【しまね女子ブログ】ふるさと難民ふるさとを決める〜美しい隠岐の島へ一家で移住〜
関東から島根県隠岐の島町に家族で移住を決めて、島暮らしをスタートして8ヶ月が過ぎました。
ペンネーム四つ葉です。
こちらのブログでは移住をテーマとしたことを綴らせていただきます。
まずは自己紹介を!
私は神奈川県出身の30代、小学3年生の男の子のママです。
隠岐の島町へは家族5人(おじいちゃん、おばあちゃん、パパ、ママ、息子)でやってきました。
家族5人での移住は珍しいのかな?
島の人たちには大勢でよく来たねと歓迎してもらっています。
私たちは根っから関東育ちの一家です。
(移住を考える方の中で、自分は移住をしたいと思うけど、家族が…という環境の方がいれば、このブログを通して何かしら参考になる点があれば嬉しいです^^)
私たちのように地方にほとんど全く縁のないところからの移住はIターンと言われていますが、移住を考える前まではIターンという言葉もそんなに身近ではありませんでした。
しかし、移住を調べていると、Iターンをしてその後地域に根差して暮らしている人たちが多くいることを知り、高齢の義両親を連れての移住でも安心して隠岐の島町に行けるかもしれない、そういった希望を持ってインターネットの情報からふるさと島根定住財団に相談をし、今隠岐の島で想像以上の移住生活をスタートすることができています。
隠岐の島町の魅力について…をたくさん語りたいと思うところではありますが、そちらは今後のブログでじっくりゆっくり語らせていただくことにして、
今回は自己紹介を兼ねて、
・なぜ移住したかったのか
・移住先として隠岐の島町はどうやって見つけたのか
・移住を今決めたことの理由
そんなところを書いてみたいと思います。
移住をしたかったのは実は小さい頃からずっとでした。
私は神奈川県の相模原市というところで生まれて、すぐに川崎市に引っ越し、その後横浜市で育って、社会人になり家を出る時には東京住まい…そこから横浜に戻り、その後横須賀市で引っ越し2回、と、主に神奈川県の中が多いですが、ひとつのところにずっと住むということがなく、住まいの変わる回数が多めの人生を生きてきたタイプです。
一番長くいたのは横浜市で、横浜に生まれるとハマっ子と呼ばれ、ほとんどみんな地元横浜が大好きに育ちます。
私も幼稚園から高校までを横浜市で過ごしたので、例に漏れず地元は大好きでした。
ただ、その時の住まいは親の社宅であったため、その後親も市外に引っ越しをして、大好きだった地元にも帰る家はなく。
たまに友達を訪ねて行くことはあっても、いつのまにか地域からはすっかり疎遠になってしまいます。
加えてさらに大人になり、よくよく自分の性質を考えてみると、
人が多いところや都会にいると疲れるಠ_ಠ
ということにもすっかり気がついていました。
それよりも、お盆や正月に連れて行ってもらった田舎のおばあちゃんちみたいなところに住みたいということは小さい頃からずーっと思っていたなと。
おばあちゃんちに住んでいる、いとこ達を見て、お盆が明けても帰らなくていいなんて羨ましい、そんなことを思っていたのでした。
実は、こういう気持ちの人は他にもいるようだということは、最近知ったのですが…
上京した両親のもとに生まれたり、転勤族で転々としてきたりして、故郷という故郷がない人のことをさす『ふるさと難民』という言葉があるそうです。
(まさにそれだ〜!)
