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就活は、妥協と変装のゲーム

就活の自己目的化と「妥協の絞り込み」

今の就活はクソである。就活をクソにする最も有力な理由は、「それ自体が目的となっているから」である。就活生にとっては、内定をもらってから全てが始まる。つまり、内定をもらうことで、ようやく自分の進路を得失する権利を持つことができるのだ。すなわち、就職活動の段階では「自分に合った会社選び」は始まっていない。それが始まるのは、唯一、内定をもらった時からなのだ。
反論として、就職活動中に自分が行きたい企業を選んでいるはずだから、内定を取る以前の就活の時点で「自分に合った会社選び」は始まっているのではないか、というものがあるだろう。たしかに、業界を絞るのは「自分に適した業界だから」であり、複数社受けるのも「業界を絞ったがゆえに、条件に合致した企業が多いから」であろう。
しかしその方法では、本当の意味で「自分に合った会社選び」は行われているのだろうか。
まず、自分たちは基本的には1つの会社にしか所属できない。そのため、「自分に合った会社選び」は、文字通り、企業を絞ることを意味する。そこで企業を絞る際、WLBや賃金や勤務地固定など、様々な条件により多く合致する企業を探すだろう(ここでは、自分が望む労働環境からの絞り込みを語る。また、自分の経験において適している仕事か否かによる絞り込みは、労働環境の絞り込みの前後でも行えるため、総称した「絞り込み」として混同させていない)。そうすると、業界は条件ごとに絞られるかもしれないが、企業だけを見ると業界を超えて条件に合致するところは多く、受ける企業を絞り込むことなど不可能に近い。だが、これは「自分に合った会社選び」をしているまでだ。このように受けるべき企業が沢山あるのだが、現実には、それを全て受けようとせずに、業界を絞りに行く。これは「自分に合った会社」を捨てているようなものである。「自分に合った会社選び」は、本当にそれで達成できているのだろうか。
これに対して「業界や受ける企業を絞るのが就活の定石だから」と反論するのであれば、なぜそんな定石がそもそもあるのだろうか。答えは、まさに「内定を取るためには非効率だから」に他ならない。内定を取らなければ就活自体が無意味なものになるからであり、つまり、就活自体を完了させる=内定をもらうことが目的になっているからである。自分の条件に合致する企業について、業界が全く異なり、しかも企業の数も多いなら、内定を取るのは難しくなる、と考えられているのだ。この「内定を取るために」がついている時点で、就活はそれ自体が目的化していることが伺える。「自分に合った会社選び」は、全くもって就活の本質なんかではない。ただの建前なのだ。
ここでも、「様々な条件を求めすぎると、受ける企業が広範に及ぶから、条件に優先順位をつけるべきだ」と反論する者がいるだろう。これはまさに、内定を取るために、他の条件を飲み込んで妥協することなのだ。受験とは違い、圧倒的に長い期間の今後の人生について、そして所属機関への責任も求められるような人生について決定を下す機会が、就活なのだ。それなら、自分が求める条件を、なぜ一部であっても飲み込まなければならないのだろうか。自分の人生が掛かっているのであれば、その人生を豊かにし得る条件を飲めるはずないのである。だが現実は、就活生の多くが、一部の条件を排除して内定獲得に奔走することになる。これが「妥協の絞り込み」だろう。

ここであえて言うならば、「業界を絞り込むことは辞めよう。企業で見るようにしよう」ということは、今後大事になってくるだろう。

就活の自己目的化と「良い顔選手権」

このように、進路を決めるために「内定を取ること」が目的になっており、そのために「条件の一部にあった業界や企業へと絞り込む」ことになる。そしてさらに、「内定を取ること」が目的化すると、内定を出してほしい企業に対して「どれだけ良い顔が出来るか選手権」が始まる。
おそらく多くの人にとって、仕事は「何をするか」よりも「どんな環境や待遇で働くか」が大事だろう。不景気の現在では、特に重視されているに違いない。すると、自己分析は本来の効果を発揮しない。つまり、労働環境・待遇などが先に目に映ってしまうため、その点で好条件の企業に対して、「良い顔をするための材料を集める」こととして自己分析が機能することになる。自己分析をしても、基本的に企業から内定をもらう方向に寄せていくことになるので、自分の良い側面やウケの良さそうな経験をその企業に刺さるように改変し、これで「偽りの自分」が出来上がるのだ。
更に「偽りの自分」によって作られる「偽りの」志望動機や自己PRなど、「偽りの」ESが書きあがる。どれだけその企業でやりたいことや目標や夢やビジョンを描いていても、それはただ書類選考や面接をパスするためでしかなく、現実にしようという意識は毛頭ないはずだ。つまり、企業に入ってからは、そんな志望動機などを具体化しようとはしないのである。もっとも、入社してから考えるのは、上司や勤務地に関わる「配属ガチャ」でしかないのは、Z世代の特徴とも言える。
就活の自己目的化は「偽りの自分への変装」を発生させてしまうのだ。

