8月15日。送り盆。
いただきものの新米を炊きあげる。
「15日は、茹でそうめんと送りダゴよ」というご近所さんのアドバイスを思い出し、そうめんを茹でる。そうめんの片手間でだんごをこねていたら水加減をすっかり誤り、やわらかくなりすぎて俵型にまとまらず。“精霊様がお帰りの際に持ち運びやすいように”という配慮から、送りダゴは俵型と聞いているので、つるんとした俵型よりちょっといびつなほうが小脇に抱えやすくっていいんじゃない?などと、生きてる者に都合のよい解釈で、それらしい形のものだけお供え皿にエントリー。
朝摘んできたオクラと、カボチャとニンジン、そのほか夏野菜で煮ものをつくる。淡口醤油を切らしてたので、色、濃いめ。煮物の面取りした野菜くずは鍋に入れ、味噌汁に。昨日、いとこが持ってきてくれたキュウリは、ワカメの酢のものに。
おととい伯母が持ってきてくれた唐芋はもちろん、ガネ揚げに。細切りにして、米粉と少量の窯炊き塩を水でといた衣をまぶし、それらしき形に整えて油へすべらせる。イメージは一昨日の夜、台所に進入していたベンケイガニなのだけど、果たしてカニに見えるだろうか。
母が好きだった甘酒を、お供えしてねといとこが持ってきてくれていたので、今朝は甘酒つき。
餓鬼道に落ちた無縁仏の方々へもやはりお供物をと思い立ち、急ごしらえで「水の子」づくり。喉が針のように細く、食べ物を口に運ぶと燃えてしまうことから、野菜は細かいサイの目に切り、生米とともに水に浸しておくのだそうだ。
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お供えをして、日が上りきる前に、父方と母方のお墓参りへ。亡くなる直前、「かあちゃん。かあちゃん」とつぶやいていた母のこと。「ばあちゃんを迎えにきてくれた、ひいばあちゃんのお墓だもんね」と話して聞かせると、みんな心なしか例年よりも長く、手を合わせていた気がする。
墓参りを終えて帰ろうとしたら、いつもお店に来てくれていたニコニコ優しいおばさんの顔が脳裏に浮かぶ。もしや?と思って目をやると、眠るお墓の前だった。「おばさん、よしこもそっちにいっとるど?またみんなで、茶ーどん飲んでくれーな」。
さきほどまでうっすらと山を包みこんでいた霧のベールは、いつしか空に溶けはじめてた。今日もいい天気。よか盆です。
としみじみしながら、のんびり朝ごはんを食べようとしていたら、電話がなる。「豆ごはん炊いたけん、取りぎゃけー」。あ、はいはい。参ります。ということで、今日も、お供えはフードファイター状態。
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