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スズメとおはな

「おはようございます。今日はどぎゃんですか?」若いのに熊本弁丸出しの作業療法士(以下、OT)がやって来ると、一瞬、母の表情が華やぐ。病院は来院者だけでなく、スタッフもマスク必須なので目元しか見えないけれど、ジャンルでいえば体育会系アイドル風味(そんなジャンルあるのかどうかは不明)。初めてのリハビリで「祖母も美容師だったんですよ」と話してくれたらしく、母も一気に親近感を覚えたらしい。プロだな。日中は、このあたりが私の定位置なのだが、OTと母のやりとりがいちいちおかしくて、パソコンを打つ手が止まり、つい聞き入ってしまうのだ。

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(ベッドから眺める窓が退屈なので、日本の絶景を窓に貼ってみた。北海道の羊蹄山の春の風景が母のお気に入り。北海道の皆さん、心丈夫に。。。)

◉3月3日

OT「それ、カレンダーですか?」
私「雑誌の切り抜きです。あまり鳥も飛ばないし、窓が退屈だから」
OT「この辺はノガモが多いけん、時々飛びますよ」
私「ノガモ?」
母「鴨が葱背負って、っていうもんね」
OT「あれも食べればおいしかですけどね。私も昔はよく食べよったです」
母「スズメは食べたことあるねー」
OT「えっ、スズメですか?」
私「焼き鳥とかおいしいよね」
OT「スズメを食べるのは、初めて聞きました」
母「ヒヨとかね」
私「あー、ヒヨドリね。おいしいらしいね」
OT「スッポンは家にいたけん食べよったですけどね。意外と食べてみるとおいしかですよ。キジとかもおいしいですし。最近はあまりないですけどね。捕まえる人があまりおらんごとなったみたいだけんですね。マムシもおいしいらしいですね」

・・・いや、どういう会話やねんw(こらえきれず、噴き出す)

OT「まさかこんな話をすることになるとは思わんかったですね」

でしょうね(笑)でもこういう会話をしているとつくづく、「食べる」っていのちだと思う。

    ***************

テレビもラジオも、コロナだ国会だとせわしない。お気に入りのNHKラジオまでもが国会中継。何か気分が変わる音はないものかと、あれやこれやザッピングしてみる。いつも聞かないエフエムラジオを流してみるも、リスナーからのお手紙に感染症のワードが出ると、パーソナリティたちの会話も感染症一色に。NGワードにしてる番組はないのかよ!と、思ったりもするけれど、まあ無理な注文か。でも、この世を憂いてこの世を去るなんてこと、アホらしいので、諦めずにザッピングをつづける。

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ところで、ザッピング、って表現で合ってるかしら?と思ってググっってみたら、なんとも素敵な説明に出会ってしまった。

(以下、Wikipediaより転載)

「ザッピングとは、テレビ視聴において、リモコンでチャンネルを頻繁に切り替えながら視聴する行為のことである。 元来の意味は、 背嚢を背負って気ままに山や森をぶらぶら歩くこと。産業革命後のヨーロッパでは、工業化した都市生活は不自然と考えられ、休日は自然と一体化し、リフレッシュしようとした」   (転載ここまで)

こんな時代だからこそ、ザッピング!だ。

リアルにぶらぶら歩けなくたって、想像の世界じゃ、いつでもどこへでもぶらぶら歩いていけるもの。ふわっと心をまあるく生きていきたいものだ。


そんなことを思っていたら、お昼前、看護師長がやってきた。「14時すぎにお花が届くそうですよ。このご時世だから、お花屋さんに病室へ上がってもらうことはできないけど。お花屋さんが着いたとき、もし娘さんがいらしたらお知らせしますね」。母の表情がパッと変わる。「お花?誰かな??」すっかりワクワク顔である。

「お花、まだかな?」「今、何時?」「お花、まだ?」そこから何度聞かれただろう。まるでクリスマス直前の子どもみたいで、ちょっとかわいい。以前の母ならまず、「誰かな、申し訳ない」みたいな反応をするところだけど、気持ちをゆるやかにするお薬がうまく作用している今。こういうのを素直にうれしいと表現できるような、そんな心持ちになれていることが有り難い。

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私の恩師が贈ってくれたお花。母はほとんどベッドに寝たままの状態で、ものを持つ力も衰えはじめているのだけれど、このお花を見せた瞬間、「ああ、この花。お父さんを思い出すね」と、懐かしそうにユリの花を手で触れた。母いわく、「お父さんの葬儀で飾ったお花」なのだそうだ。父といえば、父がよく仏壇にと買ってきていたトルコキキョウのイメージだったけど、なるほど母にとってはユリ=父なのね。人の印象っておもしろい。

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窓辺には絶景の切り抜き。テレビの横にはかぐわしいお花。テレビもラジオも殺伐としたニュースしか伝えないことに辟易としはじめていたのだけれど、こちらの壁も一気にやさしくなった。


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