『モンティ・ホール問題』について考える
■問題の概要
『モンティ・ホール問題』とは、数学の問題のひとつです。
問題の内容は、こんな感じです。
細部のディテールはちょっと変えましたが、構造は変えていません。
・あなたの目の前に、神様がいます。
・神様は、箱を3つ並べました。
便宜上ABCと名付けます。箱の形状に違いはありません。
・3つの箱のうち、1つだけ、当たりです。残り2つはハズレです。
当たりの箱には、「欲しい物を1つだけもらえる券」が1枚入ってます。
・「箱を1つ選んで。それが当たりだったら、中の券、使っていいよ」
と神様は言いました。
・あなたはAを選んだとします。
・Aの箱を開ける前に、神様が「Bはハズレだよ」と言いました。
神様はBの箱を開けて見せました。確かにBはハズレでした。
・「今なら、Cに変えてもいいよ。勿論変えなくてもいい。どうする?」
と神様が言いました。
・あなたは、Cに変えるべきでしょうか?
実際の問題では、当たりは「新車のキー」、ハズレは「ヤギ」、これを、あるイベントの主催者が、箱ではなく部屋に入れて、扉を選択させるというものでしたが、「ヤギのほうが当たりだと思うんだ」などと言い出すヤギマニアに登場されると話が面倒になるので、細部を変えました。
申し訳ない。
■まずは結論から
これ、結論から言うと、「変えたほうがいい」です。
理由は「当たる確率は、変えた方が、変えないときの2倍になるから」なのですが。
アメリカの雑誌のコラムに、この問題が読者から投稿され、それに対してコラムニストが上記の回答を誌面に載せたところ、「この回答は間違っている」という投書が、1万通近く寄せられたのだそうです。
その中には、1000人近い博士号取得者のものも含まれていたそうです。
その反論の大半は、「2回目に選択を変えようと変えまいと、その確率は2分の1で変わらないはずだ」という論旨だったらしい。
その結果、長いこと、大論争が繰り広げられたのだそうです。
中には、人格否定にまで及びかねない、悪し様な批判もあったのだとか。
しかし、最終的には、「確率が2倍になる」が正しいことが、コンピューターのシミュレーションによって、明らかになります。
これを機に、当初「回答が間違っている」と反論をしていた人々は、自らの誤りを認めるに至ったそうですが。
私も最初は「残り2つから選択をし直すことになるのだから、どちらを選ぶのも、確率は同じでしょ?」としか思えませんでした。
詭弁なんじゃないのかとすら、思いました。
だから「コンピューターのシミュレーションで証明された」という事実を聞いたときも、最初は信じられませんでした。
で、今回、もう一度、落ち着いて細かく考えました。
その結果、ようやく「確かに確率は2倍になる」という実感を得ました。
その、考えた内容を、以下に記しておきます。
■こんな感じで考えた
この問題で重要なのは、ハズレのことをちゃんと考えるということです。
当たりのことだけを考えているうちは、多分、結論を理解できません。
ポイントは、「神様が、ハズレの箱を1つ教えてくれて、それが事実だと証明をしてくれる」という点。
この条件からわかることは、「じゃあまだ自分がハズレを選んだと確定したわけではない」の他にも、いろいろあります。
あなたがAを選んだ後、神様がBをハズレだと言えるという状況とは、どういう状況なのか、という視点から、考えます。
まず、Aが当たりであった場合。
残りのBとCは2つともハズレなのですから、このとき神様は、どちらを選んで提示してもよいことになります。
一方、Aがハズレであった場合。
BとCは、どちらかが当たりで、どちらかがハズレです。
この場合は、神様は、選択の余地がありません。
Bが当たりなら、神様は「Bはハズレだよ」とは絶対に言えません。
Cが当たりのとき、神様は「Bはハズレだよ」と言えます。
以上を、端的に表現すると、
「①Aが当たりのときは、神様がBを選ぶ確率は50%。
②Cが当たりのときは、神様がBを選ぶ確率は100%」
となります。
なので、
①の事象が起こる確率は、1/3×1/2=1/6
②の事象が起こる確率は、1/3×1=1/3
となります。
ここまでは大丈夫ですかね?
