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映画「リッチランド」を見る

 私はそんなに映画をたくさん見ている方ではないが、ドキュメンタリー映画を中心に映画を見ることがたまにあるので、それに関しても少し書いていくことにする。

 前提として、私の住んでいる津和野町には映画館がない。どうも1970年代くらいまでは町内に映画館があったらしい。また津和野の木部地区にあった、戦後すぐに閉山した笹ヶ谷鉱山の全盛期(昭和初期?)には鉱山作業者がたくさん住んでおり、映画館まであったという話も聞いたことがある。ただ、今現在人口6000人台の町に映画館がないのは時代の流れとしては当然と言えば当然である。
 そこで、津和野から一番近い映画館はどこかとなると、益田市にあるShimane Cinema Onozawaになる。津和野から車で40分ほど、JRを利用すると益田駅から徒歩数分のところにある。

 この映画館もかつては、というか20年くらい前までは津和野の学生カップルのデートスポットの定番中の定番だったとのこと。ビルの2階にあるボーリング場、3回に映画館とカラオケ、という、このエリアで遊ぶにはここ、という存在だったようで、初デートがここだったという人も多いようで、この地域のみなさんの思い出の地というイメージのようだ。10数年前に閉業していたものの、4年ほど前に東京の映画館の支配人をされていた方が夫婦で益田へ来てクラウドファンディングも利用しながら映画館を復活させた。
 私は復活する前を知らないので何とも言えないが、復活したのちは、私が見たいと思っていたニッチな映画を上映していることもままあり、年に数回映画を見に訪れているところである。映画館の座席はふかふかで、しかも200人入るくらいのなかなかのキャパシティがある。ただ、家族経営に近い形で、支配人の選ぶ映画1日3,4本を2週間ごとくらいに入れ替えて上映している。いわゆる全国一斉公開的な映画を網羅するということは難しいものの、支配人のこだわった、上映館もあまりないような比較的マイナーな映画を上映していることもあり、私としてはなかなか興味深い映画館である。

 その次に近いのは山口情報芸術センターの2階にあるYCAM。

 映画館というよりは、市の文化施設の中にシアターが入っているという方が正確であり、その時々のテーマに合わせた映画を上映しており、比較的社会派な映画を多く扱っている。ただ上映作品も1日1本だったりお休みの日もあったりというところ。
あとは萩ツインシネマも同じく車で1時間超、いわゆるシネコンになると防府市か周南市になり、片道1時間30分弱は見ておく必要がある。その時々で流行っている映画を見ようとすると防府か周南に行く必要があり、往復3時間に上映時間2時間を合わせると、1日休みでないと映画を見るのは難しいところ。周南までレイトショーを見に行って夜中に帰ってくる人も時々いるとか。。
 このように映画を見るとなると半日、下手すると1日仕事になってしまうので、そんなに頻繁に見るということはできないもの、時々見たい映画と自分の用事や休みのタイミングが合うと映画館で映画を見ることができる、というところ。元々映画を見るという文化のない中で育ってきた私からするとそんなもんだろう、という感情にもなるが、やはり映画を見るという都会的な習慣が身についている人には不満があるようだ。私としては、見たい映画があれば自分で上映会企画した方が早いんじゃないか、と思っている。そのうちに見たいけど近くで見られない映画があれば上映会を開くかもしれない。

 そんな津和野の映画事情の話ばかりで前提が長くなったが、先日、映画「リッチランド」を見てきた。

 リッチランドとはアメリカの北東部、ワシントン州ににある町で、名前まで知っている方は多くないと思うが、広島・長崎に投下された原子爆弾に搭載されたプルトニウムを作っていた町だと言えば、聞いたことあるという方も多いかもしれない。映画を見る前の私の認識も、聞いたことはあるけど詳しくは知らない、その程度だった。私はダークツーリズムという分野に関心があり、まさにこういう原子爆弾作成に関わった町というのは、その帰結と現代世界での核兵器の広がりを考えると、まさに悲劇の歴史を体感できる場所だと思う。それについて知ることができる映画ということでぜひとも見たいと思い見ることにした。
 ちなみに「オッペンハイマー」も見たかったのだが、なかなかタイミングが合わずまだ見ていない。第二次世界大戦関連だと「関心領域」もまだ見ることができれいない。なかなか見たい映画を確実に見るというのはスケジュール的に難しいという点に、巷間よく言われる文化格差のようなものを少し感じてしまうところである。

