通夜の弔問客

 数年前、義理の叔父が亡くなった。
 まだ60代だった。
 職場を定年退職し、これから老後を楽しもうという矢先に罹った血液の病気が、驚くようなスピードで悪化し、叔父の命を奪った。
 喪主を務めた叔母は、悲しみに打ちひしがれながらも、気丈に弔問客の対応をしていた。

 葬儀会場で、私は従妹と二人、通夜の受付を任されていた。
 私の地元では、通夜は、最近こそ、葬式当日に仕事を休めない人が出席する、というケースも増えてはきたが、基本的には近親者のみが参列する。
 それでも、叔父の親戚はそこそこ数が多く、しかもそのほとんどが地元に住んでいるため、通夜の受付は思っていたよりも忙しかった。

 芳名カードに記入して貰い、香典を受け取り、返礼品を渡す。
 そんな流れも落ち着いたので、私は従妹と、受け取った香典をまとめ、書かれた芳名カードと、返礼品の残りの数を一応確認した。
 これらをすべて、葬儀会社の人に預けた後、私たちも通夜に参列するという段取りだった。

 しかし、ここで少々困ったことになった。
 芳名カードが、渡した返礼品の数より、一枚多かったのだ。

 従妹と顔を見合わせた。
 まさか返礼品を渡し損ねたのだろうか。
 急いで香典袋の数を確認した。
 受け取った香典の数は、渡した返礼品の数と同じだった。
 返礼品を渡し損ねているわけではなさそうだった。

 通夜が始まるまでにはまだ時間がある。
 香典袋の記名と、芳名カードとを、照らし合わせて確認することにした。
 芳名カードには、氏名・住所・電話番号を記入して貰うことになっている。
 ひとつひとつ確認していき、最後に、一枚の芳名カードが残った。

「何、これ?」
 従妹がぼそりと呟いたのも無理はない。
 そのカードには、住所も電話番号も書かれておらず、氏名欄に名字だけが書かれていた。
 受付のボールペンのインクよりも明らかに薄い色の、しかし鉛筆で書かれたのではない、震えたような線の、小さな文字だった。
 かろうじて「北崎」と読めた。

 これまで確認したカードに、北崎という名の人はいなかった。
 そして、どのカードの筆跡とも違う文字だった。
 他の弔問客の書き損じだとは思えなかった。

 私は、従妹をその場に残し、叔母の元に行った。
 沈痛な面持ちの叔母を、余計なことで煩わせるのは気が咎めたが、訊ねないわけにはいかない。
 喪主である叔母への弔問客の挨拶が途切れたのを見計らい、訊ねた。
「叔母ちゃん、今夜ここに来てくれそうな人で、北崎さんという名前の人、心当たりはある?」
 叔母は、脳内の住所録をめくっているような顔でしばらく考えていた。
 そして、言った。
「ううん…。そういう名前の人は、知らないけど…」

 受付に戻ったら、従妹が不安そうな顔で私を見た。
「これは、見なかったことにしよう」
 私がそういうと、従妹は黙って頷いた。
 一枚多い芳名カードの束と、香典袋の束、残りの返礼品、これらをまとめて葬儀会社の人に預けて、通夜の席に座った。

 あのときの私の対応が、正しかったのか間違いだったのかは、今でも解らない。
 しかし、後日、通夜の件で叔母から何か言われたことはない。
 北崎という名の人の話も聞かない。
 あれはやはり誰かの書き損じだったのだと考えれば済む話なのだろう。

 私は、自分にいわゆる霊感はないと思っている。
 いわゆる怪談や不思議な話とは縁がない人間だと思っていた。
 しかし、あの通夜の出来事は、今でもスッキリしない。
 不思議な出来事のまま、ずっと記憶に残ってしまっている。

 姿なき弔問客が来たのかも知れないという、そんなお話。

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