東京に住んでいるときには、地方から出てきてやりたい職業についてがんばっている同世代が周りにいましたが、いとこに対しての羨ましさと同じように、地方に実家があるという人がなんだかとっても素敵に見えていました。
(あ、それだけでなく、都会の横浜市でも穏やかな住宅地なんかにずっと実家がある友達のこともなんだかうらやましかった…σ^_^;)
とまぁ、こんな理由だけだと、もしかしたら隣の芝は青く見えているだけかもしれないけれど、
それにしても自分の好きなものは「都会」よりも「田舎」の方にあること、これは自分の性格とよくよく向き合ってみると明確なことであったのです。
きっと都会に生まれたものの
自然が大好きだったり、
畑をやってみたかったり、
アパートやマンションよりも庭があったり、好きにDIYできる家が良いと思ってみたり
都会じゃなきゃだめ!という人もいれば
都会だとだめ!な人もいますよね。
私は都会だと好きなこと、理想的なことが中途半端になってしまうタイプだったという感じです。
私の場合は子どもが生まれて、より今後の人生どうしたい?と
自分自身の行く末をよく考えるタイミングがあって、その度に何度考えてみてもいずれは絶対に移住するという思いがしっかり固まっていったのでした。
移住したかった想いだけで随分と書いてしまいましたが…笑
田舎への憧れを強めていったのは、高校を卒業して自分の進路を決める時に
海か山で働きたい
と思って、まず海の仕事に就こうと船の学校に行き、航海士の仕事にも就き、船で日本中を転々とした時に色んな地方を見たというのもあります。
日本中の田舎町に停泊して、その町を散策する時にいつもこんなところに住みたいな〜と
どの町に行っても「住む」目線がありまして。
なかでも今家族で暮らしている隠岐の島町。
隠岐の島町にも船で停泊して上陸したことがあって、当時まだ10代の頃でしたが、その景色の美しさにすっかり心を奪われ、美しい港町は他にも沢山ありましたが、私の中では隠岐の島町は特別に一番美しかったとずっと記憶に残り続けました。
あまりにも綺麗だったのです。
そして、隠岐の島町に上陸したときに、地元のおじいさんが
「いいところでしょう、もう住んだらいい」
と気さくに声をかけてくれたことがあって。
田舎に住みたい、
移住したい、という思いが募ったときに
この隠岐の島町での景色とおじいさんの声が思い起こされて移住先は隠岐の島町がいい!と
田舎という枠だけでなく、私の場合は隠岐の島町に住みたい、という思いが募りに募って家族と一緒に移住することに決めました。
決めたというより、もはや決まっていたというような気持ちだったようにも思います。
そこから調べてみたら島根はIターンの移住も支援がとても充実していることがわかり、
想いだけでの移住よりも、安心して具体的な暮らしを描きながら移住出来る環境があることがわかりました。
これなら家族を巻き込んでの移住も出来そうだとわかって、あとは実現までそう時間もかからずに島へ来ることが出来ました。
移住サポートについては本当に色々していただいて、島に来る前からずっと感謝しっぱなしです!
移住を考えている人、悩んでいる人はまず相談してみたら現実的にどういった形が出来るかを自分一人の想像ではなく具体的なイメージを見ることが出来ると思うので、積極的にサポートを受けてみて欲しいなと思います。
移住を今決めた理由について。
移住前は、いずれ田舎に引っ越す、それだけを決めて、でもそれがいつかは決まっていなくて、なんとなくあと10年か20年か、家族が落ち着いた頃合いかな…と思っていました。
でも、コロナがあったり地震があったり。
スーパーから物が消えたり、
大震災の時には輪番停電を経験したり、
数多くの仕事がなくなって行くという状況を目の当たりにしたり。
そんな時でも街に住む以上、必要なものは買う、供給してもらうしか選択肢がありません。
コロナの影響が訪れてから、今後物が買えないという状況にいつ陥ってもおかしくないというのは私たちにとって、とてもリアルなことでした。
とくに神奈川県は自給率がかなり低くて(全国45位、なんと2%!)で、地方からの流通がなければ何かあればみんなでピンチか…と。
そういった状況もやはり移住を早めた要因です。
都会がそこまで好きではなくて、
街に住んでいるということの先行きも安心できなくて
住む場所という土台の中に一定のストレスがあり、それが自分の努力で取り払いきれないものだったので、だったら移住を早めよう、そういった決断になりました。
移住前と後の暮らしは、移住前にもっとこうだったらなぁ、と思っていたことが移住先では出来ることばかりで、以前に感じていた窮屈さからはすっかり解放されたと思います。
