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【しまね女子ブログ】 小坂まりえvol.1

はじめまして。
島根県は隠岐諸島、中ノ島の海士町(あまちょう)に移住して13年目(2021年秋現在)の小坂まりえです。
海士町は、人口約2200人のうち約2割がIターン者という異例の離島で、私もそのIターンの一人。もともとこの島に縁もゆかりも無かったのになぜか来ちゃった人です。仕事は2020年春までは町役場の職員でしたが、現在はフリーランスのライター、プラス、小商いとしてドライフラワーのアレンジメントを制作販売したりしてます。

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(↑)最近は週に何回か「島のほけんしつ 蔵」のスタッフもやってます


最初なので移住の経緯などを少し。
私は三重県出身ですが、移住前は東京で新聞記者をしていました。
「なぜか全国から移住者が集まる、過疎なのにやたら元気な島があるぞー!」というテーマの取材で海士町に初来島したのが2008年の冬。島全体の明るい雰囲気や島民の挑戦マインド、しぶとく前向きな生き方に魅了された私は、「この島の仲間になったら楽しそう♪」という直観に従ってIターンを決意。2009年春、まんまと巻き込まれ…いや自ら望んで気持ちよく(笑)、海士町民になりました。

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(↑)若かりし日のわたくし。海士民謡「キンニャモニャ」の像とともに


楽しそう、という予感はズバリ正しかったです。
なぜなら究極の都会(=東京)と国境スレスレの超ド田舎(=海士町)との違いは極めて大きく、毎日がカルチャーショック、学びと発見の連続だったから。さらに国内外いろんな場所からの移住者が集まっているお陰で、人の多様性と出会いの数がハンパないから。やっぱり人間、飽きないと続きますよね。

しかし当然ながら、短期のお付き合いではなくじっくり暮らすとなれば、楽しいことばかりじゃありません。基本的に不便だらけだし(だってコンビニもスーパーもスタバもツタヤもユニクロもブックオフも無いんだよっ!)、牛に道を譲らなきゃいけなかったり、飲み会の後はスナックに連行されるのが当たり前だったり、ムカデとの戦闘が避けられない夜があったり、梅雨はとにかくカビるし冬は太陽とサヨナラだし洗濯物は乾かないしっ!!これまでの価値観や本土の常識が通用しない場面も多くて戸惑い苦しむことが最初はたくさんありました。

…とはいえ何だかんだで島の文化になじみ、支え合える仲間ができ、地元民の皆さんに助けられ、漂えど沈まず、日本海の荒波と人生の荒波を乗り越えてきた13年。ヨソ者として試行錯誤しながらも、工夫してやり過ごすプロセスを楽しむ術を身につけてきた、じわじわとした成長の日々。

そんな風に“たのくるしい”がクセになって島暮らしを続けちゃってるわたくしが、僭越ながら島根の離島の移住者ライフをできる限りリアルに書かせていただくという…それがこのブログの趣旨です。
全6回、どうぞよろしくお願いします。

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(↑)島ではしょっちゅう出会う放牧中の牛たち


それにしても13年も経ったのか…。若いIターン者は、最初から期限付きの移住だったり、海士町で頑張るうちに次の目標を見つけて島を“卒業”、或いは佳き出会いがあってコトブキ離島していくなど数年で島を去る人が多いので、私はけっこう長い方だと思います。(私に佳き出会いが無かったわけではないのですが、、、その件はまた改めて。笑)

移住当初、驚いたのはやっぱり地元民の皆さんのフランクさでしょうか。まだよく知らない私に、なんでそんなに声かけてくれるの?!なんでそんなに野菜や魚やをくれるの!?え、アワビまで?!お金払わなくていいの!?何もお返しできませんけど!?ってしょっちゅうアタフタ。
ご近所さんの温かい人懐こさ、家族のように世話を焼いてくれる親切さは、トーキョーでは味わったことがなく…。とにかく密。人と人とが密。新型コロナ対策に喧嘩売ってるようで恐縮ですが、密こそ田舎の良さなんですよ!

さらにおすそわけのしかたがワイルド。帰宅したら玄関にバケツいっぱいの鮮魚が置いてあるとか、サザエが何十個と入ったビニール袋が置いてあるとか、タッパーぎゅうぎゅうの手作りおかずが置いてあるとか…衝撃的でした。なんだこれ。手紙とかメモも一切無いし、なんだこの無償の愛。そして一体誰なんだと。笑

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(↑)帰ったら玄関前にサザエ。いつもよくしてくださる漁師さんからでした


ただ、新参者のIターン者は良くも悪くも注目されてしまうので、居心地悪く感じることが無いわけではありません。
そういえば移住したての頃は一人でのんびりできるカフェなど無く、どの店にいてもたいてい誰かに声をかけられて考え事もできなかったので、Adoの歌じゃないけど「うっせぇわ!」ってなったこともあったかな。そんな時、お気に入りの海岸だったり山の中だったり、自分の“とっておき”スポットがあると救われます。私はよく神社でクールダウンしていましたが、島でそういう場所を見つけられなかった友達はしょっちゅう本土に脱出してました。まあそれも手ではありますけど、フェリー代もかかるし時間もかかる。やっぱり家とは別にチルアウトできる場所を島内で確保したいもんです。

で、しばらく一人でいるとやっぱり人恋しくなり、誰かに世話焼かれたくなって、人が集まる場所へのこのこと出かけていく…或いは居酒屋へふらふらと吸い込まれていく…。で、酔っ払って地元民と口論になってまた凹んだりして。そんな繰り返し、最初はけっこうやってたかも。