 映画「リッチランド」のトレーラーはこちらである。

 B29と思しき影に、きのこ雲にRと書いてある不穏なロゴが否が応にも目に付くが、これが本編でも出てくるリッチランド高校の校章である。マンハッタン計画の拠点の1つとなりプルトニウムを生産してきたリッチランド。そのお祭りではきのこ雲のマークや、地元のアメフトチームbombersが出てきて、日本に暮らす我々にとってはある種ゾっとするようなシーンから始まる。


 ここからは適宜ネタバレしすぎないように、と思いつつネタバレしても別にいいとは思うのであるが、内容と感想について書いていきたい。

 リッチランドとはマンハッタン計画によってある種”新設”された町であり、そこに原爆開発の関連産業に従事する人が移住してきてできた町である。我々の何となくのバイアスだと、リッチランドは原爆を作りWW2を終わらせた町ということに誇りを持っている、日本に住んでいる人から見るとグロテスクに感じる人がたくさんいる町、という風に思ってしまう。実際にリッチランドに住む、先の対戦を経験している世代のおじいちゃん達がそう語るシーンも出てくる。しかし、この映画ではそれが住民の一致した意見などではないことが描かれていく。深く考えずに誇りに思っている人もいれば、原爆を落としたことは戦争を終わらせより多くの犠牲を防ぐためにやむを得なかったと消極的に肯定する人、否定する人も出てくる。ロゴや校章についても、反対したりおかしいと思っている人はある程度の数存在するが、それをオープンに議論すると封じられるような雰囲気もあって言えないという、その歴史的な事実をタブー視する視点も出てくる。リッチランド高校の卒業生の中にも、これはよその国の人が見るとどう思うんだろうか、という視点での議論もされている。見ていると頭の片隅に日本の原発がある地域のことが浮かんでしまう。

 他方で、マンハッタン計画に基づきプルトニウムを作成する過程で人生を破壊された現地住民がいることも明らかにされていく。核関係の仕事に従事させられる人々の中にはどんな仕事かも教えられず働いていた人も多数いて、そのなかには被ばくにより亡くなった人もいると、遺族が証言するシーンが印象的である。それぞれの抱える人生への葛藤のようなものを。その語る言葉や表情や視線が物語っていくさまは、ドキュメンタリー映画の醍醐味という得るかもしれない。これを見ていると戦時中に毒ガス製造が働いている人にすら秘密裡に進められた大久野島のことを思い出してしまう。(なお大久野島については以前行ったこともあり、また行きたいと思っているので近いうちに旅行記を書く予定である。)
 そのような核開発に関わる労働に従事していた人だけでなく、この計画のために代々治めてきた土地を国に収用されて追い出された先住民の一族も出てくる。国策のために何代もそこで生きてきた土地をたやすく奪われてしまった先住民という、全く別の視点が浮き彫りにされる。マイノリティ問題が関わっていることは全く予想していないところで驚くと同時に、原子力開発へと国を挙げて向かうことになったその皺寄せが誰に押し寄せていたのか、考えさせられるところであった。そして戦後に作られた原子炉が1970年ころに廃止され原子力産業が撤退した今もなお、リッチランドには放射線量レベルの高い土地が多くあり、農地にもできない場所がたくさん残っている。地下水が汚染されているかもしれないから川魚は食べない、と断言する住民もでてくる。そんな中で地道に除染活動を行っている人たちのすがたも映し出される。

 このように、広島・長崎の原爆投下の文脈でみるとリッチランドという土地はとんでもない場所だというバイアスがかかってしまうが、リッチランドではリッチランドならではの苦しむ人たちがいて、他方で原子力産業に貢献してきた、という点にが新しく造られた町のアイデンティティでもあり、その葛藤が幾重のレイヤーとなって積み重なっていることが分かってくる。被害/加害の単純な二項図式では回収できない様々な問題が存在していること、シンプルに割り切れる社会問題など存在しないのだということをまざまざと見せつけられた思いがした。
 そして映画のところどころで挟まれる詩や歌にも、原子力関係で変容した町への様々な思いを感じられる。葛藤しながら対話を続けるという、簡単そうで難しい作業が必要とされていることがひしひしと伝わってくる。さらに人種問題というレイヤーも含まれており、重層的な問題の根深さを感じられる作品になっている。上映館は多くはないが、見る価値は大いにある映画だと思う。

