オキシトシン雑感
ストレス社会の救世主としてオキシトシンというホルモンが脚光を浴びているらしくNHK総合の「あさイチ」でも取り上げられた。
オキシトシンが分泌されるとストレスが緩和され、痛みや苦しみが軽減され幸福感が助長されるという。ありがたいホルモンだ。
番組ではオキシトシンの分泌を促す方法をいろいろと紹介された。
この中で気になったのはオキシトシンの分泌を促す行為の中には逆にストレスとなるものもあるということだ。しかもオキシトシンの分泌を促す効果が高い行為ほどその行為が嫌いな人にとってはストレスを増す効果が高い。
典型的なものは人との触れ合いだろう。親しい人との雑談などは最高の癒やしだ。食事会や飲み会も楽しいなぁ。しかし嫌な相手との会話はストレスだろう。また、身体を触られたらパワハラやセクハラだ。上司が部下をを無理やり飲み会に誘うのはパワハラだろう。
人から親切にすることや人のためになることをすることもオキシトシンが分泌されるそうだ。これを聴いて情けは人のためになるだけではなく自分のオキシトシンを増やすから自分のためにもなっている「情けは人の為ならず」を科学的に証明しているのだと感じた。小さな親切、大きなお世話をしたがるお節介屋はオキシトシンを分泌したい一心なんだろうと納得した。
番組では触れていなかったがオキシトシンと最も関係があるのが宗教ではないかと思った。
特にお祈りは最もオキシトシンを分泌する行為ではなかろうか。お祈りしてオキシトシンを分泌する。これぞご利益だろう。
親しい人が苦境に立たされていることを知った。援助したいが下手に動けば益々苦境に追い込んでしまうことになる。自分は何も役に立つことができない。ものすごいストレスだ。このような場合にするのがお祈りや荒行だ。これらの行為をすることによってオキシトシンを分泌しストレスを和らげる。情けは人の為ならず。お祈りや苦行は自分のストレスを軽減するのに役立っている。また、苦行に立たされている人にとっても風の噂で自分のためにお祈りや荒行をしている人がいることを知ればオキシトシンが分泌されるに違いない。苦境を脱しようとする努力の励みになるに違いない。しかし、苦境から脱したときお祈りや荒行の功徳だと言われたら物凄いストレスを感じるだろうなぁ。