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(↑)(↓)一期一会のこんな光景に救われることも

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一人になれる場所も大事だけれど、その一方で、安心できる“たまり場”が欲しいです。無理せず自然体で人と繋がれる場所。
だって移住者って不安だもの。仕事のこと、恋愛のこと、家庭のこと…あってフツーの悩みも、異文化の中で遭遇するとどうしていいか分からない、誰かに相談しなきゃ抱えきれん!!ってフリーズしちゃうこともあります。それは移住13年目の今も同じ。

ということで私には、“とっておき”があるんです。それは「島のほけんしつ 蔵」。
古い蔵を改修したコミュニティ施設で、“島の魔女”ことアロマセラピストの島根輝美さんがオーナーです。ちなみに芸名ではなく本名です。島根で輝く美しいひと。
輝美さんは2015年に姫路からIターンして、翌年に蔵をオープン。優しくも厳しく話を聴いてくれて、ビシッと刺さる言葉をくれる、ほけんしつのおねえさん。移住当初に蔵があったらもっとラクだったなー!!って本気で思う。(同意見多数のはず)

ここには生まれる前の赤ちゃん(つまり妊婦ちゃん)からおじいちゃんおばあちゃんまで、地元民も移住者も関係なく多種多様な老若男女が集まります。観光客も視察者も訪れるので、意外すぎる出会いが起こることもしばしば。まさに“人間交差点”なのです。この記事を読んでくださった方も、海士町へいらっしゃることがあれば是非立ち寄っていただきたい。自信を持ってオススメできる、島のたまり場、サボり場、駆け込み蔵です。

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(↑)(↓)カウンター内の右側が輝美さん(撮影:崎野裕)

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《島のほけんしつ 蔵》
2021年夏にはカフェカウンターもでき、さらに“たまり場”感マシマシ!フリースペースでリラックスするもよし、足浴で心身をいたわるもよし。アロマ精油やクレイを使ったホリスティック(統合的)なケアが受けられます。
■〒684-0404 島根県隠岐郡海士町福井1367-1
(海士町の菱浦港より徒歩3分)
■ホームページ:www.ama-kura.com
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自分自身、海士町へ移住してどう変わったのかな?
移住のBefore&Afterを考えると本当にいろいろあります。目に見える部分も、見えない部分も。

例をあげると…
★魚を捌けるようになった!
★海に潜れるようになった!
★買わなくていいものは買わなくなった。お洒落な服屋も雑貨屋も無いからね!
★買いたいものが変わった。私の場合、ブランド服や化粧品よりも草刈り機や豆トラ(耕運機)、かっこいいツナギや長靴に食指が…
★シェアする感覚が当たり前になった。その最たるものが食べ物のおすそわけ。あと車、道具、他人の脳(スキル、知識)。
★自分のささやかな得意分野を活かせる快感を知った。絵を描けるとか、植物を育てるとか。プロじゃなくてもお役に立てれば万々歳。

価値観が変わったというか、自分が本当に心地よいモノやコトにフォーカスできるようになった感じでしょうか。
小さなコミュニティって他人も自分もよく見えるので、今まで言葉にせず誤魔化していたことや、蓋していた好奇心、見過ごしていた気持ちに気がつくのかもしれません。

お金や便利なモノたちはもちろん有るに越したことはないけれど、無くても心豊かに生きられるし、お金持ちよりも人間力が高い人のほうが幸せになれるっぽいぞ、って今は思ってます。細田守監督の名作「サマーウォーズ」のコピー、『つながりこそが、ボクらの武器。』ってのがハラオチしてます。まさにその通りだと。というか海士町自体がそういうスタンスでまちづくりを進めていて、それが多くのIターンを引き寄せる秘密なんじゃないかな。

過剰なモノの消費に躍起になるよりも、「おかげさま」や「かみさま」や「ご縁」や、目に見えないモノの価値を信じて生きてるほうが、ラクだし幸せ。正解とか不正解ではないけれど、私は海士町に移住したことで、そんな風に考えるようになりました。都会もたまに行くとキラキラ楽しくてテンション上がりますけどね。すぐ田舎に帰りたくなる。

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(↑)“島の常識”、紙テープでのお見送り。カラフルな絆


かつて後鳥羽上皇もご配流となった、遠流(おんる)の島にセルフ島流しして13年。私って今も海士町のこと大好きなんだな~ってこの記事を書きながら思いました。これからもずっと住み続けるかどうかは分からないけど、無期限のふるさと認定。たとえ何処に住むことになっても、私は一生、海士町を愛し続けるでしょう。
…ってな想いで本土で暮らしている“もと海士”(=海士町を旅立っていった友達)が、全国各地にたっくさんいるんですよ。今の言葉でいうところの、関係人口。そんな繋がりの強さも、海士町の強みです。あ、また自慢しちゃいました(笑)。

人や自然をひっくるめて地域まるごとをこんなに好きになる感覚って、島根に移住するまでは知りませんでした。さすがは『ご縁の國しまね』、看板に偽り無し!!と、島根全体をヨイショしつつ、第1回は終わりにしたいと思います。

ではまた!

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(↑)菱浦湾で出逢った夕映え。この色は数秒で消えました。
(9月30日現在)



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小坂さん

【名前】小坂まりえ
【移住市町村】隠岐郡海士町
【UターンorIターン】Iターン
【移住前の居住地】東京都(三重県出身)
【年代】4●歳
【お仕事】仕事はフリーランスでライター業をメインに編集やイラストなど諸々
【趣味】本とランニングとフラワーアレンジ。
    島の植物を使ったリースやスワッグを作るのは至福の時間。
【Love shimaneとしてひと言】
島根の好きなところは、海が美しいこと、地酒が美味しいこと、人が適度に少ないこと、暮らしの中で神さまの存在を意識する機会が多いこと等々。

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