 ちなみに私はこの映画を横川シネマで見た。

 横川シネマはドキュメンタリー映画や社会派な映画をよく上映しており、私が近所に住んでいたら相当通っているだろうなと毎度のように思わされるミニシアターである。横川シネマは広島市内にあるため、平日の昼だったがお客さんは多かった。やはり広島という土地柄関心が高いことが窺えた。オッペンハイマーも広島県内の多くの映画館で上映されていた。他人事でなく自分事として考える材料として映画を見るという営みが多くなされているところにあらためて気づかされるところである。

 私は広島の人間ではないため、少し見るときの態度は異なると思うが、なるべく客観視して相対的に考えられるよう努めている。日本人だから、広島の近くに住んでいるから、という原爆を落とされた側の心持ちでいることは重要なことだとは思うが、特に太平洋戦争に関するものについては、冷静に見て、なぜこの戦争が起きたのか、すなわちなぜこの戦争が止められなかったのか、リターンポイントがどこだったのか、ということを大前提として頭に入れつつ、原爆投下に至ったのはなぜなのか、どこで日本は降伏するべきだったのか、他方アメリカの立場として、なぜ戦闘員と非戦闘員を区別なくこれだけの規模の攻撃をするという判断をしてしまったのか、国際法と原子力研究の折り合いがなぜ付けられなかったのか、戦争を早く終わらせるため、という理由での正当化で他の国々を納得させられると思っていたのか等、常に加害と被害の文脈を入れ替えたり当事者の立場を入れ替えて考察することが重要だと考えている。 
 これはダークツーリズム一般に言えることで、悲劇の遺産を実際に目の当たりにすると被害の文脈での強烈な印象を受けてしまい、自分がもし被害者側だったらどう思うかという想像力を強く働かせてしまい、加害側への純度の高い怒りの感情へと消化されがちである。
 しかし、単純な加害/被害の文脈で捉えると、全体性を見失う可能性が高い。その背景にはさまざまな社会的要因があるため、そこへの注意深い洞察と、どうすればこれが防げたのだろうか、ということを冷静にアウトサイダーの立場として考えることにより、学べるもの得られるものはより多くなると思っている。
 「共感する」ということは大事なことではあるが、共感するということが思考や決定の妨げになることもある。これについてはポール・ブルーム著「反共感論―社会はいかに判断を誤るか」(2018)でなされている議論が参考になる点が多い。

 もちろん、当事者に近い人は当事者側の立場として物事を考えることもその人にしかできないことで大事だと思っているが、ダークツーリズムという文脈ではそういった背景を考えることの重要性はよく語られるところである。

 ちなみに、そういった角度で指摘する安田菜津紀さんの最近の記事を見かけた。先に少し言及した、大久野島についての記事である。

 特に日本で作られる戦争映画や戦争ドラマは、戦争に翻弄され人生を奪われる一般市民の私たち、という被害の文脈で捉えるものが多すぎるという指摘は、ドイツが毎年のようにホロコーストを題材にした映画を作る続けていることとよく比較されるところである。

 悲劇に対してどんな態度で臨むべきかという議論はおそらく今後何度もすることになると思うが、リッチランドに関してはそういった文脈で物事を見る良い機会になると思われる。実際にこの映画の中では、リッチランドにあるマンハッタン計画のミュージアムに広島から団体が訪れて、そこで実際に説明をした現地ガイドのインタビューも出てくる。異なる立場の人との交流がいろんな感情を生み出すのだということも分かる、重要なシーンの1つである。

 なお、リッチランドに関してはケイト・ブラウン「プルートピア 原子力村が生みだす悲劇の連鎖」(2016)という、米ロそれぞれの原子力村について書かれた本がある。

 読み始めたところであるが、読み終わったらこの記事の続編のような形で感想等書いていきたい。


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