さて。
Aが当たりだった場合。
変えたら、絶対に外れます。
そのままなら、絶対に当たります。
Aがハズレだった場合。
変えたら、絶対に当たります。
そのままなら、絶対に外れます。
よって。2回目の選択で、
変えずに当たる確率は、1/6
変えて当たる確率は、1/3
となります。
上の数字は「神様がBをハズレだと言った場合」に限定した結果なので、「神様がCをハズレだと言った場合」にも、同じことが言えます。
よって、あなたがAを選んだ場合の、変えて当たる確率、変えずに当たる確率は、それぞれ、上の数字の2倍の数値になるはずです。
よって。
最初にAを選んで、2回目も変えずに当たる確率は、1/3
最初にAを選んで、2回目に変えて当たる確率は、2/3
となります。
当然ですが、「最初にBを選ぶ」場合も、「最初にCを選ぶ」場合も、これと同じ結果になります。
そういうわけで、「変える方が、当たる確率は2倍」は正しい、ということになるのです。
■発想を飛ばしてみる
ところで、理屈で考えれば一応結論がでるこの問題。
コンピューターは、乱数シミュレーションの実行の末、「変エタラ、当タル確率ハ、2倍ニ、ナリマス」と答えました。
なのにどうして、私を含めた多くの人々の直感は、この結論にすぐには納得できないのか。
ここからは私の個人的な想像ですが。
コンピューターは、「当たり」も「ハズレ」も、等価値と言うと語弊があるかもしれませんが、どちらも適切に取り扱おうとします。
機械だから。そこに感情はありません。
言ってみれば、「当たりという名前の何か」「ハズレという名前の何か」という認識で、計算している、という印象です。
それに対して、人間は、「当たりとハズレなら、そりゃあ当たりの方がいいに決まってる」と、大抵は思うでしょう。
そうすると、人間の多くは、「当たりのことしか目に入らない」という状況になりがちだったりします。
「ハズレのことなんかどうでもいい」って感じで。
そうして、「Bがハズレ」という、後からもたらされた情報を、簡単に聞き流し、当たりのことだけを重視した結果、「最初の選択は、当たる確率が1/3だし、次の選択は、1つ選択肢が減ってるから、当たる確率は1/2だと思う」と考えてしまう。
あるいは。
コンピューターは、常に冷静なまま、「複数回の試行」を前提として捉えています。先のシミュレーションの結果は、数百回もの演算の末、導き出されたものです。
それに対し、人間は、こういう状況を目の前にすると、大抵は、無意識に「こんな幸運が簡単に得られるかもしれないイベントは、二度と起こらない一発勝負だ」と考えるでしょう。
すると、冷静なつもりでも、どこか視野が狭くなることがある。
こういう差も、理論と直感の乖離の要因のひとつかもしれません。
些細な情報でも、適切に取り扱わないと、ときに危険に繋がる。
人間の直感は、往々にして、様々な欲で簡単に歪む。
「この瞬間でしか、やり直しはきかない」と思ってしまうと、冷静さが失われることがある。
モンティ・ホール問題は、本来数学の問題だったはずなのに、いろいろ考えると、こういう、数式以外の事柄についても、気づきをくれる問題であるような気もします。
■数学は、食わず嫌いはもったいない
ところで、この『モンティ・ホール問題』がアメリカの雑誌で取り上げられたのは1990年代です。
で、構造的に、これととてもよく似ているものに、『3囚人の問題』があります。
年代的には『3囚人』の方が古い問題です。
いずれにしろ、良質の数学の問題には、単なる数字遊びを超えた面白さがあります。
私にとっては、今回初めて知った問題ではありませんでしたが、久しぶりに触れる機会があったので、記しておくことにしました。