原発
東京電力・福島第一原子力発電所の事故から10年。事故後、日本の原発をとりまく状況はどう変化してきたのでしょうか。
見直された原子力規制
2011年3月、福島第一原発の事故が起きる前まで、経済産業省の中にあった原子力安全・保安院が規制基準に基づいて原発の安全性の審査やトラブル対応などを行っていました。
しかし、原発事故が起きた翌年の9月、(2012年)当時の民主党政権は保安院を事故を防ぐことができなかったとして廃止、新たな規制機関として原子力規制委員会を発足させます。
規制委員会は原子力を推進する経済産業省から切り離され、環境省の外局の三条委員会として独立性を高めたものとなりました。
理由は保安院が原子力政策を推進する経済産業省の中にあり人事も省内で行われるなど、“規制と推進のなれ合い”が規制の徹底を阻害していたとの指摘を踏まえたものでした。
そして2013年7月、規制委員会は事故の教訓を踏まえたより厳しい内容の新しい規制基準をつくります。
新しい規制基準は▽原発で想定される地震や津波、火山、それに竜巻などの自然災害や、▽電源を喪失するなどして核燃料が冷却できなくなるような重大事故への対策などについて保安院の時の基準よりも厳格な対応を電力事業者に求める内容となりました。
電力事業者はこの新しい規制基準に基づいた規制委員会の審査に合格しなければ原発を再稼働できません。
たとえば、▽事故の際に収束作業の拠点となり、放射線を遮ることのできる緊急時の対策施設や、▽原子炉を冷却するためのポンプや非常用の電源が使えなくなった場合に備えた複数のバックアップを設けることなど、福島第一原発事故を教訓に、それまでは求められなかった安全系の設備の設置が進むことになりました。
一時、稼働する原発がゼロに
事故後、各地の原発は安全対策のために順次、運転を停止しました。
しかし、日本の原発利用の方向性は大きく変わることにはなりませんでした。
民主党政権は2012年9月、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とする」ことなどを目指すことをいったん掲げました。
しかし原子力関連施設が立地する自治体などから政策の変更に対して不安の声が上がったことなどを受け、原子力利用を認める方向に政策を軌道修正していきました。
そして、2012年12月、自民党に政権交代すると、原発の利用がより明確に打ち出されます。
2014年6月、政府は「依存度を可能な限り低減する」としつつ、電源全体を下支えすることを意味する「重要なベースロード電源」のひとつに原発を位置付け、規制委員会の審査に合格した原発については再稼働を進めるとする「エネルギー基本計画」を閣議決定しました。
こうした中、事故を起こしたタイプとは異なる「加圧水型」と呼ばれる型式の原発から新しい規制基準に合格し再稼働が進んでいきます。
2014年9月、鹿児島県にある九州電力の川内(せんだい)原発1号機が審査に合格し、翌年、再稼働しました。
次いで川内原発2号機も再稼働します。
その後福井県にある▽関西電力の高浜原発3号機と4号機、愛媛県にある▽四国電力の伊方原発3号機が再稼働。
佐賀県にある▽九州電力の玄海原発3号機と4号機、福井県にある▽関西電力の大飯原発3号機と4号機も続き、2021年2月時点までに全国で5原発9基が再稼働しています。
コストなど理由に廃炉も
一方、再稼働を巡っては電力会社の判断に変化もありました。
新しい規制基準は安全性を向上させるため例えば津波による浸水を防ぐ防潮堤を整備するなど多くの安全対策を求めます。
そのため原発を再稼働させようとすると1基当たり数千億円規模の追加の費用がかかることになりました。
原発事故の前はもともと1基当たり3000億円程度で建設できるとされていた費用が、大幅に膨らんでいったのです。
こうした事情から再稼働を進める一方で電力各社は十分な利益が見込めない古い原発や発電量が少ない原発を廃炉にする決定を相次いで行います。
廃炉を決めたのは東京電力の福島第一原発と福島第二原発の2つの原発を除くと、▽福井県にある敦賀原発1号機、▽美浜原発1号機、2号機、▽大飯原発1号機、2号機▽佐賀県にある玄海原発1号機、2号機、▽島根県にある島根原発1号機、▽愛媛県にある伊方原発1号機と2号機、▽宮城県にある女川原発1号機のあわせて7原発11基です。
このように事故後は原発の選択と集中が進むことになります。
“核燃料サイクル”揺らぐ
福島第一原発の事故は日本が原発の導入を決めた昭和30年代から掲げる「核燃料サイクル政策」にも影響を及ぼしています。
核燃料サイクル政策とは原発で使い終えた核燃料を捨てずに、再処理工場と呼ばれる施設で化学処理してプルトニウムを取り出し、再び核燃料に加工して利用する政策です。
いわば核燃料のリサイクルともいえるこの政策は、化石燃料の乏しい日本としてプルトニウムを準国産エネルギーと位置づけ、有効利用を進めようというものです。
プルトニウムを再利用する柱は2つあります。
そのひとつは「高速炉」という特殊な原発を開発して利用を進めるものです。