都会にあって都会にないものの中で、都会にあるものがそう自分にとって必要ではなかったこと。
田舎にあって田舎にないものの中で、田舎にないものはない、で充分だということ。
移住前と後での暮らしの変化は細かく色々あげられることがありますが、長くなってしまうので、細かい部分は先のブログに綴るとして、まとめると本当にこれだなと思います。
田舎にあって田舎にないもの
田舎にあるものの豊かさと、自分にとってなくても良いものが見えてくると、自分は田舎に暮らす方が合ってるかもしれない
そんな風にひとつのこたえが見えてくる人もいるかもしれません。
実は、子供が生まれる前からも田舎に移住したい希望があることは家族に伝えていたのですが、世の中が大きく動いて行く前は、良いと思うけど、まだ田舎に行きたくない、と言われていました。
いよいよ不安定な街の暮らしが目に見えてきた頃に改めて移住したいという気持ちにも家族が耳を傾けてくれるようになり、
移住するなら島が良い、とパパが言い出して、だったら良い島があるよ〜!とすかさず隠岐の島の写真を見せました。
そこから家族みんな隠岐の島町へ行くことが楽しみになって、気がつけば早く行きたい…!と一丸となって今に至ります。
因みに隠岐の島町に一緒に来たおじいちゃん、おばあちゃんは私にとっての義両親なのですが、戦争時代を経験していて、食べ物がなかった時のことを話してくれることがあり、自分で何か食べものをつくったり、地元のものが食べれることが嬉しいという人です。
そんな背景もあり、街中でもわずかな敷地で家庭菜園をすることが生きがいのおじいちゃん。田舎なら伸び伸びと作物が育てられる、ということで移住には快く賛成してくれました。
むしろとても楽しみにしてくれたので、高齢の両親を残して若者だけで遠い地へ、ということにならず、一緒に挑戦してもらうことが出来ました。
隠岐の島町は本当に綺麗で、食べ物も美味しくて、綺麗な空気と水があり、移住者の受け入れも寛大。
若者の挑戦だけでなく、高齢の方でも安心して住むことが出来る場所でもあったので、もし移住について家族のことが心配という方も色んな角度で調べてまず話し合ってみると、一家で移住、という道も見えてくるかもしれません。
このブログのタイトルを、ふるさと難民ふるさとを決めるとしてみましたが、義両親も含めて私たちはずっと住んできた街が自分たちのふるさとと言いきれなかったところがありました。
これから少しずつここが家族の帰る場所なんだと思える暮らしを紡いでいけたら、との思いで今回のタイトルをつけてみました。
こんな言葉があることも知らずに漠然と思っていた”ふるさとがない”こと。
でも、こんな言葉があるくらい、30代の私だけでなく、もっと幅広い年齢でも当てはまる人がいるんだろうなと思う今日この頃です。
ふるさと難民であっても、安心してふるさとと思える場所を見つけていい、となったら、それはすごく嬉しいことだな、と思うのです。
今回は自己紹介を兼ねて移住までの経緯を書いてみましたが、次回以降憧れの田舎暮らしの中身や、隠岐の島町の住みやすさ、仕事や家のことなどを綴っていきたいと思います^^
(現実面としてデメリットも思いつけば書いてみたいですが…現状慣れたら大丈夫というものばかりなので、その辺りもゆるく綴れたらですね)
移住をする上で気になるポイントだと思うので、先に少しだけ仕事や家について紹介をすると、
仕事は昔からやってみたいと思っていた山の仕事、島の林業を体験出来るとのことで、現在毎日山で大自然の中働いています。
家はまず紹介していただいた町営住宅をお借りしていて、住みながら空き家バンクなどをチェック。希望の場所にお家を見つけることが出来たので、近々古民家をマイホームとして島にさらに腰を据えていけるかなと思っているところです。
島の人たちとの交流もあり、お野菜や魚やサザエのプレゼントも、移住前に聞いていたことが実際に起こっていく島暮らしの様子は、今後のブログで綴っていきます^^
最後までお読みいただきありがとうございました!
また次回もどうぞよろしくお願いします
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【名前】四つ葉
【居住市町村】(隠岐郡)隠岐の島町
【UターンorIターン】Iターン
【移住前の居住地(都道府県)】神奈川県
【年代】30代
【お仕事】林業
【好きなこと】
自然散策 畑 DIY 綺麗なものを見ること
【Love shimaneとしてひと言】
壮大な景色と温かい人、心も体も軽くなれる!美肌県の由来も実感する水と空気の良さからもう離れられません。何気ない毎日に感動する移住暮らしがあります(o^^o)
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