。放射線治療の後遺症で現れたリンパ浮腫よりもひどい状態。月曜時点で自覚症状のなかった腹水が、この数日で急激に増えているとすれば、急を要するのでは?ネットを検索して得た情報によれば、腹水にはいくつかの要因があるようだけど、今回のものはおそらく癌性腹水と呼ばれるもの。一般的に癌性腹水をきたした場合、残された時間は数ヶ月〜1年数ヶ月とある。元凶となるガンの種類によっては、治療によって延命の可能性のあるものもあるようだけど、どうも母のはそれとは違う気がする。今後の方針と現段階の指示を仰ぐため、病院へ連絡。ちょうどこの日、大学病院より「胃カメラと大腸カメラの検査を受けるよう指示があった」という旨を告げられる。

◉2月1日。胃カメラと大腸カメラ検査の予約のため、母の代理で、指定の病院へ。母の現状を説明し、「母は75歳です。もう、きつい治療を乗り越えてまで守らなければならないものはありません。以前から、次に何かあったら抗がん剤などの治療はしたくないという意向を聞いていることもあり、癌性腹水で完治が見込めない状況だとしたら、緩和ケアも視野にいれたいと思っています。腹水はこの数日で一気に増えています。もし純粋に先生の患者だったら、この検査をしますか?」「初めてお会いするのに、なんかすみません」と苦笑しながら、こちらの思いを伝えてみる。「ご本人の状態を見てみないとなんとも言えませんが、聞く限りの状況では、確かに大腸カメラ前の下剤1リットルは無理でしょうね。できるだけ負担の少ない形でやりましょう」と先生。ちょっとめんどくさい家族でごめんなさい。そして、意向を汲んでくださって、ありがとうございます。


午後のアポイントをいただいていた方に事情を話すと、「リスケしましょう。エンディングノートもいいけれど、そこはちゃちゃっと済ませて、たくさん楽しいお話をしてください」とメッセージをいただき、ちょっと救われた気持ちになった。「今夜は実家に泊まってゆっくり話をしよう。母のためにごはんを作ろう」。そう決めて、食材を買いに立ち寄ったショッピングモールで、気づけば1時間彷徨っていた。ふと目に付いたのは、可愛いボトル。そうだ、メッセージボトルを作ろう。母とは、子どもの頃からよく手紙で会話をしていたもの。

それでも、まっすぐ家に帰る気持ちになれなくて、いつもの海岸へ。シーグラスとサンゴを拾いながら、寄せては返す波の音に耳を傾けていると、ニュートラルな気持ちになれた。ガラスも、岩も、木々も、動物も、そしてひとも、すべてはいつか自然へ還るもの。めぐるいのちの一端にふれたような気持ちになって、初めて、涙が溢れた。

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田舎のパーマ屋の朝は早く、夜が遅い。ちいさな農漁村のお客様が身繕いをできるのは、畑や沖に出ない時間だから。パーマ屋に「営業時間」なんて考え方があることを知ったのは、大学生になってからだ。それくらいお客様第一だった母は、食事の時間も寝る時間も私のそばにいることはほとんどなくて、小さい頃は「私とお客さんと、どっちが大事!?」と泣いて困らせたこともあったっけ。

そんな母娘の会話は大抵、枕元の手紙。おやすみなさいもごめんなさいも、伝えたい想いはすべて、手紙が届けてくれた。今でも母にはその傾向が残っているらしく、実家に帰るたび、トイレに孫たちへ向けた教訓のようなものが含まれる詩文や、オリジナルの標語のようなものが貼り付けられている。リラックスしたいトイレタイムには若干、重いけど(笑)。母はつねづね、「伝えたい人」なのだ。


そして、娘たちにとって初めてとなる「身近な人の死」が近づいている今。思春期ならではの混沌を抱えた彼らにとって、このいのちのバトンはきっと大きなものになる。これは母がくれる、孫たちへの最大にして最後のギフトになるのだ。


母に検査のことを伝え、もしもなにか見つかっても、緩和ケアという選択肢もあるよと伝えると「ああ、うれしい」と涙ぐむ。再び抗がん剤治療になるかもしれないと言われたことを、ひそかに負担に感じていたらしい。


「ね、ね、メッセージボトル作らない?子どもたちが拾い集めたシーグラスや貝殻を、お母さん、取ってくれているでしょう?あれを一緒に入れようよ。未来へつなぎたい想いを込めた、宝物にしよう」。

家に帰り、ボトルとシーグラス、カラフルなペンとマスキングテープを並べ、見本で作ったメッセージボトルを見せたら、「楽しそう。かわいいね」と母。気分のいいときに、少しずつ、手紙を書いてもらうことにした。

つらさや不安を忘れる時間を、少しでも増やしてあげたい。今はただ、そう思う。

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