「わがままボディ」は、何がどうワガママなのか。
近頃、「わがままボディ」という言葉が気になっている。
「一体何がわがままなんだろう?」という釈然としない気持ちと、「でも確かにこれはわがままボディと言う感じがするな…」という納得感が、私の中でせめぎ合っている。
わがままボディの意味は、大きく分けて二つある。(と思う)
① (主に女性の体を指して)グラマラスで豊満な体。
② (男女問わず)ふくよかな体つき。
①は、グラビア雑誌などで、魅力的な女性の体について用いられることが多いのに対し、②はユーモアを交えて自虐的に使われることが多い。俳優の佐藤二朗さんあたりが使いがちでる。
②がユーモアになる前提に①があり、元々「わがままボディ」は①の意味だったのではないかと思う。異論は認める。要は、セクシーから程遠い自分のぽっちゃり体型を、あえてグラビアアイドルになぞらえることで、可笑しみが生まれるのではないか、と言う考え方である。
では、なぜグラマラスで豊満な女性の肉体を「わがままボディ」というのだろう。個人的に一番そこが気になっている。
ネットに転がる最も有力な説は、「豊満」→「放漫」→「わがまま」の「言葉遊び説」である。
正直、ふうん、という感じだ。それが真実なのかもしれないが、個人的にはしっくりこない。
「放漫」は、「いい加減」とか「だらしない」というような意味で、どちらかというとネガティブな印象の語である。
わがままボディの中の「わがまま」は、もっと生き生きして魅力的ではないか。もっと生命力があり可愛らしいわがままだ。②の意味のわがままボディなら、「放漫」はしっくりくるのだけれど、①の意味とは少しそぐわない気がする。
ただ、私も「わがままボディ大胆披露!」等の文言が添えられたグラビアをそう多く観覧したことがあるわけではないので、わがままボディの神髄とはこれぞ!と言い切る自信がない。
ここからは、私の独断と偏見による「わがままボディ」像になる。
私が「わがままボディ」の「わがまま」から受け取るイメージは、次のようなものである。
・あまりに魅力的で、それによって様々なワガママが叶えられてしまうような肉体
・出るところは出ているのにくびれているというような、人間のワガママな理想が叶えられたような肉体
・ワガママに、食べたいものを食べてすくすく育ったために、発育のよい肉体
結局、ワガママとは人の欲望なのである。欲望は生命力の源でもある。
そして、欲深い人間は、だからこそ魅力的なのだ。
体よ、人よ。ワガママであれ。