書く事などについて、つらつらと雑記

 自分の考えていること、感じていることを話し言葉として口から放つのがとても苦手だ。

  一つの刺激に対し、様々な想念が浮かぶため、どれを形にし、日本語として表に出せばいいのか判断が遅れてしまう。
 よって人と会話している時などにぽん、ぽんと素早く返すことができない。

 昔は  (応酬のスピード)にとらわれ、意識するあまり、慌ててしまいつい不適切な事を言ってしまったのではないかと煩悶してしまうことが良くあった。

 あるいは、本当は言いたい事があったのに適切な伝え方が見当たらず、結局吐き出すタイミングを逃してしまい、喉に張り付いたままの言葉達も沢山いる。

  排出のタイミングを失った言葉達がしょんぼりとうなだれて萎れていくようで、気の毒で胸が痛んでしまう。

 そこで私は日々の感情を(綴る)ことにした。できるだけ、正確な言葉を選んで。
 小説にしろ、日記にしろ、書くことはとても楽しい。書いてる間は自分自身の存在が希薄になり、綴る文字だけが色濃く生を主張している錯覚に陥り、面白い。

 これが所謂夢中になっている、という状態なのだろう。

 フィーリングの合う作家の本を読んでいる時なども、自分の存在を忘れて没頭状態になる。

 写真にせよ、スポーツにせよ、音楽にせよ、映画にせよ、様々なしがらみから離れて避難できる場所があるというのは幸福な事だ。

 生きていると、誰しも人間関係で悩んだり、仕事で消耗したりして大変な目に合って、現実が辛くなる瞬間はあると思う。

 でも、現実を生きることが大変だからこそ、現実の中できらりと光る美しい瞬間がより鮮やかに思えるのではないだろうか。

 見渡すとどこもかしこもずっときらきらしたものばかりなんて状況はきっと嘘っぽいし、最初は楽しくてもきっと疲弊してしまう。

 淀んだ曇り空の中でのぞく晴れ間や、青空の下パラパラと降り注ぎ、地上を濡らす雨粒、日光を反射する泥水は、時にはっとする程美しい。

汚れていて不完全だけど、だからこそ完璧で美しい。

 私は自分が夢中になれるものを与えてくれる、この汚れていて不完全で、そして美しい現実にたまには感謝しながら生きようと、不安定な空に思いを馳せながら、そう感じた。

 ………それはそれとして、今日は急に激しい雨が降ってびちょ濡れにならなければ良いな、とも思う。

 皆様も天気予報を確認して、雨が降りそうだったら雨具は忘れないようにお気をつけて。

では!

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