青い時
それは肌の細胞の一つ一つにに染み渡る程の冷たさが堪える、冬の午後のこと。
私が一人、忘れ物を取りに教室に戻ると、そこには、田中さんがいました。
田中さんは、艶のある髪をショートカットにしていて、身長が170センチ程とすらりと高く、大変美しい女生徒です。
田中さんは、基本的には誰とも交わらず学校生活を送っており、いつも、笑いさざめく女生徒の群れの中で、一人で物思いに耽るような表情をしているのです。
私にも、友人が一人もいなかったのですが、その事をどこかで恥じておりました。
いつも谷崎かなにかの小説を読みながら、外部を遮断して、自分の内部に閉じこもるばかり。
ですから、一人でも凛としている田中さんに、密かに憧れを抱いていたのです。
田中さんに話しかけようか迷ったのですが、彼女が何をするでもなくただ机の上に腰掛けて、窓の外を眺めている様が、何やら恐ろしい程に絵になっていたため、私はそそくさと退散するつもりで机の中に置きっぱなしにしていた日記帳を手に取りました。
不意に熱を帯びた気配を感じて後ろを向くと、そこには田中さんの細面の白い顔がありました。
田中さんの大きな茶色みがかった瞳は、窓から差し込む日光を吸収したかのように爛々と輝いており、私は思わず体をこちり、と硬直させました。
「それ何?」
そう、初めて田中さんの方から、私は話し掛けられたのです。
「何でもないですよ」
私は、おっかなびっくり、何故か敬語で返してしまいました。
「ねぇねぇ、何だってば、それ。見せてちょうだいな。気になるな」
「やめて下さい」
私の必死の抵抗も虚しく、無慈悲にも朱色の日記帳は田中さんの細長い指に取り上げられてしまいました。
「返して下さい」
悲痛な叫びを無視し、田中さんは悪戯っ子のように微笑んで、躊躇なく頁を捲ります。
「私のことが書いてあるのね」
顔が熱くなり、胸の奥からどろどらろとした塊がマグマのように沸き上がってくるのを抑えきれませんでした。今にも、破裂しそうです。
「あと、同級生達の愚痴も‥‥うふふ」
(いつも流行りのものばかり追って、同じようにスカートを短くして、群れて、頭の中は恋愛の事ばかり。下らない。まるで発情した動物のように、浅ましい。少しは田中さんを見習ったらどうだ)
そう、私ははっきり言って、周囲を見下しておりました。
田中さんに私の傲慢な部分、最も恥じている部分を見られ、泣き笑いの表情を浮かべることしかできません。
「ま、良いじゃん。そう思っちゃう気持ち、分かるし。」
気づくと私の頬には涙が伝いました。身体が、がたがたと震えます。
「どうしたの?寒いの?」
「違います。ただ、恥ずかしくって」
田中さんは、震える私の身体をひしと抱きしめました。
田中さんの柔らかな乳房が私の貧相な肉体に当たり、私はしゃくりあげながら本格的に泣き出しました。
「よしよし」
田中さんは私の頭を柔らかく撫でました。そして、私が特に気に入らなかった、ちゃらちゃらと恋愛や性経験の話ばかりしながら、田中さんを中傷する、ずんぐりむっくりした女生徒の机にマジックで落書きをしました。
(発情期の動物)
と。
そして、田中さんはけらけらと、声を立てて笑いました。
私は驚きつつも、ふふふ、と生温い涙を流しながら、つられて笑ってしまいました。
田中さんは、私の頬にもマジックを当てました。ひんやりとした感触が心地よく、触れられる快楽に身を委ね、私はうっとりと、目を閉じます。
田中さんは、突如じゃあね、と言うと、手を降って、風のように去って行きました。
お手洗いに向かい、鏡で顔を確認すると、そこには
(臆病者)
と書かれており、へなへなと脱力しました。でも、不思議な笑いが込み上げてきます。
涙はすっかり、かわいておりました。
私は軽やかな足取りでお手洗いを出て、廊下を歩きました。すれ違う生徒達が、ぎょっとしたように私の顔を見ておりましたが、まるで気になりません。
転がるように校門を出て、空を仰ぎました。
夕焼けに染められた桃色の薄い雲が、網膜に刺激を与え、その瞬間、得も言われぬ心地良さが魂を覆い、私は宙を舞いました。