高速炉は発電しながら使った以上のプルトニウムを生み出す能力があるとされる次世代の原発です。
「夢の原子炉」とも呼ばれ、プルトニウム利用の本命として、実用化を目指して原型炉「もんじゅ」が福井県敦賀市に建設され、研究開発が進めれてきました。
しかし「もんじゅ」は1兆円以上が投じられながら設備のトラブルや組織の不祥事などが続き、1995年以降、ほとんど運転できない状態が続いていました。
そうした中、福島の原発事故が起きて、その後新しい規制基準に基づく追加の安全対策が求められたのです。
政府は追加の対策工事をもんじゅに行うには多大な費用が見込まれ実施は難しいなどとして、2016年に「もんじゅ」の廃炉を決定しました。
代わりに高速炉の計画を持つフランスなどと国際協力を進める中で、技術や知見を蓄積していくなどの方針が示されましたが、国内で開発の中核施設を失ったことでプルトニウム利用の本命とされていた高速炉の研究開発は後退したとの指摘もあり、実用化の見通しはたっていません。
もうひとつの利用の柱はプルトニウムを一般の原発で再利用する方法です。
これは「プルサーマル発電」と呼ばれ、当初は、2015年度までに全国16基から18基の原発で実施する予定でした。
しかし、福島の原発事故後、新しい規制基準に合格して再稼働ができた原発の基数は限られ、中でもプルサーマル発電の実施が出来たのは先月の時点で▽四国電力の伊方原発3号機▽関西電力の高浜原発3号機と4号機▽九州電力の玄界原発3号機の4基にとどまっています。
事故の影響もあってプルサーマル発電の計画は未達成となっているのです。
こうした中、電力各社でつくる電気事業連合会は2020年12月、「プルサーマル発電」の計画を11年ぶりに見直し、「2030年度までに少なくとも12基」と実施基数を修正しました。
ただし、この計画で示された原発の中にはまだ再稼働の見通しがたっていないものもあります。
本当に計画通りプルサーマル発電を行えるのかは、引き続き不透明です。
このように核燃料サイクル政策が目指すプルトニウム利用は原発事故のあと、より厳しい環境にさらされているのです。
その一方でプルトニウムの取り出しの手続きは進んでいます。
原発で使い終わった使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が青森県六ヶ所村に2022年にも完成する予定です。
完成後の手続きが順調に進み工場が本格操業した場合、高速炉の実用化が見通せず、プルサーマル発電も限られる中でプルトニウムが生み出されることになります。
プルトニウムは核兵器の材料にもなることから国際的にも削減が求められており、日本は利用目的のないプルトニウムは保有しないことを国際的に約束しています。
つまり、プルトニウムを取り出す準備が出来ても、その利用先が明確でなければ、取り出しはできません。
こうした状況は国の核燃料サイクル政策が抱える課題が原子力事故のあと顕在化したともいえます。
国は核燃料サイクル政策をどうしようとしているのか。
経済産業省に聞きました。
国の回答は、課題はあるものの、▽化石燃料の乏しい日本にとって原子力エネルギーは引き続き必要だとしたほか、▽原発で使い終えた核燃料をリサイクルすることで資源を有効利用できることや、▽核燃料を再処理した後に残る高レベルの放射性廃棄物いわゆる「核のゴミ」の量を減らすことも可能なため、原子力利用は利点があるなどとしています。
今後、構想通りに核燃料サイクル政策を実現しようとすると数十兆円ともいわれる巨額なコストが見込まれ、それは国民の負担となります。
また原子力利用は放射性廃棄物も生み出し、その処分をどうするかという大きな課題についても解決の道筋は見えていません。
今後、政策を維持するにしても変えるにしても国と電力各社は国民の理解を踏まえながら、政策のあり方を柔軟に議論していく必要がありそうです。
北海道電力が再稼働を目指す泊原子力発電所を、原子力規制委員会の山中伸介委員が7日視察し、先月の裁判でも津波対策が不十分だという指摘につながった防潮堤について「設置する方法や場所を見て論点がはっきりした」と述べ、現地での視察を今後の審査に生かしていく考えを示しました。泊原発を訪れたのは原子力規制委員会の山中委員など4人で、再稼働の前提となる審査の焦点の一つ「防潮堤」を視察しました。
泊原発については、先月31日、裁判所から津波対策が不十分だとして運転しないよう命じる判決が出されていて、「防潮堤」の視察では、北海道電力の担当者が、これまでに設置したものを撤去していることや、液状化の影響を受けないよう岩盤に直接打ち込む工法で設けることなどを説明しました。
山中委員は「新たな防潮堤の設置方法や場所を現場で見て今後の論点がはっきりした。耐震設計の基準となる地震動や津波の大きさが決まってから審査会合で議論していきたい」と述べ、7日の現地視察を今後の審査に生かしていく考えを示しました。
北海道電力は泊原発について、再稼働の前提となる審査を2013年に申請していますが、現在も審査が続いています。