精霊流し
8月15日の精霊流し。
うちの集落では今年、精霊流しが中止になった。子どもの頃から慣れ親しんだ風習すらもなくなってしまうこのご時世が、なんだかとても残念で、とっても寂しい気持ちになった。このまま途絶えていくものが増えないように、できることをひとつずつ。
同じ仏教でも両親が選んだ宗派は精霊船を流さないのだけど、ひそかに抱え続けていたグリーフを手放すための区切りとして、こういうことが必要な気がして、両親の気持ちと私の気持ちの折衷案としていつもの海を頼ってみた。船のかわりにしたのは、母が家の裏で育てていたイエローカンナの大きな葉っぱ。魚が食べたり、海にほどけて自然に還る、そんな供物だけを包んで干潮どきを見計らい、磯へ。「戻ってきたらいかんよね」「これ、タイミングが難しい」そんなことを言っていた子どもたちだけど、無意識に、波と呼吸を合わせることを覚えたみたい。
「ありがとう。また来年ね」
海へ向かってそう叫んだら、水平線の上に浮かぶ雲がなにかの親子に見えた、気がした。