あなたは「偽りの自分」で生きる覚悟はあるか

そして、この「偽りの自分」が出来上がった場合、自己分析を経ていることから、無意識に「新しい自分が見つかった」と「偽りの自分」を正当化することになる。もっとも、内定を貰ってしまえば、その正当化は加速する。こうなった場合は、もう引き返すことは出来ない。正当化しているため、本当に大事にしたい条件が遠くの方に追いやられており、視界にも入らない。しかし、正当化してしまったことに対して、馬鹿ではないかぎり、多くの人は不快感を抱くだろう。そうすると、就活をやり直すか、不快感を抱きながらその企業に入るかしかないのである。さあここで、あなたは「偽りの自分」として生きていく覚悟はあるだろうか。就活とはまさに、「妥協と変装のゲーム」なのである。

就活を「妥協のゲーム」にするな

このように、就活が目的化してしまうと、「条件の一部を妥協した、業界や企業の絞り込み」と、その企業に受かるための「偽りの自分」の生成が起こるのだ。すると、妥協した企業を目指すのは「偽りの自分」であり、彼が就活市場に自分の代わりとして解き放たれる。現代の就活がクソな理由は、このように自己目的化した結果として、「意図しない妥協と変装」を促し、自分自身でさえ、自分の意思も自分が何者かも分からなくなってしまうことにあると考える。

だからと言って、就活を根絶すべきかというと、そうではない。もちろん企業が労働力を確保するため、そして就活生が働く先を見つけるために必要な活動である。しかし私が本当に言いたいことは、今から就活をする人は、「妥協はするな」ということである。
条件は全て合致する、もしくは8〜9割合致する企業を選べ。業界は絞るな、企業として見ていけ。条件に妥協せずに合致した企業に受かるためなら、ガクチカや自己PRは改変して良い。変装は悪いことではない。しかし、妥協して条件に合わない企業に対して変装するならば、その変装はする必要も価値もない。
とにかく「妥協をするな」ということである。


就活を「変装のゲーム」にするな

さらに就活がクソな理由として、意識高い系の自分が出てくることもある。なんとなく自己分析をすると、自分はこれだけ色んなことを考えて行動に移してました!と言えるような場合がある。本当は、そんなこと一切していないのに、だ。このような意識高い系の自分も「偽りの自分」となるが、こちらの変装は絶対にすべきではない。なぜなら、入社後に自分を追い込むことになるからだ。うまく成績が残せないばかりであればまだ良いが、自分自身に対する過信として、その不調な成績が自分に起きているとは信じられない、という自己喪失に陥る可能性もある。そのため、変に取り繕って、自分の現実の能力を遥かに超える「変装」をすることは、できるだけ避けたい。
条件にほぼ全て合致する企業に対して、等身大であり企業でも活躍できそうな、程よい変装が必要である。

妥協も変装もしないための、大学3年間

このように、就活は「妥協と変装のゲーム」であると考えているが、これから就活をする人や転職活動をする人は、そんな「妥協と変装のゲーム」に気をつけてほしい。特に大事なのは、「妥協しない」ことだ。「変装」は自分に不利益をもたらしたり、不必要で無価値な場合は、すべきではない。
正直な話、内定は簡単に取れる。「妥協と変装」をしなくても、内定は取れる。まずそこは安心してほしい。だから必ず妥協はするな。あなたの人生のことだが、少しだけそこに関してはお節介をさせてほしい。
だが、この「妥協と変装」をしないのは非常に難しい。そのためには、英語の資格や部活や表彰経験など、様々な活動が必要になる。これが就活を左右すると言っても過言ではない。多くの企業は、その能力やポテンシャルを買いたいのであり、本当なら条件に最適なのに、超大手企業すぎて諦めるしかないような企業でも、実は資格や経験だけで射程圏内に入るのだ。そして何よりも、就活は、基本的に大学3年生までの活動が大事なのである。逆に言えば、これらの経験があるなら「妥協も変装」もしなくて済む。だからこそ、ここに最大限力を注いでほしい。
これから3年生が終わり、本格的に就活に挑む人たちにとっては、遅すぎる提言になるかもしれない。しかし、もう一度妥協してないかを考えてみてから、早期化が進む中でも6月から多くの企業が採用を続けている環境で、やり直しをしてみても良いかもしれない。それほど、「妥協」は今後の人生を狂わせることになる。

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