『西部戦線異状無し』★★★☆
監督 ルイス・マイルストン
リュー・エアーズ/ ウィリアム・ベイクウェル/ ラッセル・グリーソン
時代は第一次世界大戦の最中。徐々に敗戦が濃厚になっていくドイツ軍の前線を舞台に、祖国のために死ぬ、その無意味さを噛みしめながらも、戦場という非日常を生きる若者達を描いた戦争映画の古典であり、反戦映画の不朽の名作として知られる作品。時代が青春を奪い、国家が命を奪う。人格を否定する軍隊、戦場の狂気に加え、戦地と銃後のギャップ。一方で、そんな戦火の中でも生まれる友情や、ひと時の安らぎ等、現在に至るまで造り続けられる戦争映画の要素が、全て詰めこまれています。公開は、ちょうど第一次世界大戦(1914-1918)と第二次世界大戦戦(1939-1945)の間の1930年。
泥に汚れた前線の兵士たちが塹壕の溝の中を行き交うシーン、最近、どこかでも同じシーンを目にしたなと思えば、同じく第一次世界大戦の前線を描いた『ワンダーウーマン』ですね。2017年の映画を観て、1930年の映画で既視感を覚える。その映画的なリアリティは、約90年前の映画と言えども、今の時代でも十分に観賞に耐えられます。と言うよりも、映画的なリアリティという様式が、この時代に既に完成されかけていた。そのことに新鮮な驚きを感じます。
俯瞰で捉えた戦場と、至近距離で捉える個々の兵士の姿。攻め込んでくる敵の歩兵と、迎え撃つ機関銃が交互に映し出される白兵戦のモンタージュのカット割り等は、現在の戦争映画でも変らずに使われる手法です。
もちろん、映画的なリアリティと、本物の戦地のリアルはまったくに異なるものでしょう。実際の戦地では、俯瞰で戦場を眺めることも、そもそも、視点が次々に入れ替わることもありません。
「本物の戦争を見てきた人間が、戦争映画に出たいと思いますか?」 第二次世界大戦中に軍に志願、爆撃機のパイロットとして活躍したジェームズ・ステュアートは、そう言って、戦後、戦争映画のオファーは全て断り『素晴らしき哉、人生!』(1946年)や『ハーヴェイ』(1950年)といったヒューマンドラマにキャリアを捧げました。
ジェームズ・ステュアートとは逆に、この映画から約10年後、第2次世界大戦勃発と同時に、主演のリュー・エアーズは良心的参戦拒否を宣言します。映画のクライマックスで、彼が演じた若い兵士は、何の恨みもない人間同士が殺し合うこと、祖国のために死ぬことの無意味さを、戦場から離れた故郷で問いかけます。しかし、戦地を知らない人々からは「卑怯者」と罵られる。奇しくも、それと同様の光景が、この映画を製作したアメリカで繰り返されることになるのです。
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